誰かのおばあちゃん家の15年前までの思い出。

No.9(2026年3月10日)

 海から近い場所だった。海まで2、300mぐらい。海沿いの道路から広い『山大ホーム』の材木置き場の横を通って、集合住宅の角を曲がるとすぐおばあちゃんの家だった。おばあちゃんの家に泊まると暗闇の中、防潮堤に打ち寄せる波音が聞こえる気がした。風が強い日はとくによく聞こえる気がした。

 春になるとおじいちゃんとおじさんの2人でイワシやサバを釣りに行っていた。わたしも1度だけ一緒に行った。中学1年生ぐらいだっただろうか。防潮堤。天気が良くて暖かい日差しの中、わたしはイワシを4匹釣った。初めてにしてはよく釣れて満足だった。海がキラキラしてまぶしかった。針を外すのはおじいちゃんにお願いした。

 おばあちゃんの家はわたしと同い年だった。わたしが生まれた時に建てられた。

 キッチンが大きくて冷蔵庫とは別に冷凍庫があり、その中には魚がいっぱい入っていた。冷蔵庫のほうはいつもパンパンだ。そうめんや味噌汁を作るための出汁も冷やしてあった。窓際には一年中丸いコンロストーブが置いてあった。おばあちゃんはキッチンのコンロとは別にそこで煮物を作ったりキンピラを作ったり、山菜のあく抜きをしていた。

 昔食堂で働いていたおばあちゃんは、料理が大好きだった。常に作り置きの副菜や漬物があった。春巻きを作ってもらえると嬉しかった。泊まりに行くと朝はおにぎりとお味噌汁を用意してくれた。わたしも早起きして、一緒におにぎりを作った。わたしが力いっぱい握ったので、米がつぶれたやや硬いおにぎりが出来た。おばあちゃんみたいにはいかなかったけれど、それでも自分で握ると特別でおいしかった。おばあちゃんの家の味噌汁にはわたを取った煮干しが具に入っていた。

 おばあちゃんの家は普段できない経験ができる、特別な場所だった。

 2階もあった。2階はおじさんが暮らしていたし、おじいちゃんとおばあちゃんの寝室になっていて、おじいちゃんのハイライトのタバコで臭かった。畳に寝たばこの跡があったり、鴨居にハンガーがたくさんかかっていて生活感があった。無駄に階段を上り下りした。中学生までわが家は狭い平屋の借家だったので、空いている部屋に荷物を置かせてもらっていた。中身は季節の家電や、小さいわたしのぬいぐるみ、おもちゃだ。

 いつもおばあちゃんの家の近くの理髪店に行っていた。なぜか家の近所の美容室ではなく、毎回おばあちゃんの家の近くの理髪店だった。思春期になってわたしが嫌がるまでずっとそこでおかっぱ頭にされた。顔剃りの上手な理容師のおばちゃんだった。犬だったらシーズーみたいなふわふわの髪の毛で、可愛らしいおばちゃんだった。メガネの奥でにっこり笑って、わたしのことをよく可愛がってくれた。

 理髪店の名前は忘れてしまった。おばあちゃんの家の横の、海沿いの綺麗でもない路地を進んだ先にあった。おばあちゃんの家からそう離れていなかったと思う。潮風で傷んだ廃墟が片側にあって、通りはいつも薄暗くて湿っていて、港のこもった匂いだった。よく野良猫を見かけた。最初はわたしで、母は最後に髪を切った。

 先に終わったわたしは大人同士のおしゃべりも退屈で先におばあちゃんの家に戻った。握りこぶしぐらいのすべすべのメロン、ホームランメロンを半分に切ってカレースプーンで食べたのを覚えている。夏になるとなぜかたくさんメロンがあって、それがわたしの大好物だった。いや、大好物だったからおばあちゃんがスーパー『あいのや』で買ってくれていただけかも知れないが。

 それから、おばあちゃんの家に行くときの楽しみはケーキ屋さんだった。普段それほど食べないケーキ。わたしが思春期になるころには大きくて綺麗なケーキ屋さんもおばあちゃんの家の近くに出来たが、よく行くのは『ロリアン』という町のケーキ屋さんだった。少しだけ菓子パンなんかも置いてあって、小さいわたしはアンパンマンの顔パンが嬉しかった。わたしの好きないちごのショートケーキ、おばあちゃんの好きなモンブラン。いつもそこら辺を買っていった。艶があってくるくると巻き癖のついたリボンをかけてもらった。

 楽しみといえば、出前も取ってくれた。おばあちゃんの家に泊まった時や、昼ご飯が必要な時。大きな寿司桶にぎっしりお寿司が入っている様子は圧巻だった。いつもサービスで松茸のお吸い物が付いてきた。おばあちゃんが味噌汁を作るから、お吸い物はあまった割りばしと一緒に輪ゴムで縛られ、そのままキッチンの引き出しに入れられた。大掃除すると小銭と一緒に湿気って固くなっていた。

