「アラサー」になってみたら

保育園くらいの幼い頃、「アラサー」という言葉を聞いても、それがどんなものなのか想像がつかなかった。

なんだか、荒めのサーブをするバレーボール選手がイメージされる。
バカバカしい話だが、私の「アラサー」という言葉に対する想像力はその程度のものだった。

しかし、小さな頃であれば、別に「アラサー」という言葉を理解していなくても、生活に何の支障もない。暮らしていける。

だから幼い私も別に「アラサー」という言葉の真の意味をつかむことはせずに、のほほんと過ごしていた。

しかし、成長するにつれ、どこから得たのか知らないが「アラサー」に対する知識を気が付いたら身に着けていた。

「アラサー」とは「around 30」、つまり30歳前後の人間のことを差している。特に、昔は女性に対して使われていたような気がする。…まあ、この言葉の意味を知ったとて、30代前後が一体何だっていうんだ?何か特別な時期なのか?とまったくよくわからないままであったが。

そして現在、私は「アラサー」である。やはり、「アラサー」になってみないと「アラサー」のことはよくわからない。経験することが一番理解に近づける。正しく「経験者は語る」である。

私が「アラサー」になって感じることは「結婚」や「子ども」というキーワードが色濃く出てきたな、ということである。

私には友人が少ないが、それでも幼い頃に仲良くしていたり、関わったりした子どもたちは何人か存在する。(もう、私も彼らも「子どもたち」ではないが)

そのかつて交流があった子どもたちの消息は、主に親やたまたま連絡の取れた当人から知ることができる。

大抵、彼らの現在の状態を聞くと、「結婚している」・「今度結婚する」・「結婚して子どももいる」のいずれかである。

私の印象では、「アラサー」にもなると、もはや結婚して家庭を築いている人が多くのパターンなのである。

かつて子どもとして一緒に駆け回った友人たちが、結婚して子どもがいる状態を聞くと、私はたまらなく切なくなる。

野原みさえも29歳だ。

やはり、人生における理想または当然の流れにおいて、私の年齢はそういう年代なのだ。

私はその流れから明らかに脱線している。取り残された気持ちと、みじめな気持ちでいっぱいになる。

けれども、しょうがないのだ。そういう人生なのだから。

このように、「アラサー」になってみると、人生について思いを馳せるようになることがよくわかった。

ただ立派に社会人を経験し、恋愛をし、結婚を経て子どもを育てている人たちは「アラサー」という言葉にあまり反応しなさそうだなとも思う。

多分、私のような身の置き場のない人間などが特に「アラサー」という言葉に敏感に反応し、傷つき、時には焦るのだろう。

ある意味、人生の世知辛さというかほろ苦さを感じるのが「アラサー」という年代なのかもしれない。

終わり

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テオ

はじめまして。テオと申します。自閉症スペクトラム障害(ASD)です。主に物語とエッセイを書きます。よろしくお願いします。

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