誰かのためにあった自分、自分のための自分

 一月某日、過去一、二を争うような気の沈みに襲われた。人の声や視線が怖い、というレベルにとどまらず、少し大きめなドアを閉める音にさえ過剰な恐怖感に苛まれる。とても外に出る気になれず、一週間近くひきこもる羽目になった。

 幸い症状は日を追うごとに回復し、6、7日目になるとまともに思考する余裕も生まれてきた。しかし、身体は相変わらず鉛のように重く、少し外に出てみたものの、案の定疲れ果てベッドに横たわった。

 いつもならここで少し気分だけでも上げて、なにか楽しいことに思いを馳せるところだが、なんとなくその日は昔のことが思い出された。

 わたしは昔から誰かに褒められるのが大好きな子供だった。あれも面倒だし、これもつらいけれど、誰かが褒めてくれるからなんでも頑張れた。いままでそれを悪いことだとは思わなかった。

 だが、そこでその日のわたしは違和感を覚えた。わたし、今までわたしのためになにかをしたことはあったかな。

 多くの学生にとって、身だしなみを整えること、学業に勤しむことはあたりまえのことで、それをあたりまえだからという理由で好きか嫌いかはさておきやりはするだろう。だが、その『あたりまえ』は、当然に自分のためにやることだったのではないだろうか。自分を綺麗に見せるため、自分の将来のためにやることではないのだろうか。

 わたしの場合はどうだっただろう。身だしなみを整えるルーティンは、やらないと親に怒られるからやっていた。だから一人暮らしになった途端に出来なくなった。やっている学業は、自分のやりたい分野とはほど遠かった。だが、その分野に進むと親が喜んでくれた。だから一人暮らしになると誰も褒めてくれなくて、やる気がなくなってドロップアウトした。

 わたしは、ひとりになると途端に空っぽになるのだと、唐突に気が付いた。

 もっと、わたしのために生きていきたいと、気づけば涙がこぼれていた。

 わたしは、その日から「わたしに褒められるために生きる」ことに重きを置くことにした。試しに日常のルーティンの一つを、とりあえず他者に褒められるためにそこそこにやるのではなく、自分で納得できるくらいにやってみた。するとどうだろう。「おっ、いい感じじゃないかわたし。」と、素直に自分を褒めることができた。これは常日頃から自己肯定感が皆無のわたしにはいまだかつてあり得ない出来事だった。

 わたし、わたしのことを褒めることなんてできたんだなあ。などと感動すら覚えながら、その日はほわほわとした気分で眠りについた。テレビでとある有名人が、「自分の機嫌は自分でとります」と言っていたなあと、夢うつつに思い出したのだった。

 この文章を読んだあなたは、自分で自分を褒め、自分のためになにかをしたことはあるだろうか。ひとによってはなにをそんなあたりまえのことを、と思うかもしれない。また、ひとによっては、もしかしたら思うところがあってハッとしたひともいるかもしれない。

 前者にはあたりまえにそれが出来ている自分をもっと褒めてほしい。後者は今回の気づきから、なんでもいいからなにか自分で褒められるくらいなにかをやって、そして存分に自分を褒めてあげてほしい。そう思うわたしです。

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明日照

Aster、アステル、星。明日照る星になりたい、わたしです。 その時々の気持ちを絵や文で表していきます。

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