No.6(2026年1月23日)
ひよこには最初に目にした物を親だと認識する、刷り込みという習性がある。
わたしが三軒茶屋を好きな理由もきっとそうだ。三軒茶屋は高校を卒業したばかりの多感なわたしの、人生で初めてのひとり暮らしの街だった。18歳から20歳までのたった2年でも、30を過ぎたいまの2年とは“なにか”が違ったように思える。わたしの思い出の中の三軒茶屋は0か100かの激しいグラデーションでいまも頭の中に残っている。
「住めば都」ということわざがある。そのことわざどおりだと、どこに暮らしても最終的には「ここはいいところだなぁ」となる。三軒茶屋は本当に暮らしやすい街だったと思う。きっと若者にちょうどいい立地だったせいだ。思い出がたくさん出来た。
たとえば大学のない日に「きょうは原宿に行こう」と思う。乗り換えを含め15分後には原宿に着くが、渋谷から明治通りをのんびり散歩しても原宿には行ける。途中にはおしゃれなカフェやセレクトショップが立ち並び、天気のいい日は歩くだけで気分が上がった。友達への誕生日プレゼントに背伸びしたい時もここを歩けばなにかひらめいた。TSUTAYAで借りた洋楽を聴きながら歩くと、トウカエデの葉っぱの影がザワザワと揺れて気持ちよかった。
また別の休日に下北沢へ行こうとする。三軒茶屋駅から15分おきのバスに乗れば210円で下北沢に着ける。下北沢では古着屋さんをたくさん見る。安いランチも多い。わたしはいつもエスニック料理屋さんのランチビュッフェに決めている。メインの料理をパッタイにしたらサイドメニューがビュッフェになっていた。少し薄暗い店内で食べるパクチーの乗った甘辛い春雨サラダは雰囲気もあって格別だった。よく冷えたグアバジュースも美味しかった。
もちろん出かけなくても三軒茶屋は楽しい。沖縄風の焼肉屋さんはホルモン中心で安く、〆にはソーキそば。戦後の闇市がルーツの古い商店街には中華まんの屋台があり、よくちまきなどの飲茶を買って帰った。24時間営業のスーパーもあるけれど八百屋さん魚屋さんもあった。安くなったアナゴを買って後悔したりもした。レトロだけど活気のある街だった。
それらはどれも仙台とは違う刺激だった。
地元の仙台が嫌いなわけじゃない。仙台は小さくてうまくまとまっている。仙台は仙台駅を中心に環状に栄えていて、いろいろな企業の支店やシティホテルが駅前に集中し、町は清潔で区画が整っている。いくつかある駅ビルの中にユニクロや無印良品が入り、ビルとビルの隙間に少しずつカフェや古着屋さんが混ざっている。
こちらにも戦後の闇市がルーツの横丁や商店街があって居酒屋さんやご飯屋さん、八百屋さんや魚屋さんは鮮度もよく魅力的だ。もっといいアナゴもあるだろう。野球場も仙台駅から歩ける範囲にある。少しずつすべてがそろっている。なかなかこんな街はない。
青春時代というのは往々にして美化されやすい。なぜ三軒茶屋が特別なのか。この機会によく考えてみた。そうすると三軒茶屋が特別だったというより、自分の心が特別だったように思えてきた。
そう、三軒茶屋は高校を卒業して社会にポンっと飛び出したわたしを受け入れてくれた。水道代の払い方やごみ捨ての仕方、失恋の乗り越え方もすべてこの街から教わった。くよくよしてもオシャレなご飯屋さんが胃袋と心を満たしてくれたし、そこで大学のクラスメイトが一緒に笑ってくれた。見知らぬ土地でバイトをしよう、友達を作ろうとポジティブになれた性格も、安く可愛くなりたい古着好きのスタートも三軒茶屋だったかも知れない。わたしの育ての親には違いない。
ひよこは最初に目にした相手を親だと勘違いするらしい。たとえそれが生き物じゃなくても。
あれから16年経った。生まれたての赤ん坊だって高校生になっている。ずっと昔の、もう暮らすことはない三軒茶屋。それでもわたしは三軒茶屋を諦めていない。
最近わたしは三軒茶屋に一軒しかないホテルを予約した。5月に1人で思い出を探す旅に行くことにしたのだ。キャロットタワーから夜景を見よう。あの古いちゃんぽん屋さんに行こう。
きっといま三軒茶屋に行ったら実際の人の冷たさや街の変化に打ちひしがれることだろう。それでも、それを覚悟のうえでわたしの頭の中は旅行の計画でいっぱいだ。三軒茶屋は変わったのか、わたしは変わったのか。変わっても懐かしさはちゃんとあるのか。16年の答え合わせが楽しみだ。
