ボランティア日記第一弾 カルカッタ編 後編

「人」から覗くインド

1.【YMCA】の人々

空港を降り立った私達を真っ先に迎えてくれたのが、A=M氏。緊張していた私達に、「怪しいタクシーの客引きでは?」

と、あらぬ疑いをかけられたアンジャン氏だが、実はカルカッタYMCA福総主事

ランチパーティーでは美しい奥さんと一人息子を紹介してくれた。以降、ツアー全般にわたりサポートしてくれた頼もしいスタッフ。

大の日本好きでジャパンナイト用の箸から皿まで、あらゆる物を収集していた。カルカッタYMCAの施設は、多様にある。私達の宿泊したチョーロンギ―通りのYMCAの他、同市内のウェリントンYMCAではドミトリー(長期滞在)も受け入れており、ランチパーティーでサンタクロースに扮したボランティアリーダー、又別のスタッフ一家に出会い一人娘の美しいお嬢さんに紅茶の入れ方を教えてもらった。{インドは、美男美女が多かった。}夫妻には、買い物に案内してもらったりと大変お世話になった。ラナグハットのヴァケーショナル センターやボーイズホームを含む施設の所長ラハ氏、ジョイ氏も忘れられないメンバーだ。又、YMCAには日本からマザーテレサの施設にボランティアに来た人からインド国内を旅する現地の人まで様々な人が滞在する。

2.【カルカッタのロレンス】

カルカッタの朝は早い、午前2時にはもう街の動き出す音がする。何より騒がしいのが終日響き渡るクラクションで、これはカルカッタの最大の特徴と言える。そんなカルカッタで私達が移動する際、YMCAのバスを「アラビアのロレンス」の如く颯爽と運転してくれたロレンスは、「割り込むが勝ち」の運転で負け知らず。「ヒーローと同じ名前だね」言うと喜んだ彼は、暇さえあれば、髪を整えているので若いメンバーの子が「インドのキムタク」と命名した。

(今も元気にカルカッタの街を爆走しているだろうか?)

3.【ケララ州の姉妹】インドで迎えた元日、私達は観光バスで一日、名所巡り。渋滞の為、あちこち見逃したものの夕日の沈むガンジス川を眺め、そこで見た沈みゆく大きくて丸い太陽が素晴らしかった。「終わり良ければすべて良し」とした。(ガンジス川で沐浴をしたかったが、時間の都合上出来なかったのが残念だった。)

そのバスで、親戚を訪ねケララ州から二日かけてカルカッタに出てきたという姉妹とその姉の幼い娘さんに出会った。エンジニアをしていると言う姉、クリシュナ、家族紹介に旦那さんが登場しなかったが事情は聞かなかった。ラナグハットで見た英字新聞は日本の離婚率の高さを報じていたが(写真が松田聖子だった。)インドで彼女の顔を見るとは思わなかった。)団長の説明では、インドでは、離婚など考えられないらしい。まだまだクリシュナのように自立出来る女性は少ないのだろう。

4.【地下鉄にて】

カルカッタにしかない乗り物。それは市バスと地下鉄。1月2日、地下鉄で買い物に出た私達は帰路、一人の老紳士に遭遇した。メンバーの一人に、「ダージリン(ヒマラヤ山脈麓の街)出身か?」(なぜだ?)私達が日本出身と分かると、彼は、「日本は戦争で我々を助けてくれた」と大の親日派ぶりを見せた。第二次世界大戦中、帰りに立ち寄ったシンガポールではアジア解放を大義名分に掲げた日本軍が独立同盟(INA)の軍事部門・インド国民軍の結成や「自由インド政府」の樹立を支援した。ちなみにカルカッタの地下鉄は1984年開通。内部は綺麗で自動改札も完備しているが、日本の大手企業が技術指導で参画したという。意外なところに日本とのつながりを見た。

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まりあ 如月

私は数年前に倒れ、高次脳機能障害となりました。独身ですが、大学生の息子が一人います。趣味は、旅行、温泉、カラオケ、ダンス、映画、韓ドラ鑑賞、読書、写真、ビリヤード、川柳、子供関係のボランティアと多趣味です。特技は、文章を書くこと、人前で話すこと(司会、挨拶等) 趣味や、経験した楽しいお話、また皆様に聞いて頂きたいお話を、物語風に作成しました。是非覗いて下さいね。

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