 大通りに回転ずしが出来た時はそんなに流行らなかった。石巻市民は魚にうるさい。この町で受け入れてもらうのは大変だ。舌の肥えたおばあちゃんが出前で取っていたのはきっとレベルの高いおいしいお寿司屋さんだっただろう。かっぱ巻きだの稲荷ずしだのじゃなく、今だったらマグロのお寿司を食べるのに。どうしてあの頃のわたしはそういうお寿司を食べなかったのだろう。金色に光る寿司桶を思い出すと後悔する。

 このエッセイを3月10日に書いている。もう、あれから15年たってしまった。風景も匂いも空気の温度も、つい昨日のことのように思い出せるのに。もし15年前に戻れたら、なにか出来る事はあったのだろうか。この時期は考えても変えられないことをよく考える。

 このエッセイに登場する場所は石巻市の海沿い、南浜、門脇、雲雀野という場所だ。ここに書き切れなかったエピソードや思い出もたくさんあった。あの場所はいま、『石巻南浜津波復興祈念公園』や『みやぎ東日本大震災津波伝承館』などになって、遠くからバスがきてぞろぞろ観光客が降りてくる。有名人がロケをしたりもする。みんなキョロキョロ辺りを見てなにか話している。ただの静かな海の町だったのに。

 もう行こうとは思わない。もう行く用事がない。捨てられなかった小さいわたしのおもちゃや洋服も、黒い海のどこかへ行ってしまった。同い年だったおばあちゃんの家は流されてしまった。おばあちゃんもおじいちゃんもおじさんも、みんな命が無事だった。無事だったけれど、本当に無事だったのかわからないまま15年たっていた。

 震災の後、荒廃したおばあちゃんの家の周りを歩いたことがあった。泥やがれき、流れ着いたゴチャゴチャしたもの達で足元は凸凹で、目印がないからどこを歩いているのかわからなかった。すべてが更地に見えた。罹災証明書を発行するために、そのなにもない場所をカメラにおさめた。キウイの木の根元だけが泥の中から空に向かってヒョロヒョロと伸びていた。多分ここがおばあちゃんの家のあった場所だろう、と父と話した。世間にはなんでも不謹慎といわれる空気感があった。それでもその状態を見たら冗談みたいで、半笑いしかできなかった。

 帰り道、街道沿いに流れ着いたコンテナを見つけた。それはおばあちゃんの家で物置に使っていたコンテナで、津波の浮力で流れ着いたようだった。中には泥をかぶった子どものわたしの三輪車、割れずに残った青い深皿があった。無事に残っているなんて周りの景色を思えば奇跡的だった。

 わが家で一時同居していたおばあちゃんにその皿を見せると「ああそう!」っと一瞬目が光って感動した様子で、けれどすぐ暗い顔になった。結局そのお皿はわが家で再び冷やし中華用の深皿になった。おばあちゃんが欲しがらない気持ちもすごくよくわかった。

 15年たって、いまでもいろいろな人がいる。大きく分けたら「もっと知って欲しい人」と「触れられたくないし閉じ込めて忘れていたい人」だ。両者はケンカになることもある。あの日を知っている人はきっと、一時もあの日を忘れたことがない。けれどいつかそれも知らない世代が増えて、知らない人の方が過半数になる。標準になる。

 わたしたちに出来ることがあるのだろうか。あんなことがあったから、なにかしなくちゃいけないのだろうか。わたしはどうなんだろうか。

 テントを立ててお正月飾りを駐車場で売っていたスーパー。すり鉢みたいな大きな器のラーメン屋さん。石巻なのに『東京屋』と名乗っていた食堂。いつも家に帰るとき曲がっていた自販機ばかりある酒屋さんの道。

 誰にでもあるかも知れないおばあちゃんの家と、その周りの思い出。わたしはいまそれらのことをぐるぐる考えている。誰も亡くなってなっていないけど、なにかをなくしてしまった気がするわたし。確実になにかがあの日ぽっかりと奪われてしまったわたし。でも思い出すのは誰にでもある思い出で、別に震災があったから特別なわけじゃない。

 それでも「がんばろう東日本」「がんばろう東北」といっぱい聞かされた。ステッカーを貼った車をたくさん目にした。車が走ると埃が舞い上がる泥だらけの更地になったあの場所で、一体なにを頑張れたんだろう。なにもわからないまま、誰の役にも立たない綺麗なおばあちゃんの家の思い出を、誰にでもある思い出をわたしはじっと「震災の話題」として静かに抱えている。

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われモコ

われモコ。お腹は三段にわれている。宮城県在住。1989年生まれ。女性。精神疾患あり。だけど元気がとりえ。趣味は古着と料理。現在子育て中。エッセイ、コラムを中心に活動をしながらタイピングスキルのアップと、パソコンに慣れていくのが目標です。アイコンのイラストはサインペンとクレヨン、色鉛筆で作りました。頭に乗っているのは息子的なマスコットのひよこです。

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