竹馬の思い出

「あなたの取り柄は何?」とは誰も聞かないし、私も誰かに対してこんな質問を投げかけたことはない。そもそもこういう質問は不躾で傲慢である。

ただ、何となく生きていくと「あの人のああいうところがすごい」だとか「この人のこういうところが良い」だとか思うことは少なからずあるものだ。

私の場合、他者に尊敬や憧れを抱く一方で、「それに比べて自分には特に取り柄がないよなあ」と卑屈になったり嫉妬心を抱いたりもした。

パッとしない自分を恥ずかしく思う。元から自信のない人間ではあったが、最近は就活に向けての自己理解ワークを行うことで「なんかなあ、私の良いところなんてあるのかな」と思う機会がまあまあ増えた気がする。

このように、あまり私は自分に自信がない。昔からそうだった。

ただ、あまり華のない人間ではあったものの、小さな頃は竹馬が乗れた。だから体育の時間に注目を集めたことがある。

小学校時代の話ではあるけれど、みんなの身長よりも足の長い竹馬に乗って体育館を闊歩したときは爽快であった。みんなが私を見て「すごい」と褒めてくれたことを覚えている。

みんなから見上げられて得意になったのは言うまでもない。

普段関心されることは少ない私だけど、竹馬に乗れることは特技と呼べるものかもしれない。
そのときはそう思った。

竹馬に乗っているときは、スーパーマンにでもなったような気分になった。私はすごいことをしているんだ。かっこいいなあと思った。自分で自分が誇らしかった。

竹馬に乗れたのは、本当に幼い頃、近所のお姉さんが私の竹馬の練習に付き合ってくれたからである。彼女は近所の床屋の娘さんで本当に優しい人だった。竹馬を支えてもらい、一緒に道の端で練習をした。そのことはうっすらと覚えている。確か、私が保育園時代くらいだった気がする。

お姉さんとの特訓のおかげで、私は見事竹馬を乗りこなせるようになった。それは小学校に入学しても変わらずで、前述したように、私は体育の時間に竹馬をみんなの前で乗りこなしてみせたのだった。

しかし、その後はあまり竹馬に乗る機会がなかった。だから、今私が竹馬に乗ることがあったとしてもうまく乗りこなせる自信がない。

いや、今はもはや乗れないとは思う。体重がかなりヘビーになってしまったし、バランス感覚も悪くなったから。

もし仮に乗りこなせたとしても、それがどうしたと言われたら「まあ…」としか言えないのだけれど。

しかし、たとえどんなことであっても、できることがあると思えるだけで人は結構嬉しいものだ。自信にもなる。

でも、もしまた特訓ができるならやりたいし、乗れるようになったら特技の1つとして数えたいと思う。

終わり

  • 26
  • 3
  • 2

テオ

はじめまして。テオと申します。自閉症スペクトラム障害(ASD)です。主に物語とエッセイを書きます。よろしくお願いします。

作者のページを見る

寄付について

「novalue」は、‟一人ひとりが自分らしく働ける社会”の実現を目指す、
就労継続支援B型事業所manabyCREATORSが運営するWebメディアです。

当メディアの運営は、活動に賛同してくださる寄付者様の協賛によって成り立っており、
広告記事の掲載先をお探しの企業様や寄付者様を随時、募集しております。

寄付についてのご案内