著: ヘルマン・ヘッセ 訳: 松永美穂
新潮文庫版既読。光文社古典新訳文庫にて、電子版で購入。
教育というものは難しいと思う。一つ間違えればハンスのように若くして自死を選んでしまうかもしれないからだ。
ハンスは自由に生きていたハイルナー側の人間になりたかった。だが大人たちはそれを許さなかった。ハンスは優等生でなければならない。有名校に進学しなければならない。
ハンスの死はハンスの名声よりかは自分たちの名声にこだわった大人たちが生み出した末路なのだ。最後にハンスがどうしてだめになってしまったかが言及されたのは、ヘッセの良心だったかもしれない。
ハイルナーとハンスのモデルはヘッセ自身らしいが、自分をモデルにしたキャラを二人にした理由を考えると、ヘッセも一歩間違っていたら自分は死んでいたかもしれない、死んだとしたらどのような死に方か…みたいな動機で書いたと想像できなくもない。
ハイルナーとハンスの関係は奇妙なものである。恋愛感情を匂わせるようなシーンもあり、当時の女性読者がどう思ったか非常に気になる(笑)
それくらいお互いに惹かれあっていた。だからこそ彼らは一緒に生きるべきだったように思える。
ハイルナーは中盤にしか出番がないが、存在感が強いのはハンスに対する大きすぎる感情表現の影響なのかもしれない。もちろんそれはキスシーンみたいな性愛的なものではなく、彼を自分の世界に引き寄せて守りたかった、という友情にも似た感情だったのかもしれない。
ハンスは大人たちに逆らうことができなかった。後書きによればタイトルの「車輪」は、大人および大人たちが管理する社会の構造であり、ハンスはその「車輪」に押しつぶされる者である。「押しつぶされる」はソフトに表現すれば「可能性」だが、結果的にハンス自身の「生命」になってしまったのだから、絶妙なタイトルのつけ方だと思う。(原題は「Unterm Rad」で、直訳らしい)
この世界は(まともな人生を送っている)大人を中心に回っている。まともじゃない人生を送っている大人である自分にしてもハンスに共感を覚える。
ハンスの父親はハンスをどのくらい気にかけたんだろうか。彼は健全な父親だったんだろうか?父親自身もまたハンスを潰す「車輪」に加担していたかもしれないと思ってしまう…。
受験競争を生き抜く現代の子供たちには他人事ではない話だ。どうか、彼らがハンスのように「押しつぶされて」しまわないように。
