満足の境界線

 前回のエッセイで、わたしは「目指すものとはほど遠い分野」へ大学時代進んでいった、といった話をしたのだが、今回は「夢見ていた分野」の話をしようと思う。

わたしの夢                   

 わたしの幼少期の夢は「歌って踊れるアイドル」だった。小学生くらいの女の子にはありがちな夢だったかもしれない。ただ、この夢を親に話すと、「それはすごい夢だねえ」と笑って、まったく本気だとは思わずまともに取り合ってくれなかった。わたしはそれがショックで、それ以来本当に自分がやりたいことを親に話すことは長らくなくなったのだった。そのままわたしは人生でいまだ自分のやりたいことをやったことも、夢を追ったこともない。

 閑話休題、幼少期の夢想はさすがに消え失せ、中学、高校、大学と好きでもない勉強をしながら、夢見るようになった職業は、「声優」だった。あれ、十分夢想よりの夢では?と思われるかもしれないが、当時からわたしは大のゲーム好きで、声優の声を聴く機会は多かった。その分身近に感じやすく、それ故に憧れも強くなっていった。

 それから、大学をドロップアウトしたり、ニートになったり、パートを頑張ってみたり、またニートに逆戻りする中で、何度も「声優になりたい」という思いは寄せては返す波のようにわたしの心に浮き沈みしていた。ネットサーフィンをするときにふと好きな声優の経歴や所属について調べたり、声優養成校のホームページを覗いたりすることがままあった。

 つい先日も、仙台に分校のあるフレックス制のボイトレ学校に入りたい!という気持ちで頭が満たされていた。プロの声優から学べる、マンツーマンで学べるというところに大いなる魅力を感じた。

 早速わたしはそこに通うための算段をたて始めた。捻出しなければいけない金額、どのくらいの時間を割くか、毎日の生活はどう変化するか。考えることはとても楽しい作業だった。夢を見るときはいつも楽しい。

 しかしそこでわたしはふと立ち止まった。声優学校にいくことは、夢を追うことはとても楽しいだろう。だが、いつまでそれを続けるのだ?

満足の境界線

 実際問題、わたしはもうただただ夢を見ていられる年齢でも、家族に支えてもらうことが無条件で許されるような年齢でもない。それなら、当たり前に費用も、時間も、自分で捻出しなくてはいけない。そうなった時に、わたしはどのくらいその夢を追えるのだろうか。もっと正確に言えば、「どれくらい夢を追えば、わたしは満足できる」だろうか。

 その境界線を知るためにまず必要だと思ったのは、仕事の内容がどんなものなのかを知ることだ。具体的に夢を追うのなら、地に足の着いた目標がなければならない。ふわふわきらきらとした「夢」というものは、想像はできても追いつけるものではないだろう。

 少し調べてみると、インターネットが普及した昨今において、声を仕事にする手段は「プロの声優」と言われてぱっと思い浮かぶようなものだけではないことが分かってきた。例えば技術を個人で売るようなサイトで声を商品として売ることもできる。動画サイトやアプリで自分の声を世界に発信することも容易だ。それでもわたしは「プロの声優」になりたいだろうか。

 答えを探すためにわたしは声優についてもう少し調べてみることにした。久々に本屋に行って、声優を目指す人のためのバイブルのような本を購入してみた。

 今わたしはその本を読みながら、今後のわたしに思いをはせている。これから先、どんな未来が待っているのだろうか。今までにないくらい未来を考えるのが楽しい。そう思っているわたしです。

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明日照

Aster、アステル、星。明日照る星になりたい、わたしです。 その時々の気持ちを絵や文で表していきます。

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