無題の性別

日本国民である山都ウミは、事実として「既婚女性」であり、「妻」である。”事実”の意味するところはなにか。いまは「法のもとに定められた、私の戸籍上の属性」のつもりで使った次第である。それは私にとっては”真実”ではないのである。

(1)「女に生まれてよかったな。だって、君が好きになってくれたから」

ほんの少し前までは、自分が「既婚女性(妻)」であるということに関して、それほど疑問に思わなかった、というか、むしろ自分はそういうラベルを戴くことで商品価値を上昇させることに躍起であった。十五、十六、十七と、私の人生暗かった。自己肯定感が激落ちしていて、自分の「コンテンツとしての価値」がなければ、生きてる意味がないと思っていた。私は女でいなければ、それも、おもしれー女にならなきゃいけなかった。10代、20代、30代と、そういう強迫観念に苛まれる日々が私の人生の大半を占めていた。

そもそも昔から、”女の子なのに”「ガンダムが好き」で、「工学部卒」で、「酒に強い」し、「エグい下ネタを言っちゃう」自分をアピールするのが快感だったのだ。これっていわゆるギャップ萌えってやつ?(笑)って感じ。とにかく、オンラインでもオフラインでも。「◯◯(※世間ではふつう男性が好むとされているもの)好き女子♡」とあえて喧伝することで意外性が際立つよう演出していた。なお、「女子」は「女子高生」「女子大生」「人妻」と置換可能である。女と若さと人妻の大安売りである。本当、いまにして思えば笑っちゃうけど、当時は必死で、真顔で、血眼でやっていたんだから。

だが、ほんの1年とちょっと前くらいから、そんなことしなくても良くなってきた。そんななかで、あえて自分の性別を「男」とも「女」とも決めない人もいることを知ったとき、なんとなく、試みに「私って本当に女なのかな」「本当に女でいたいのかな」と考えてみた。

そのときはじめて、自分は「女であるのをいいことにちやほやしてもらう」ために、自分の女性という性別を”使って”きたのだと気がついた。

(2)「無課金ユーザー、初期アバターが女体だった件」

そのころには、結婚してもうずいぶん年月を経て、いまさらどこの馬の骨とも知らぬ人々にちやほやしてもらいたいと切実には思わなくなった。自分はモブキャラでもいいや〜と思うようになったのだ。年のせいもあろう、己の心身の限界がわかってきたのもある。そんな私はもう、「性別:女」という属性を使わなくてもよくなってきていた。そして、そういう自分の心を見つめ直したときに、少なくとも「私は女性である」という実感がないようだと気がついた。自分を女性であると思える理由が見つからなかった。では、女性ではないのなら男性なんだろうか?いや、それも確実にない。というか、そもそも私にとって、性別ってそんなに重要なのか。どうも、私を構成する要素のなかに「性別」が見当たらないのである。男とか女とか、そんなの関係ねえ、そんなの関係ねえ。性別、いらないっぽいな。むしろ…性別、ないっぽい。

極めつけには、身体は女性の身体でも、それを根拠に「私は女性である」と思えなくなった。そこに行き着いたとき、ああ、これはもう確実に、私の魂は女ではないのだな、と思った。その気持ちに気づいたとき、自分の女性としての身体が、生まれた瞬間に他人が適当に選んで着せた着ぐるみのようにしか思えなくなったのだ。

自分が着せられてる女性の身体には、好きなところもあるけどいやなところもある。たとえば胸なんかは、邪魔なんだけど!?としか思わない。しかも、視覚的に「お前は女として生まれてきたんやで〜」と訴えてくる。私を目にする人はどうしたって「胸があるし女だね」と思う。「自分、女だと思ってないのに!」という違和感を助長してくる。ほんとやだなのである。だが、chest binder―いわゆる胸つぶし―を使うようになってからは、外出するときに自分の見た目から女性の要素をとっぱらった気がしてずいぶん気が楽になった。それにしても、「胸つぶし」とか「ナベシャツ」とか、呼び方がどうも時代錯誤な感じがするので、なんかいい呼び名が生まれてほしいと思う。

身体が女性でよかったことは、”女装”ができることである。胸があるからひっこめることも、出すこともできるのである。基本的にスカートは履きたくないけれど、たまにコスプレ感覚で履いてみたくなる。でも、身体が女性なのでコスプレにならないのである。これはもう特権である。が、心で「性別がないなあ」と感じているせいか、見た目にもあまり女性らしさを出したくない、要は胸をつぶしてスカートではなくパンツを履きたい、というのが自然に生まれ出づる思いである。

(3)「属性の束縛から逃げるために逸脱し続けるということ」

性別とそれに付随する役割というくびきから解放されたくて、性別を放棄してしまったというのも事実ではある。義実家では「“長男の嫁”だったら、なんか、こう…やることあるよね?普通…」というプレッシャーを感じないようにするのは無理である。子供を産まない人生を選ぶつもりなのだが、それを親族の前で高らかに宣言するのもやはり難題である。私は最近、坊主頭にしたのだが、それは母から聞いた「女性の坊主だけはいや」という言葉にいっちょ反発してみたかったからだ。ルッキズムに支配されているのは男も女も変わらないが、女性が感じるルッキズムの視線は、正直男性とは段違いな厳しさがあると個人的には思う。フェミニズムが遅れに遅れまくってるこの国で、男尊女卑、女性蔑視の影響に晒されるくらいなら、女性なんてやめちゃっていいや。私は女性ではありません!もはや性別ありません!と大手を振って生きることで、女性であることから逃げてしまった。それは、問題に対する本質的な解決にはならないし、そもそも、私は「性別、ないっぽいなあ」という実感から「性別、ないっぽいです」という立場を選んでいる。でも、逃げたんじゃないのかと問われたら、やっぱり、逃げてないと言ったら嘘になりますよね…?と逆に問い返してしまうかもしれない。

とかく自分というのは、束縛されている!と思ったら絶対解放される道を選びたい人間なのである。それは、眉毛メイクに悩みたくないが故に眉毛を全剃りしたことからも明らかである(過去の記事「人生で初めて眉毛を全剃りして考えたこと」を参照いただきたい)。病気で人生のレールから完全に脱線した私である。私の前に道はない。私の後ろに道は出来る。納得できる方向に、それが未開の山野であっても、ライクアローリングストーンな感じで進んでいくしかないのだ。「性別がない」って、「中性」でもない。「男でも女でもある」わけじゃない。「男でも女でもない第三の性」でもない。そのありように、きっと名前をつけてはいけないのだ。それが新たなくびきになるかもしれないから。あえて付けるなら、ファイル名を指定せずに保存して、無題ということにしよう。

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山都ウミ

とってもひよわです。札幌出身、仙台在住。いまとなっては仙台大好き。サッカーと相撲と虫も大好き。

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