夢の中国旅行

昔、父が仕事で中国語が必要で、中国語にはまっていたことがあった。父が日本でお世話になった中国人の通訳の人を頼り、北京で、日本語を話せるガイドさんとドライバーさんを紹介してくれて、父は中国に、猛烈に、行きたがっていたが、家で昔、父と二人で、中国の北京に行ったことがある。ちょうどそのころ、父が仕事で中国語家族の中で中国に行きたがる人間がいなくて、私に行かないかと言ってきたが、私は、その頃は、中国には全く興味がなかったので、冗談で、「旅費を出してくれるなら行く」と言ったら、父は、速攻で「出したる。一緒に行こう。」と行ったので、二人で行くことになった。久しぶりに関空に行って頼りない父を信じて椅子に座っていたら、父がトイレに行くと言って帰ってきて、暫くしたら、父がおなかのあたりをごそごそしだして、まっさおな顔をして、「腹巻きの中に入れていた5万円がない!」と言って父はパニックになっていた。海外旅行の乏しかった父は、[

お母さんには言うなよ]

と私に念をしして、トイレにに探しにいったが、私は、すぐに母に電話して「お父さん、空港で5万円落とした。」と言ったら、母は呆れていた。父は、お金をなくしたことで、へこんでいたが、気をとりなおして、飛行機に搭乗した。北京までは、4時間弱で着いた。飛行機の窓から見た中国の土地は、今まで見たことがなかったので、新鮮だった。この時乗った航空会社は、日本の航空会社だったので、なんとなく安心だった。

着いたら、北京の空港は日本とは違う匂いがした。思っていたより栄えていることにびっくりした。私が、イメージしていた中国は、人民服を着て自転車に乗った人たちがひしめき合っていたが、実際に見た、北京は、みんなそれぞれ好きな服をきて、車とバイクが走っていた。空港で、通訳の方と会って、すぐにドライバーさんが待機している車に乗って宿泊するホテルに荷物を置きに向かった。到着したホテルは、5星のホテルだったが、景色がそんなによくない部屋だった。しかし、私も父も見晴らしのいい部屋にしてくれと、フロントの人に言う勇気がなかった。    

ホテルに荷物を置いたら、すぐに故宮(紫禁城)に向かった。ガイドさんに2時間くらいで戻ってくるように言われたが、故宮の知識が何もなかったので、ただの広い風情のある公園にしか見えなかった。父が私の写真ばかり撮ってくれていたので、私は父と一緒に写真をとりたくて、近くにいた西洋人に勇気をだして、英語で写真を撮ってもらえませんかと言ったら、日本語で「いいですよ」とかえってきたので、こけそうになった。その日本語が話せる西洋人は、ドイツ人のカップルで、私の必死の勇気はなんだったんだとちょっと思ったが、父と私の二人のいい写真を撮ってもらえたのでよかった。

そのあと、湖みたいな池でボートにのり、ほんわかした気分になって、故宮見物をおえた。その後、買い物をしようと思い、チャイナドレスの上だけみたいなシルクのブラウスを百貨店で買った。中国といえども、やはり百貨店は、割引は、してくれなかった。帰国後、故宮の前で撮った写真を見たら、流行ってもいなかった日本で買ったチャイナドレスの上だけのブラウスを着ている写真があって、私もそこそこいっちゃってるなと思った。中国で、日本で買った中国の民族衣装を着ている自分がはずかしかった。

ブランドもののスニーカーなどは、日本と値段が殆ど変わらなかったので、買わなかった。屋台みたいなところで売ってる、てづくりのサンダルは、値引き交渉ができるとガイドさんに言われて、見て回ったが粗悪品ばかりだった。だが、ひとつ目についたサンダルがかわいかったので、店員さんにこれはいくらですか?とガイドさんに聞いてもらうと、日本円で4000円くらいだった。私が、ガイドさんから聞いていた安くしてくださいという中国語を言うと、店員さんは首を横に振ったので、私はすぐに頭の中で、この適当に作られたサンダルは日本の近所の商店街の靴屋で買ったほうが安いし、縫製もしっかりしていると思ったので、日本語で、「じゃあ、いらないです。」と言ってその場を去ろうとしたら、店員さんが慌てて安くすると言い出したので、私は店員の足元をみて、計算機に日本円で1000円でどう?と見せたら、店員はだまって、売ってくれた。その時は、よっしゃーと思った。だが日本に帰ってほぼ履くことなく、縫い付けていたビーズもすぐ取れたので、すぐに捨てた。次の日は、万里の長城に行くことになっていて、朝8時にホテル前に集合と聞いて早すぎる!と思ったが、なんとか早く起きて、朝早く、ホテルの朝食のバイキングを食べに行った。たくさん朝から料理がならんでいたが、イスラム教っぽい人達は、お肉や魚を一切食べないで、果物だけを食べていた。私は、なんの規制もないので、お肉や魚料理を食べたが、一番おいしかったのは、おかゆだった。人生でこんなおいしいお粥はたべたことがないと思った。シンプルなのに、素晴らしいおいしさだった。この時は、5星ホテルに泊まってよかったと思った。

