ライナス

はじめに
皆さんこんにちは。ライナスです。今回はアイルランドの伝統的な歌唱スタイルであるSean-no`s(シャン・ノース)についてご紹介していきたいと思います。どうぞ最後までご覧ください。※(なお、Sean-no`sについては歌唱スタイルとダンス⦅いわゆるアイリッシュ・ダンス⦆の2種類がありますが、ここでは歌唱スタイルのSean-no`sについてご紹介します。あらかじめご了承ください。)
Sean-no`sの起源については残念ながらあまり明確なものはありませんが、紀元前500年にアイルランドの主要民族であるケルト人がアイルランドの地に到来し、定住するようになった頃から謡われていたのではないか、と言われています。専門家などの調査や研究によると、13世紀頃にある程度の唄の骨格が形成され、16世紀頃には今日謡われている多くの唄が作られた、と言われています。これはSean-no`sがケルト音楽だけではなく、アラブ世界やスペインなどの民族の音楽スタイルを内包したことによるものではないか、と思われており、筆者もその考えに同意します。
苦難の歴史を唄で伝える
このようにしてSean-no`sは現在まで謡い継がれてきましたが、それまでにはアイルランドが歩んだ紆余曲折の苦難の歴史がありました。
アイルランドは8世紀末からヴァイキングの侵攻で多くの歴史・文化遺産を破壊されるという事態を受けて国力が低下し、10世紀には侵攻を撃退させるものの、11世紀のイギリスの侵攻に耐えられず占領され、その後実に8世紀の間にわたってイギリスの植民地支配を受ける結果となってしまいました。この間のイギリスの植民地支配は苛烈を極め、主要言語であったアイリッシュ・ゲール語の使用を禁止されるなど様々な圧制を受けています。1845年から1849年の間には主要作物であったジャガイモの不作による飢饉により、約100万人が餓死するという事態になりました。それでもイギリスの統治政策に緩和は見られず、家の家賃を払うことにも窮したアイルランド人たちが海外へ大量に出国することとなり、人口が半減するなど、苦難の連続ともいえる歴史をアイルランドの人々は背負って生きてきました。そのような「苦しみの歴史」と「自らの誇り」を語り継ぎ、後世の人々に伝えるために、様々な唄が生まれ、厳しい植民地支配の中でひそかに謡い継がれた唄が、今日にSean-no`sとなって遺されているのです。(蛇足ですが、アイリッシュ・ダンスが現在のスタイルになったのも、イギリスの植民地政策による文化弾圧で祭祀を禁止されたアイルランド人が、家の中で踊れ、なおかつ踊っているのを発覚されないようにするために、下半身だけを動かすようになったと言われています。)
国家の独立とJoe Heaney(ジョー・ヒーニー)の活躍
先ほど書いたようにアイルランドの人々はイギリスの永い植民地支配を必死に耐えしのいできましたが、徐々に人々の中にイギリスの支配からの脱却と国家の独立を要求する動きが嵐の如く湧き起こってきました。
1916年のイースター蜂起をきっかけにして、1919年には(非合法ではありますが)アイルランドの独立を求める議会の設立、独立戦争を経て、1921年にイギリスとの条約交渉の結果、一応の独立が認められました。その後1937年に自主憲法を制定し、1949年4月18日に「アイルランド共和国」として正式に独立しました。しかし長きにわたる植民地政策の影響の結果、アイルランド語の話者が減少しており、文化の継続や伝承に支障をきたす程になっていました。
そこに登場したのがJoe Heaney(ジョー・ヒーニー、アイルランド名をSeosamh O` hE`anai(セオサム・オ・ヘアナイ))です。彼は世界各地に散らばっていたアイルランド人の唄を調査し、それをSean-no`sのスタイルでアメリカやイギリスのフォークミュージック・フェスティバルで謡い、アイルランドの人々のみならず、国際的に高い評価を得ました。そのことによってアイルランドの人々に文化復興の意識を芽生えさせました。更にアイルランド各地で独自に謡われていたスタイルが融合して、現在のSean-no`sの歌唱スタイルが形作られていき、今に伝わっていくことになりました。(なお、日本でもSean-no`sの名前をもじったSeanNorth(シャーンノース)というバンドが活動しています。)
伝統は遵守するべきか?それとも、
新しい風を入れるべきか?
現在、Sean-no`sは岐路に立たされています。理由としては、アイルランド語の話者の減少が独立後も増加することがなく、アイルランド語で会話できる人が「マイナー」で且つ「エリート」として扱われること、Sean-no`sの学習方法が口伝ではなく「スキル」として学習するようになったこと、主に謡う場所がアイリッシュ・パブにとって代わり、それに伴って伝統的な歌唱よりも非伝統的な「反逆歌」や「バラード」が好まれるようになったことが主な理由として挙げられています。
とりわけ、新しい作曲に関しては、伝統的なSean-no`sの愛好家や研究者などから、「古い伝統的な唄こそがSean-no`sであり、それ以外の唄はSean-no`sではない」といった極論のような物言いをする方もいるようです。一方で、Sean-no`sのスタイルを守っていれば、新しい作曲や個々人での独自のアレンジを交えても構わないという方もいるようです。
ここで筆者の見解を述べておきますと、私のようにアイルランド人ではなくともSean-no`sを聴き、愛好している人がいる以上、「伝統は頑なに遵守するべきだ」といった主張にはあまり賛同できません。何よりSean-no`s自体がケルト人の唄や音楽をベースとしながら、アラブ音楽やスペイン音楽などの影響を受けて現在のスタイルになったことを踏まえているので、極論的な主張には首をかしげざるを得ません。むしろ日本の大相撲のように外国の方々も受け入れながら、歌唱スタイルを守っていく方向に舵を切ったほうがよいのではないか、と思うのが筆者の偽らざる見解です。ご覧になった読者の方々は、どのような感想をお持ちでしょうか?感想などをいただけると幸いです。
まとめ
今回はアイルランドの歌唱スタイルであるSean-no`sについてまとめてみました。今後ともこのような形でアイルランドやスコットランドの文化などについての文章を書いていくつもりなので、皆さん応援よろしくお願いします。