2024年12月 日常生活アウトプット系コラム・映画編 愛及屋烏
ミステリと言う勿れ(劇場版)
Continuation from last page. 02-4 https://no-value.jp/column/93552/
整くんのお言葉
真実は 人の数だけあるんですよ
誤認逮捕で冤罪事件を起こした過去がある刑事・青砥成昭に向けたセリフ。この件で本庁捜査一課から大隣署に左遷されたにも関わらず、青砥は未だに誤認逮捕だったとは認めてなく「真実は一つだ」と豪語します。
そこで久能が展開した持論が「真実」と「事実」という言葉の違いです。 人は主観でしか物事を見る事ができない為「真実」は各々、人の数だけある。 警察が調べるべきは何が起こったのかという「事実」だと語りました。
僕は常々 人間が3種類いたらいいなあと思ってて
大隣署で唯一の女性刑事・風呂光聖子に自分の存在意義について久能が聞かれた時のセリフ。
風呂光は男性社会の警察組織に馴染もうと必死に仕事を熟していましたが、上司からは女だからと舐められてばかりでした。
そんな風呂光に久能は、男性ばかりの組織に女性が一人でもいると男は集団での不正をしづらくなる、なので見張る為の存在が必要だと説明。とはいえ、現実には女性一人だと排除されてしまうので、男と女ともう1つ、まったく思考回路の違う種族がいればいいのにと話しました。
この日を境に風呂光は無理に大隣署の男性刑事達に混ざろうとはせず、彼らとは「違う生き物」としての新しい存在意義をまっとうすることになります。
メジャーリーガーは子供の成長に立ち会うことを父親の権利だと思い
日本側の解説者たちは義務だと思ってる
大隣署の刑事・池本優人が、子育て中の妻との関係を相談した時のセリフ。 池本は「育児に参加しようと思っている」「手伝っているつもりだ」と話しますが、妻の機嫌は悪くなるばかりだと言います。
そこで整が話したのがメジャーリーガーのエピソード。 メジャーリーガーが妻の出産や子供のイベントを理由に試合を休むと、その試合を中継する日本の解説者は「奥さんが怖いんでしょうね」とコメントするとか。
子どもの成長の瞬間を見逃すわけにはいかないと仕事を休むメジャーリーガーと、仕事を休んでまで参加させられていると思う解説者。育児に対する意識が、そもそも大きく違う事に触れます。
どうして いじめられてる方が 逃げなきゃならないんでしょう
バスジャック事件に巻き込まれた乗客の1人・淡路一平へのセリフ。過去にいじめを受けていた淡路は、「あの頃は逃げてもいいよって誰も言ってくれなかった」と当時の環境を恨んでいました。
そんな淡路に久能は「病んでたり迷惑だったり恥ずかしくて問題があるのはいじめてる方」だと話す。欧米の一部の国では、いじめている人間を病んでいる、と判断して隔離し、カウンセリングを行うんだそう。
一方、日本ではいじめ被害者がカウンセリングを受けたり、逃げたりしなくてはいけない、その理不尽さに疑問を投げかける久能でした。
整くんのお言葉・劇場版
子供って 乾く前のセメントみたいなんですって
落としたものの形が そのまま跡になって 残るんですよ
汐路が久能に接触する為に演出した『茶番』の一部始終を偶然にも見ていた子供に「ごめんね」「怖くないよ」と謝った後のセリフ。
子供は目の前で大きな声を出して騒ぐ大人達を見て怯えていましたが、その言葉を聞いて安心した表情に。久能は子供に対して、自分や周囲の人間がとる言動にとても敏感ですが、それは子供の心に不用意に跡を残してはいけないという意識があるからのようです。
映画では該当の茶番のシーンはカットされたが、これは広島編の一貫したテーマの様な言葉なので、後の汐路の場面で改めて出てくる。
子供はバカじゃないです。自分が子供の頃バカでしたか?
子供を利用して優位な情報を得ようとした相続候補者の1人・波々壁新音に対して久能は、「子どもをスパイにしちゃダメ」「自分がうっかり話してしまった事を一生悔やむ」と咎めます。
「まだ子供だからわからん」と言い訳をする新音ですが、久能に「自分が子どもの頃バカでしたか?」と問われ、大人の言動に敏感でいつも顔色を窺っていた自身の幼少期を思い出し、反省する新音。
“女の幸せ”とかにもだまされちゃダメです
狩集家の遺産相続問題で出会った子育て中の女性・赤峰ゆらへのセリフ。
周囲の人間から“正しい母親像”を押し付けられているゆらの様子を見かねた久能は、「“女の幸せ”とかにもだまされちゃダメです」「それを言い出したのは多分おじさんだから」とアドバイス。 その手の女の○○、という言葉の反語に男の○○が無いのだから、と。
男性が女性を決まった型に填める為の呪文の様な言葉ではなく、自分(親)の中から自然に出てきた言葉を使った方が子供も嬉しい筈だと話します。
だから 下手だと思った時こそ 伸び時です
犬堂我路に導かれて出会った女子高生・狩集汐路との会話でのセリフ。
絵を描くのが好きだったけど、ある時に自分が凄く下手だと思えてきて描くのを止めたと話す汐路。それに対して久能は、本当に下手な時は自分が下手な事にも気づかない、気づくのは上達してきた時だと語ります。
数カ月後、別のエピソードで久能と再会した汐路は、高校で美術部に入った事を嬉しそうに報告するのでした。
弱くて当たり前だと 誰もが 思えたらいい
狩集家の遺産相続問題で、辛い思いをした汐路に事件解決後にかけた言葉。
前述の「セメントに痕」が残っているであろう、母親と一緒にカウンセリングを受ける事を久能に勧められ「わたしはどこもおかしくない」と嫌がる汐路。
そんな彼女に久能は海外の刑事ドラマを例に出し、アメリカはカウンセリングが日本より普及しているんだと話します。犯人を射殺したり、事件の最中に刑事が酷い目に遭った場合、キチンとカウンセリングを受けないと仕事に復帰させては貰えない、と。過去コラムで紹介しているCSIシリーズでも確かにそうです。
『人の心は弱くて壊れやすい、それが当たり前だ』という前提があれば、必要に応じて適切な処置を受けられます。
一方、日本では人の弱さを認めず、恥ずかしい事だと考える様な風潮がある事を指摘し、「弱くて当たり前だと誰もが思えたらいい」と語りました。
後述
整くん、良い事ばっか言うな……という漫画。ドラマ版も配役も豪華で良き。
結構な設定変更はあるが、ちゃんと原作者との間で煮詰められているので昨今の実写化に付随する諸問題とは距離を置いている、と考えても良い。読者・視聴者が不安視するレベルでは無いだろう。
映画と共にドラマ続編の話も出ていたので、原作を追いながら楽しみにしたい。
END.