25年ほど前にインターネットを始めてさほど経っていないころ、とあるアニメに再放送でハマった。そのときファンサイトを読み漁っていたが、(そのアニメには続編が存在するが)「自分だったら続編はこうした」という二次創作小説をいくつか見かけたことがある。
(続編については当時かなり物議を醸したようで、ファン活動を行うファンの世代交代が行われるまではその続編についてはバッシングがあっても文句が言えないという状況だった)
当時はそんな創作の方法があるのだな、程度にしか思っていなかったが。
今年に入ってからアニメ版経由でとある小説にハマったわけだが、自分がハマるきっかけとなったアニメとは別のアニメ版があまりにも原作とかけ離れていて嫌悪感を抱くようになった。そのうち、(当該の別のアニメ版は絵柄は好きだったため)自分があの雰囲気でやるならばこうする、というような二次創作(ファンアート)を自分のサイトで公開し始めた。
最近冒頭のことを思い出して、彼らが行っていたことは自分が今行っていることと似たようなものだったのかもしれない…と思った。「実在しない理想の形を自ら作る」という理念がそっくりだ。
怒りは創作の原動力になりえるということだ。たまに「公式に文句を言うならば、それを自身の活動に別の形で反映させるべきだ」という意見を見かけるが、わたしはこの意見に概ね同意である。創作をする人間であればなおさらで、「自分ならこうする」を形にすることは自身にとってとても良いデトックスだと言えると考える。
自分はそういうことを始めたせいか、当初の怒りについてはある程度収まっている。別のアニメ版に関する不満についてもたまにパスワード制限した形で書くことがあるが、それ以外は極力毒を抑えるようにしており、尚且つパスワード記事においてもできる限りそのアニメ版について客観的に述べるように心がけている。
なお、ここで書いている創作物については「ヘイト創作」の類ではない、と思っている(自分は、だが)「ヘイト創作」はあくまで執筆者自身が嫌うキャラクターに対してひどい目に遭わせるような作品だと考えているが、自分はキャラクターに対して憎しみを感じているわけではないため、その方向にはいかずに済んでいることは幸運だと考えている。
このことについて軽く調べてみたが、続編や映像化を見て『自分ならこうした』という二次創作がヘイト創作に当てはまるという記述はなかった。ただ、とあるアニメジャンルのファンブログで公式の続編をなかったことにして、自身が望む続編を書いた二次創作に対して「あれを読んだ当時、作者は作品を私物化したと思った」と書いていた人がいたため、少し心配になったわけである。
