新潮文庫「小公女(フランシス・ホジソン バーネット、畔柳 和代)」の再読が完了した。
以前読んだときは1985年版のアニメを観る前だったため、印象が変わるだろうか?と思ったが、そこまで変わらず原作の方が好みなのは相変わらずだった。
小公女/バーネット、 畔柳和代
アニメが気になるけど、怖いというか辛い期間が長すぎて観られないなと読んでみた。
思ったより友情成分が濃くてびっくりした。ベッキー健気だし、セーラは没落しても心は落ちぶれないんだよな…もちろん物理的に困窮してくじけそうな所はあるけども、徳を積んできたんだろうな…って感じで結構助けてくれる人も多い。
ラムダスがセーラに作ってくれた料理が食べたい…とてもおいしそうだし部屋が暖かそう。季節の変わり目に読んでよかったかもしれない。
もっと殺伐としたイメージだったけど、セーラが拾ったお金で買ったパンとか出てくる食べ物が美味しそうだった…
以前書いた感想を引用するとこうだが、一行目以外の内容は概ね今と一致する(一番最後の行はオチに絡んでいることもあり、結構重要だと思っている)
原作のセーラは良い意味で頑固であり、芯の強い人間である。学院の経営者であるミンチンへの仕打ちにも耐えるどころか、あなたの言うことを受け入れられないと言い返す。逆に自分に優しくしてくれる人間には敬意を持ち接する。それが徳になったのだろうか、最終的には報われる。
アニメ版のセーラは自分を虐げる人物へ言い返すまではいかないということもあり、自分は「意思表示をはっきりする」原作のセーラに憧れる。セーラは「可哀想な子」ではない。自分を封じ込めようとする大人に対してちゃんと対抗する精神を持っている。
そう考えるとアニメ版よりもセーラが可哀想な目に遭うシーンが少ないのは意外でもあるが、それは刺激的なシーンを絞って読者にそこまで威圧感を与えないということでもあるんじゃないかと考える。
わたしが原作で一番好きなシーンは、セーラが無一文ではなく巨額の遺産が相続されると判明したときの、アメリアのミンチンに対する態度である。
アメリアはずっと姉であるミンチンに頭が上がらなかったが、ミンチンに対してなぜセーラをそこまで苛め抜く必要があったのか?と考えていた。
セーラが無一文ではなくなったとき、アメリアは思っただろう。ミンチンが虐めていたセーラは「弱い子供」ではなかった。巨額の遺産や父の代わりとなるパトロンの存在。その存在が判明したときミンチンはセーラにどんなに恐ろしいことをしたのか、アメリアは実感したのだ。
そういう意味では、ミンチンへのどす黒い感情をずっと押し殺していたアメリアが一番登場人物で怖いとわたしは思った。原作ではミンチンへの鬱憤を晴らした後に体調を崩すくらいだった…。
