先月の日曜日のこと。雪で垂れた竹が電線に触れそうといった通報が入ったためこれから確認し、伐採次第、発車いたします、といったアナウンスが電車内に何度も響いた。伐採どころか、確認までおよそ二〇分は費やしていて、私はがっかりしていた。問題の竹が生えている一つ手前の駅で停まっていたので、観念してタクシーを使い、節約したく、目的地になるべく近くかつ電車が通っている駅を目指した。伐採が終わったとて、また雪絡みで帰宅も遅れるかもしれないと不安になったし、同時に、スマートフォンのバッテリーに気を遣うべく通信を控え、画面の明るさを調整した。帰れなくなる事は未だかつてないけれども、帰りが遅くなるにしても家族に連絡はしておきたいから、最低でも、二、三〇%は残せるように心掛ける。
そのようなアクシデントがなくとも外出中はバッテリーの残量は気にする。というか、スマホを点けて充電の減り具合を見て、またスリープの繰り返しで、気にしすぎるあまり逆に消費している可能性は否定できないし、下手に神経も削っている。本当は、バッテリーと心のためにも見ない方がいいのに。
朝からネットサーフィンしていたらあっという間に減るので注意したい。特別、何か得たい情報がなかろうが、ふとSNSを開く癖があるので、それを抑えて、午後三、四時頃の時点で気持ち七〇%前後キープできていたら私の中では十分。寝る直前に行う充電まで何か気をつける必要はなく、むしろこれからどう扱っても平気なくらい楽な姿勢を取れる。
が、母は違った。この話をしたところ「いや、七〇%まで下回ったら充電したくて仕方ない」という。ガラケーからスマートフォンに買い替えるまで、母はずっとインターネットに触れたためしがなく、ガラケー時代はメールと電話さえできれば良い、といった考え方だったし、私や妹が何時間も続けてゲームをする姿勢が狂気の沙汰のように感じていたほど。母にとって携帯はあくまでも連絡手段の一つであり、画面を見る時間は少なかった。だから、仕事から帰ってきても充電の心配がいらない次元でバッテリーは残っていたが、最近になって、動画を頻繁に見るようになり、また、そこでごっそりバッテリーを失う。これまで一週間放置しても充電が持ちそうな暮らし方をしていた母からしたら、軽い気持ちで動画を見るだけでバッテリーが削れる事実が未だに衝撃的らしく、今や、私よりよっぽどバッテリーの管理に過敏になっている。一日中、家にいてもすぐ充電したがるし、充電しながら何時間も画面を凝視し続けている。バッテリーそのものの寿命と首を痛めないか心配になる。気にする残量が人それぞれだとしても、程があると思うけれども。
