皆さんは大切な人・親戚・親が亡くなったら、悲しみますか?
これから実際自分に起きたことを書きます。
自分の地元は青森県なのですが、私が宮城県の動物看護学校に行きたいとお父さんに話をして許しをもらい、お父さんのおばあちゃんおじいちゃんにまず報告しに行きました。
その時は、おばあちゃんが「○○ちゃん(本名)、出ていくの?○○ちゃん、行かないで」と。おばあちゃんから「行かないで」という言葉を聞くとは思わなくて、泣きそうになりましたが「自分の夢に向かうために行くんだよ」と伝え、おばあちゃんに背中を引っ張られるような思いがありました。
その一方で、おじいちゃんに報告したのですが、訛が強く早口なため何を言っているのか、何を伝えたいのかが分からず曖昧な相槌を打ってしまいました。
何を言いたかったんだろう(笑)
別日にお母さんの方のおばあちゃんおじいちゃんに報告しに行きました。
おばあちゃんおじいちゃんは「ありゃ、出るんか。たまに帰ってきなよ。」と背中を押してくれました。

その後、専門学校に通ったけど、子供ができ中退…
お父さんの方のおばあちゃんもお母さんの方のおばあちゃんおじいちゃんも曾孫ができたことを喜んでいました。
お父さんの方のおじいちゃんは頑なに曾孫を見てくれず、会いに行ってもおじいちゃんは自分の部屋に行ってしまうので、「無理やり会わせてストレスになるんだったら会わせなくても…」と思っていた自分が後々後悔することに…
お母さんの方のおばあちゃんおじいちゃんは溺愛してて「めんこいじゃ、めんこいじゃ、なんでも(お菓子やアイスなど)たさんな」って言って抱っこしたり曾孫の写真を印刷して渡したりしていました。
宮城にきて、コロナ禍に入り外出もあまりできない状況が続きました。時々お母さんには電話で話をしていたのですが、ある時いつも通りお母さんに電話した時に「○○(妹)は(お父さんの方の)おばあちゃん家に住み込みでいるよ。最近おばあちゃんが食欲もないし食欲があっても蒸しパンみたいに柔らかいものしか食べれないみたいだから、訪問看護を利用して家でみることにしたんだよ。」と聞かされ、胸が苦しくなりました。
コロナ禍で帰りたくても帰れず、電話で状況を聞くことしかできませんでした。そして令和3年7月頃から悪くなり、妹から「おばあちゃん、もう無理かもしれない…」と聞かされ、令和3年8月10日に妹から「おばあちゃん息してない」と電話がありました。「お父さんやお母さんには、電話したの?」と聞く一方で、自分の中では「嘘であってほしい」という気持ちがありました。妹は冷静に「お父さんにもお母さんにも電話したし、お父さんのお姉さんにも電話した。これから忙しくなるから電話切っていい?」と聞かれ「切らないでほしい…本当に忙しくなったら切っていいから」とお願いをしました。通話を繋げたままで自分の気持ちの整理をしようとしても信じる事ができないまま電話越しにお父さんの声が聞こえてきて「○○、○○(おばあちゃんの名前)、起きろよ。」と最初はいい加減な声掛けをしていましたが、徐々に怒鳴るような声掛けに変わって自分はその声にパニックを起こしていました。

おばあちゃんの葬式・通夜は家族葬でやるとのことで「自分も行っていいか?」と聞いたら「コロナ禍だから帰ってくるな!」と言われたため、電報と花を送りました。
その後、お父さんの方のおじいちゃんの認知が急激に進み、老人ホームに入って令和5年3月に亡くなりました。
おじいちゃんの葬式には出れたのですが、その後に続けられたおばあちゃんの三回忌ではお坊さんが叩く鐘で気持ち悪くなり、三回忌に出る事ができませんでした。
その後もお母さんとは連絡を取ってたけれど、令和6年2月の上旬にお母さんの方のおばあちゃんが亡くなったと突然電話で言われ「はあ?えっ!なんで?」と混乱しました。
そしたら、お母さんから「言わなかったけどね、おばあちゃん肺炎で入院してて、明後日退院だったんだけど、吐いたのが詰まらせちゃったみたいで間に合わなかったみたいなの」と、入院していたことも肺炎にかかっていたことも誰にも伝えていなかったみたいで、親族や(おばあちゃんから見て)孫達も急だったため驚きが隠せていませんでした。
実家では火葬や葬式、通夜などの準備に追われていました。「子供たちを連れてきたら見てられないから来なくていい」と言われたけど、子供たちも自分の為にもどうしても参加したかったため、火葬に間に合うように向かいました。
火葬するぎりぎりで間に合い、子供たちと自分に「ばぁばにお別れ言わないとね」と伝えたら長男はわかったのか静かに泣き出し、次男はきょとんとしていました。自分は「おばあちゃん、久しぶりに会うのはここじゃないでしょ。ほら、おばあちゃんが心配してた曾孫連れてきたんだよ…おばあちゃん、あまり会えなくてごめんね…天国で見守っててね…大好きだよ、おばあちゃん…」と心の中で言うと、火葬場のスタッフから「では、これから○○様の火葬をさせていただきます。控室でお待ちください」と言われ、初めて火葬を体験しました。
控室で、久しぶりに会ったおじいちゃんは寂しげに俯いた状態で悲しさを隠しているように見えました。おじいちゃんと話していて「○○(本名)は、助けてくれる人が沢山いるんだから、頼ることを迷惑だと思わないで沢山頼りなさい」と言われ、どこかへ行ってしまいそうな感じでした。火葬が終わり骨壺に骨を入れる作業を順番にやっていきましたが子供たちも自分も一回しか出来ませんでした。頭蓋骨と喉仏だけになったときスタッフから「お二人で頭蓋骨を入れていただきたいと思います」と言われたのに、おじいちゃんが一人で動かそうとしたのでお母さんが慌てて手伝おうとしました。その時、頭蓋骨が崩れる瞬間を見てしまい、子供達には見せないように急いで目を隠しました。その状況が今でも脳裏に焼き付いていて忘れられず、フラッシュバックして泣いたり叫んだりしてしまいます。

火葬後の通夜や葬式にも出たかったけど、自分のメンタルが限界になり泣く泣く帰ることになりました。
それぞれの月命日になるとメンタルが落ちてしまい、なかなか元に戻る事が出来ない状態です。最後の瞬間に立ち会えなかった後悔が残っており、今でもおばあちゃんが・おじいちゃんが生きているという錯覚に陥ってしまいます。そのため地元に帰ると「おばあちゃん、おじいちゃんが生きてるから会いに行かないと」という自分と「もういないんだからお母さんの方のおじいちゃんに会いに行かないと」という自分が葛藤しています。
動画で「故人を思うと故人の周りに花が咲く」というフレーズがあります。毎日故人のことを思っているし泣いたりしているから、いっぱい花咲いてるといいなぁ…
つらつらと自分の体験したことを書きましたが、大切な人をもっと大切にして後悔のない日々を暮らしていきましょう
