No.3(2025年12月12日)
人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになってすでに半世紀が過ぎていた。地球のまわりの巨大な人口都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった―――。
西暦2025年。今年1979年にはじまった『機動戦士ガンダム』が45周年を迎えた。『機動戦士Zガンダム』は1985年にはじまり40周年。『新機動戦記ガンダムW』は1995年から数えて30周年だ。今回はわたしの好きな『ガンダム』、とくに『Ζガンダム』について話したい。
『Zガンダム』の主人公の名前はカミーユ・ビダンという。女性みたいな名前だが列記とした男性だ。カミーユという名前は彫刻家、芸術家のカミーユ・クローデルという女性から名付けたので仕方がないのかも知れない。『Zガンダム』のカミーユは16歳。すぐに殴りかかってくる“ネタのような”キャラクターとしてネットスラングにされるが、それは正義感が強すぎる屈折した家庭や性格に起因する。
両親とも地球連邦軍の技術士官で、スラム街も珍しくない宇宙では一見恵まれている家庭に見える。しかし父親は不倫、母親はそれに気づきながら仕事に打ち込むために見て見ぬふり。子どもであるカミーユの前でも言い争いの絶えない、なかなか荒んだ家庭環境なのだ。
令和のアニメなら、家庭が複雑な主人公もそれなりにいるかも知れない。けれどこれは1985年の作品。つまり昭和60年。まじめに内閣府『令和6年版男女共同参画白書』で調べると、その当時は専業主婦世帯が936万世帯(約56%)、共働き世帯が718世帯(43%)。人口統計を調べても40%の家庭は複合家族でおじいちゃんやおばあちゃんも同居していることになっている。半分以上の子どもが家にいつでもお母さんがおり、それでなくてもおじいちゃんやおばあちゃんが待っていてくれる時代背景だ。
最近だと2024年のTBS系ドラマ『不適切にもほどがある』が1986年を舞台にしていたので、ああいった時代を想像してもらえたらいい。PTAには主婦しかおらず、面談だって必ずお母さんが来る。やはり家にお母さんがいるのが当たり前、そんな時代だ。
それなのにカミーユの家には誰もいない。たとえ家に両親がそろっていても大声で夫婦喧嘩をする見苦しい大人だ。こういう大人から自分が産まれたと思うと、なかなか悲しい。
カミーユの良い所はそれでも大人の気を惹くために腐って“グレず”に“突っ張らず”にいるところだろう。女らしい名前のイメージを払拭しようと男らしい趣味、小型飛行機やジュニア・モビルスーツに熱中したり、空手部に所属してそれぞれで結果を出している。ジュニア・モビルスーツの大会では優勝もした。かなり真剣に取り組んでいることがわかる。それなのに子どもの頑張りに目を向けずに仲違いしかしない、1番身近にいて甘えられる大人=両親、社会集団の最小単位=家族の姿に、思春期を迎えたカミーユの心は嘆いていたのだ。
そんな主人公の魅力が詰まっているエピソードは第19話『シンデレラ・フォウ』第20話『灼熱の脱出』の2本だろう。40年前の画質をスマートフォンで観るのはやや疲れるかも知れない。いくら名作といわれても、当時のアニメは作画の乱れが多い。画面比も違う。それでも時間がある時にこの2本をぜひ見て頂きたい。
……あらすじを説明する。ここまでに主人公のカミーユは“なんやかんや”あって地球連邦軍のエゥーゴという組織に所属することになり、敵対する地球至上主義の組織ティターンズとの戦闘に日々駆り出され、殺伐とした生活を送っている。カミーユは戦いが好きな戦闘狂ではないが、正義感の強さから戦争を終わらせるために自分から戦わなくてはいけないと信じているのだ。
しかし戦争はそう簡単ではない。人の死を何度も目にすること、大人たちの利権や思惑に巻き込まれることでカミーユは“スレて”いた。自分になにがにはパイロットとしての価値しかないのか。頑張れといってくる大人たちは自分たちの利権や利益のことしか考えていないんじゃないか。
鬱々としていたある日、カミーユは町で美しい少女に出会う。それが歴代ヒロインの中でも人気の、フォウ・ムラサメだ。高校生ほどの年齢の2人は一目ぼれのように惹かれあい急接近。積極的な女の子に戸惑いながらも精一杯背伸びするようなカミーユ。ロボットアニメらしからぬ甘酸っぱいストーリーだ。にやにやしてしまう。
そこで2人の会話は名前の話になる。カミーユが自分の名前を女のようで好きじゃないと話すと、フォウも名前を嫌っているのは同じだと話す。フォウというのは仕方なく付けられた仮の名前で、本当の名前ではないのだ。そんなフォウの名前を素敵だと話したカミーユ。そうかなと問い返すフォウ。辿り着いた屋上の上で、心が通い合ったように思われた2人。
だが、この出会いが大きな悲劇になる。なんと次の場面では2人は敵同士になっているのだ。やはりそこは『ガンダム』シリーズ。ただ青春群像劇を流すアニメではない。
わたしたち視聴者はアニメを通して、人が良い方向へ変わっていく瞬間を望んでいる。このエピソードでカミーユの精神的な成長を目にすることで、ぐっとこのアニメを好きになることだろう。
どうしてガンダムが45年も愛されているのか。もはや50周年を見据える『ガンダム』シリーズ。ほかのロボットアニメとなにが違うのか。一言で言い表すことはできないが、それはただのロボットアニメではなく、敵でも味方でも戦う理由をきちんと伝えている事、その上で戦争が無駄なものだと一貫して伝えているところだろう。
戦争の最小単位は1人の人間と1人の人間の小さな出会いからはじまっている。親子、兄弟、恋人、友人。同郷の仲間、上司と部下……。『ガンダム』はフィクションの世界だが、みんな全てが幸せになれるファンタジーではなく、現実と同じ「人は永遠に分かり合えない」というテーマを根底にずっと描いている。人類すべてが幸せになることはないし、生まれおちた場所が違うだけ、立場が違うだけ、世代や性別が違うだけでみんなが必ず不幸せに生きている姿を描いている。
心の底から「幸せになりたい」「穏やかに暮らしたい」「平和で満たされた生活をしたい」と願うのは悪でもなく善でもなくただ人間の本質なのに、誰も幸せになれない。それでも何かを変えるために戦争をしてなんとかしようとしてしまう。戦争をすることでもっと悲劇は増え、取り返しのつかない命が奪われ、人は分かり合えなくなるというのにどうして戦争をするのだろう。これはアニメじゃない、本当の問題だ。
先日11月29日にNHKで『ガンダム沼』と銘打たれた番組が放送された。その中で幾多の名曲の中から、ファンが選ぶ1番のガンダムソングに選ばれたのは『BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)』という曲だった。人類全てを守れる壮大な平和より自由より、ただ目の前の人と幸せにすごすことができたらどんなに幸せだろう。それを願いながら実現できない人間という存在が、とても無力で愛しく思えるのがガンダムの魅力なのかも知れない。
ちなみにこれは余談だが、フォウ・ムラサメというヒロインは後世にも大きな影響を与えており、10年後の1995年に放送されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒロイン、綾波レイはフォウ・ムラサメにインスパイアされてできたヒロインだ。若い世代の人にもフォウの魅力、カミーユの魅力、『Ζガンダム』にぜひ触れていただきたい。冬休み、この機会にいかがだろうか?
