娯楽の嗜好の変化について

SNSで調べものをしていると、大体今何が流行っているかということが分かる。
昔はそれに私も便乗していたが、最近はしていない。それどころか、誰かと感想を共有する前提で新しい娯楽作品に手を出すことをあまりしなくなった。

私は7月になってから急にアニメを観なくなった。理由としては上にもある通り「誰かと感想を共有する前提で何かに手を出す」ということにしんどさを感じてしまったからだ。
代わりに読書をすることが増えた。私にとって本を読むことは誰かと感想を共有することではなく、知識を蓄えることだからだ。よく、育児の記事において「本を読ませなさい」という記述がある。必ずしも正しいとは言えないけど、それが大人になってから何かしらの役に立つという意味では合っていると思う。自分は学生時代はそこまで本を読まなかった人間だ。今読んでいると学ぶことや、一般教養として認識されている作品に触れて感銘を受けることも多くなった。

私にとって映像作品より本が好都合な理由だが、一番最初の理由としては「受け手が好きなペースで読解できる」ことだ。私はそもそも何もせずに映像を観ることが得意ではないが、だからと言って何かしながら観ても集中できない方だ。もう一つは、一般文学を選べばあまり話題に振る相手を選ばなくてもいいこと。おそらく読書が自分の中で完結する理由は後者にある。

映像作品を観なくなってから数か月経つが、そこまで寂しいわけでもないし「自分には本の方が向いているな」と感じたため、今後観る作品はかなり厳選されるかもしれない。

もう一つ、私が本に流れた理由として数年前に存在を知り、今では内容が頭に入っておりながら視聴でも問題ないくらい、のめり込んでいるアニメの存在が大きいと思う。このアニメはとある海外文学が原作となっている作品である。
昔(一部除き)海外作品という縛りで文学作品をアニメ化した作品を放送した「世界名作劇場」というシリーズがあった。上記の作品はこのシリーズの一つだ。私はこの作品にのめり込んだことで、海外文学に興味を持ち始めた。シリーズ作品の原作となっている小説を読み込んでいくうちに、「私には文学的な作品が合っているかもしれない」と認識していたと思われる。SNS映えする映像作品がそもそも得意ではなかったということだろう。そういう意味ではこのシリーズは自分の好きなものを再認識する大事なものだと今では思っている。(この作品の影響か、今でも海外文学は割と読むわけだが)

映像作品を観られないデメリットも存在する。私は踏み台昇降を以前行っていたが、BGVにする作品が無くなってしまったわけで、ポッドキャストを聴くには手持ち無沙汰すぎる…という。これは来年の夏までにどうにかしたいところだが、方法はあるだろうか…?

今後読書以外のインプットで新たに行いたいことは、ポッドキャストや録画したラジオをBGMにして散歩をすることだ。これを書いている時点ではラジオ録画が上手くいくか実験をしていないが、上手くいった場合はNHK FMで放送している「青春アドベンチャー」「アニソン・アカデミー」「アニソンプレミアムRADIO」といった番組の録画をストックして散歩のときに流したいと思っている。前者はラジオドラマ番組。後者2つはアニソン番組だが、アニメ音楽自体は今でも割と好きなため、再び聴取していきたいとは思う。(ラジオ局で唯一定期的に聴取している局はNHK FMだが、いつか独立した記事にしたい)

結論として、嗜好というものは時間の経過や加齢に従って大きく変化するものかもしれない…と認識したということ。「加齢により新しいものを吸収できなくなった」という話はよく聞くが、自分の場合摂取できる「新しいもの」が変化したという事だろうと思っている。

どちらかといえば文庫派なのだけど…
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bio

お絵描きと個人サイトいじり大好き。インターネット老人会会員。読書好きでちょこっとアニメを観たりします。

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