朝ごはんを食べたあと、すぐにドライバーさんが運転する車に乗って、万里の長城を目指した。正直、万里の長城までの2時間は特にいい景色もなかったので、私は寝そうになっていたが、万里の長城の上り口に着いたころには、10時ごろで、観光バスが沢山止まっていた。8時出発の理由がこの時初めてわかった。ここでも、往復2時間くらいで帰ってきてくださいねと言われ、頑張って上った。石の階段の連続で、階段の高さは。一段30センチくらいあった。周りにも観光客が沢山いたが、その時は、ジャージにスニーカーの韓国人のおばさんの軍団が沢山いて、上る着満々だなと心の中で思ったが、私も負け時と頑張って登った。途中、韓国のテレビ局とタレントが取材に来ていて、韓国のだし、そんなに売れていないタレントだけど、見れてラッキーと思った。そのタレントは、名前は知らなかったが、ドラマに端役で出演していて、そのドラマを見ていたのだ。

父より先にほぼ頂上にのぼった。なぜほぼ頂上かというと、頂上には、カメラマンがいて、頂上で写真を撮るには、その人の許可が必要で、お金もとられるからだ。

私は、自分のカメラで写真を撮るのも諦め、ほぼ頂上で、まるで、墨江のような素晴らしい景色を存分に楽しんだ。これだけ見たら、一生忘れないだろうなと思うくらいみた。万里の長城は、一本しか道がないわけではなく、修復して、観光客用に整備された階段と、通ることを禁止されている何か所もある階段の通路があった。総延長2万キロメートルの少しを私は、登っただけだが、私は満足した。

その後、万里の長城からおりてきて、ガイドさんに昼ごはんを食べてきてくださいといわれ、ガソリンスタンドみたいなところで、父と二人でラーメンを食べたが、そのラーメンは冷凍食品を解凍しきれていないラーメンだった。。中国で激マズのラーメンを食べることになるとは思わなかった。

この日は、台湾の偉い人が、北京に来ていて、故宮は、閉館していて、一日違いでちゃんと観光できるところを観光できてよかったと思った。

そのあと、ガイドさんに話が旨く伝わっていなくて、変面という踊りや演劇の最中に一瞬でお面(仮面)を変えるという非常に不思議なパフォーマンスを見たかったが、京劇を見ることになった。中国の歴史から考えると、京劇の歴史は約200年ほどと浅いが、日本の歌舞伎みたいなものかなと思った。そのあと、私が、マッサージに行きたいと言ったので、ガイドさんが探してくれたが、なんせガイドさんがおじさんだったので、変なエロマッサージに連れていかれた。若い女の子が、スケスケのランジェリーを身に着けマッサージの資格も経験もなさそうなマッサージ店で、気まずい気分で、足のマッサージをしてもらった。

車での移動が多い旅だったので、覚えていないことも多い。私は、最終日ホテルからちょっと離れたお店で、おみやげに買おうかどうか、せめて値段だけでも見てこようと思ったものがあったので、見に行っていたら、集合時間に遅れて、父に怒られた。ガイドさんと運転手さんに手を合わせて謝ったら、気にしないでくださいとやさしく言ってくれた。あの広い北京で迷子になっていたら、多分日本に帰れなかったと思う。北京の「表」はホームレスはおらず、衛生面では、道も比較的きれいで、ホテルは5星だったので華やかで豪華だったが、ボーイがちゃんと荷物を運んでいないでさぼっているのが気になった。外に出ると、屋台みたいのは、全くなくて意外だった。もしかしたら、もうすでに、北京オリンピックの準備がじわじわと始められていたのかもしれない。私は、海外に行ってその国の明るい部分しか見たくないと思っていたので、のちのち日本で、北京オリオリンピック後テレビで見た、北京の貧民街などを見ることもなかった。ガイドさんもそんなところ紹介したくなかったであろうし。

最後の日の夜ごはん、北京ダックを私も父も食べたかったのだが、お店を調べてこなかったので、ガイドさんに「地元の人が行く美味しいレストランを教えてください。ガイドのお礼に一緒に食事をしませんか」と行ったら、いつもガイドさんが行っているお店に連れていってくれた。お世辞にもきれいなお店ではなかったし、店員さんもぶっきらぼうだったが、ドライバーさんも含めて4人で楽しく食事をとることができた。北京ダックは4人で食べても残るほど多く、その上安かった。他にも注文しただろうが、北京ダックの美味しさが思い出として強烈に残っている。メニューが全部漢字だったので、ガイドさん達がいなかったら何も注文できないところだった。父は、料理が来るたびに、安くておいしいを連発していた。私は、父が安い安いというのが、恥ずかしかったし、ガイドさんがいたから大丈夫だったが、あのかんじで、二人で食べていたら、ぼられていただろう。そのうえ、父はドライバーさんにビールをすすめていた。ちょっとくらいいいじゃないですかと言っていたが、ドライバーさん困るくらいすすめていたので、お父さん、アウトだなと思った。そしてもちろんドライバーさんは、ビールを飲まなかった。その代わり、残った(本当は残したくなかったが)北京ダックをテイクアウトにしてもらっていた。日本で普段中華料理を食べていたせいか、本場の中国料理も私の口にあった。食事の面だけ考えたら中国に住めそうだと思った。

帰国の日、父がガイドさんにあらかじめ決めていた、ガイド料とドライバー料を払おうとしたら、ガイドさんが夕食をごちそうになったので、こんなにもらえませんと言って、父にお金を返してくれた。この時、「いやいや、そんなことを言わずに受け取ってください」「いや、困ります。」のキャッチボールが何回かあって、結局返してもらった。

中国の政治や体制は、あまり好きではないが、個人の文化交流はどこの国に行っても基本的に気持ちよくできるなと思った。性別や、年齢は関係なく、また中国が安全な国になったら行きたいなとおもった。

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はる組

こんにちは。 懸賞応募と海外留学などのエッセイを読むのが趣味です。 発達障害で困ることも沢山ありますが、どうよろしくお願いします。

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