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こんにちはヒスチジンです💊いつも投稿を見てくださりありがとうございます☆彡
ついにコラムに書くネタが尽きてしまいました…(´;ω;`)長期間で描けるかなと思いここからしばらくは【妖怪】についてイラストと一緒に書いていこうと思います。テーマを妖怪にした理由は私が昔から妖怪オタクだからです。アニメ等の妖怪、モノノ怪や怪物などももちろん好きですが基本的には由緒伝わる妖怪が好きなので一つ一つ投稿していきますので興味がある方は覗いていってくださいね👹
今回は鬼の中でも最強だった【酒吞童子】をご紹介します。
酒吞童子(しゅてんどうじ)は日本三大妖怪で九尾の狐の化身【玉藻】、鈴鹿の山に住んでいたとされる【大嶽丸】共に数えられます。中でも酒吞童子は妖怪の中ではスーパースターで能に歌舞伎、映画、ミュージカル、祭りなど登場する作品の種類やジャンルの多さでは群を抜いています。そもそも鬼という妖怪は本来死者の魂であり人に災いをもたらすもので荒々しく不気味な妖怪で人間とは相容れない存在です。ですが酒吞童子の誕生により近い存在になりました。残忍性と凶暴性、非情さとともに、はかり知れない孤独感と虚無感を併せ持つ。それが酒呑童子です。大人気アニメ「鬼滅の刃」に出てくる鬼舞辻無惨のモデルにもなっています。
ここで一つ!ヒスチジンの豆知識✯
節分の2月3日に鬼は外、福は内と豆を投げるのは魔除けです。豆には邪気を払う力があると言われているからであり、また「魔の目(まめ)」に豆を投げつけて「魔(ま)を滅(めっ)する」という語呂合わせが由来なのだとか。 「魔を滅する」という語呂合わせでもあります。
酒呑童子の住処として一般に知られているのは、京都の丹後半島の付け根にある大江山連峰(以下、大江山という)です。ですが、滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山にも『伊吹童子』という酒呑童子につながる鬼の話が伝わっています。伊吹童子とは何者か。両者の関係は? そこには驚くべき酒呑童子の生い立ちが秘められていました。
童子の住処が大江山、伊吹山のはたしてどちらであったのかを結論付けるのは難しいですが二つの山には共通点がありました。その共通点とやらは山岳信仰、修験道の霊山であることです。大江山は山伏や修験者が山中の聖地を巡って礼拝する回峰(かいほう)修行の場としても有名であり、伊吹山は古代の修験道における「七高山(七つの霊山)」の一つに数えられ、鎮護国家のための祈祷が行われたと考えられています。
※修験道とは修験の道を意味し、断食、瞑想、経典の唱え、滝の下での祈りなどの禁欲的な修行を指します。 修験道は、7世紀の伝説の神秘家であり術師でもある役行者です。大江山には他にも多くの鬼がいたという伝説があり鬼の交流博物館があります。
大江山にしろ伊吹山にしろ【酒呑童子】の逸話のメインテーマには鬼退治の話ばかりしかなく、過去についてはあまりお話がありませんでした。ところが後世に酒吞童子の過去にまつわる物語が出てきました。
それが「伊吹童子」なのです。「伊吹童子」は酒吞童子がどのように生まれ、なぜ伊吹山へ行きその後大江山に移り、なぜ酒吞童子と呼ばれるようになったのかを物語るお話です。伊吹童子の成立は室町時代の後期から江戸時代の初期と考えられており内容は異なりますが伊吹弥三郎という人物の子供として誕生したのが一般的です。
伊吹弥三郎という人物には実在のモデルがおり、近江国(滋賀県)の柏原荘の地頭であった柏原与三郎がモデルで柏原弥三郎は地頭という権力にて様々な悪事を働き討伐軍に追われる身となり伊吹山深く行方をくらまし凶悪な事件を犯し人々を苦しめました。人々が恐怖のどん底に堕とし、逃げ回った一年後に討伐されましたが住民はいつ時も弥三郎の祟を恐れており、死後400年経ったとき強風が起き、被害をうけた住民は祟りだと思い込み、この強風被害を「弥三郎風」と呼ぶ位、弥三郎は計り知れない恐怖を人々に与えました。
実在の弥三郎をモデルとして、伊吹弥三郎はフィクションの中で伊吹童子の父として語るふさわしい人物として変貌していきます。
そこには、伝説の巨人・ダイダラボッチやら天狗やら古今東西の神様やら妖怪やらの物語の要素が詰込まれていました。伊吹山には弥三郎の名前が残された岩屋など地名が残っているそうです。
長くなってしまうので今回はここまでにします。次も酒吞童子のお話の投稿になるので続きが気になる方はぜひ見てくれると嬉しいです☆彡
ここまで見てくださりありがとうございました❁
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