朝にブラックコーヒーを注ぎ、お昼に継ぎ足して、午後三時前後にまた同じコーヒーを入れる。このループを日々繰り返していくうちにマグカップの内側には茶色の膜が張り、縁には渋の輪郭が浮かぶ。何日も洗わずに使い続ける行為は個人の潔癖度に依存することがわかりやすく表れている。
私は、冬に限っては延々と同じマグカップを使い回すことに抵抗がない。風邪を引いたら身体の内側をアルコール消毒するためにウイスキーを飲む! くらいの理にかなった風な暴論めいているけれども、マグカップに熱湯を注ぐのだから、それは実質、消毒じゃないかと考えてしまう。恐らくながら細菌の何割かは殺されるし、夏場と違って、乾燥しているしで平気になれる。
少し前に博物館に行った。縄文・弥生時代の土器が形をそれなりに保って保管されており、そしてまた、それらが当時の生活を伝えるきっかけになっている。そこでふと、思った。偶然の産物である化石とまではいかなくとも、仮に、長い年月を経て、私のマグカップが出土されたとしたら困るな、と。平成や令和の時代を生きていた人の一部はお気に入りの器を洗わずに使い続けるのが慣習だったんですよ。証拠もあります、カップからはタンニンと水道水のミネラル分が微量ながらも検出されました、などと人の気も知らない考古学者に個人の悪習を下手に分析されるのであれば、この時代の皆に、悪いし恥ずかしい。
