角川文庫版が面白かったため、光文社古典新訳文庫も読んでみる。内容を知っていると表紙が滑稽だな。光文社古典新訳文庫の表紙ってどのくらい内容にかかわってるんだろう?
ミルトンの「失楽園」がモチーフになっている本作であるが、「失楽園」とは違いアダムに該当する怪物の救済は一切ないし、神/創造主に該当するヴィクターは死ぬ。つまり「失楽園」がメリーバッドエンドならば、「フランケンシュタイン」はバッドエンドである。そもそも世間が「フランケンシュタイン」というキャラクター名から連想する内容とはだいぶ乖離している。
ヴィクターの行動は今でいう「毒親」を示唆しているように思える。怪物とどう接していいかわからないし、責任の居所が自分にないと取れる発言もしている(ただ、怪物の言動にも問題があるから一概にヴィクターだけのせいとは言えない)怪物は捨てられた子供…と捉えると割としっくりくる。 なので、ヴィクターは創造主であると同時に(毒)親であり、怪物はアダムであると同時にヴィクターの息子という解釈。親子問題と生命を作り出すことの問題性という二つの観方ができる話だなと思っている。
怪物はヴィクターへの愛に飢えていたんだろうか?もっと美しく作ってほしかった、自分がこうなった責任をとって欲しかった…とか。シェリーが「失楽園」から引用した
創造主よ、土塊からわたしを人のかたちに作れと頼んだことがあったか? 暗黒からわたしを起こしてくれとお願いしたことがあったか?
ジョン・ミルトン「失楽園」第10巻 743~745行 (光文社古典新訳文庫「フランケンシュタイン」24P)
という節は、「産んでほしくなかった」自体に言及しているともいえるが、もし怪物じゃなかったら彼は生まれてよかったと思っただろうか?「不幸」には種類がたくさんある。怪物のように外見で忌避されることだけが不幸ではないからだ。
人間は生きることで幸福を感じるが(昔のヴィクターも多分そうだろう)、怪物は生きること自体を不幸だと感じたわけだ。怪物自身が「異形」だからだろうか?なんだか卵が先か鶏が先かみたいな話だな。生命の創成がテーマだけに。
読み解くと面白そうな内容だな、と感じた。新潮文庫版も読んでみようかな?
