とにかく熊が多すぎる。テレビを点けると熊、町内放送で熊。SNS上でも熊。熊の出没とそれに伴う被害、不幸を増やさないための注意、呼びかけ。話題は絶えず、そしていかに危険か思い知らされる。日々、不安が溜まっていく。
西公園に現れた、とニュースで報道されたときには驚いた。仙台駅から徒歩で二十分前後の場所だ。そんな都市部で発見されたからこそ、もう何処に出ても不思議じゃないな、と思った。それから少しずつ都会の市街地を歩く映像と目撃談を見聞きするのが日常になっていった。
ただやはり出没頻度は山間部や里山が圧倒的で、山に囲まれた田舎町に住む私は心配が絶えず、最近は庭でなく、熊に怯えて二階のベランダで煙草を吸うようになった。山の下に位置し、柿の木を三本生やした下山ウェルカムムード漂う自宅が憎たらしい。早めに柿を収穫しようとしたら襲われたなんてケースもあるので、実を放置することが悪手だとしても、下手に近付けないのが事実。専用のスプレーは保険として持っておいて損はないはずなのに、いざというときに身体が動く自信がないので、なるべく距離をとる方を選びたい。
私自身もそうだが、皆、熊に敏感になっている。黒い影や、何か、獣のと思しき足跡を見つけたら即通報。それだけSNSやマスコミが大きく取り上げて慎重な行動を求めているかがわかるし、人間の生活圏と食料に困った熊の行動範囲が重なりすぎて、全国どこにでもうろついるイメージが固まりつつある。年々、人身被害が過去最悪を記録し、交通事故より熊に襲われて死ぬ確率の方が高い地域まで出てきているので過剰反応にも一定の合理性が見える。が、熊に対する恐怖心や憎悪から、全て駆除すべき、などといった極端に感じられる発言も飛び交う。必要なのは感情論ではないのに。
適切な駆除、山に入る人達の装備の義務化。里山の管理といった現実的な対策を考えればいいのに誰もが気持ちが先走りすぎていて、長期的に、持続可能な共存の仕方を頭の隅に追いやってしまってる。早急に解決せねばならない課題が溜まっているから、小さな積み重ねを省きたがる。ちょっと胃が痛くなったら直ぐにでも薬を飲むような、そういう空気が社会全体に充溢してる。
ある日の夕方。SNS上で熊が夜の住宅街に佇む写真と注意を促すメッセージが町の公式アカウントから発信されていたのでぎょっとした。母の生まれ育った町だ。これまで鹿や猪は確認されていても熊の目撃情報は聞いたためしがなかったので慌てて母に説明し、祖父母の安否を気にした。東日本大震災による津波の被害を教訓に、高台に住宅地を造成させてきたし、交通を通すためにとにかく道も拓いた。確かに山は削ってきた。生態系を破壊してしまったのかと考えざるを得なかった。
その写真が生成AIで作成されたものだった、とは、少し時間が経ってから知った。その日の夜は安心と怒りが心の中で混在していた。この件にとどまらず、熊が騒がれているこのご時世に、悪戯でフェイク画像ないし動画が拡散されていて頭が痛くなる。熊が現れて警察が出動する、の間に、真偽の確認が挟まるのは随分ともどかしい。
