「こんな高い服、買っていいと思ってるのか?」
「私なんかには、贅沢だろう」
「もったいない。金の無駄遣いだ」
2019年、25歳。
私の着ている服は、まるで年齢に見合っていない、中学生の着ているような服や、着古したボロボロのものしかなかった。
インターネットの知人に「子どもっぽいよw」と笑われて、ようやく服装のおかしさに気がつき、
身だしなみを整えようとした私は、はじめに書いた言葉たちに襲われた。
それがきっかけで気がついたのだけど、服を買うことを考えただけで、自分を責める言葉がつぎつぎと浮かんでくるのが、私にとって当たり前になっていた。
「自分にそんな価値はない!」「お金を使うことは悪いことだ!」と、ことあるごとに自意識がストップをかけてくる。
服に限った話ではない。他にすすめられたスキンケアや美容室なども「悪いことだ」と罪悪感で苦しくなり、手が震えてくる。
そんなわけで、2年前の私は、世間一般の、20代の若者が楽しんでいるような「遊び」なんてもってのほか、外に出かけるための服すらないありさまだった。
「わたし」の話
こうなってしまったのには、いくつか心当たりがある。
私は幼少期から、お金の使い方を厳しくしつけられてきた。
親戚からいただいたお年玉は渡すように言われ、手元にはほとんど残らなかった。自由にゲームを買って、友だちで集まって遊んでいる同級生が羨ましくて、私はただ、輪の外からみんなを見ていることしかできなかった。
必死に頼みこんでようやく得た月のお小遣いも、使い道をことこまかに報告しなければならず、それが親の意に沿わないものだと「そんなくだらないものに金を使うな!」と厳しく叱られた。
「うちにそんな金はない」「もったいない」「金食い虫」と、そんな言葉ばかりが耳に残っていて、
子ども心ながら「あぁ、私は邪魔な存在なのだなぁ」とぼんやり思ったのを覚えている。
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そんな私は、中学生ではもう「同級生とおなじ」はあきらめてしまっていて、興味のあること、欲しい物を固く我慢してきた。
ずっと、欲望のある「悪い子」の自分が嫌いだった。でも、我慢していれば両親の望む「いい子」になれるんじゃないか。そうすれば私でも、生きていていいんじゃないか。
生きることを、許してもらえるんじゃないだろうか。
蜘蛛の糸にすがるような気持ちで、私は「〇〇したい!」という心の叫びをずっと、押し殺してきた。
こうして、20歳を過ぎてボロボロの服をきた、世間知らずな「おとなこども」だけが残った。
おとなこどもについて
「おとなこども」は、ものごとを自分で決めることができない、決めた経験がほとんどないまま、大人の年齢になってしまった人のことだ。
親に言われるがまま、自然な気持ちにふたをして、「いい子」として気に入られるように振る舞っていると、成長するにつれて、やがて親でない他人の目まで気にしはじめる。
そして、他人に気に入られる「いい人」を演じるようになる。
いや、少し違うな。
嫌われないために「都合のいい人」でいようとするんだ。
他人に嫌われるのが怖いから。
でも、そんなことを続けてると、自分はいったい何が好きなのか、どうしたいのか、何者になりたいのか、
だんだん自分の心がわからなくなり、ついには自分ひとりで何もできなくなってしまう。
そうやって年齢だけを積み重ねていき、見合った経験をもたない。精神年齢の幼いひと。
それが「おとなこども」だ。
転機
そんな情けない「おとなこども」の私だったが、
インターネットの世界では、すこしだけ自由になれた。
親の監視の目がとどかない場所、お金がなくても無料でゲームができる場所、同年代の子たちが掲示板やSNSで話している場所、
どこへいくのも、また離れていくのも自由だった。
ネットのメンタルヘルス系フォーラムや、Amazonで買った心理学関連の書籍を読み漁るうちに、自分と似たような症状をもつ人が大勢いるのに気がついた。体験談も読んだ。
ずっと「私が悪い」と思っていた。
でも、ちがった。
苦しんでる人がほかにも沢山いて、悩んでいた。
私には、それだけで充分だったし、とても救われる思いだった。
それから、体験談や治療方法をもとに私の心のリハビリがはじまった。
回復への道のり
小さなものから、過去の自分がしたかったことを叶えてあげるようにしたんだ。
「あっ、あのジュース飲んでみたいな…」
『ダメだ!許さない!無駄づかいだ!!』(自己否定の声)
『いや、もうきみは大人の年齢だ。好きに買ってもいいんだよ』(自分への声かけ)
こう、我慢している自分の気持ちに寄り添うように内側から声をかけていった。
もう、いいんだよ、って。
はじめは数百円のお菓子やジュースから。すこしずつ。ゆっくり金額をあげていった。
半年ほどして、ずっと憧れだった500円くらいの漫画本を買えた。うれしかった。
まるで、子どもの自分をはじめから育てなおすような気持ちで、自分に優しくしていった。
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ある日、「あ、いけるな」と思った。
仙台駅前の、アエルのビル、その中にあるユニクロに入る。
すこし苦しいけど、大丈夫だった。
自分が着たい服をイメージしてみる。できた。
服を手に取って身体にあて、鏡で自分の姿を見てみる。できた。
後ろめたい罪悪感で胸がずきずきして痛かったけど、前ほどじゃない。
ただ、服を1セットでもそろえようとすると上着が3000~4000円、ズボンが5000円はするから、会計はゆうに1万円を超える。
こりゃ絶対に失敗はできないぞ、と思い、自分にとって着やすくて、無難なデザインの服をじっくりと選んで、ガチガチに緊張しながらレジで会計をする。できた。
実に、4時間かけての買い物だった。