【仙台在住】
私に異変が起きたのは、『中学1年』の時だった。
部屋の隅で、ぶつぶつと独語を話すようになったのだ。
自分でも気が付かないうちに、ぶつぶつ、つぶやいていた。
家族も驚いていたが、病院へ行く事はなかった。
そのうち、気をつけて『独語』は止めるようにしたら、
症状は消えた。
『19歳』
次は『19歳』の時だった。
派遣社員で働いていて、電車通勤をしていたが、
『電車に乗れなくなったのだ』
キッカケは、車両にスーツの『おじさん』しか
いなくなるようになったからだった。
最初の頃は、老若男女が乗っていたのが、
いつの間にか、私と、スーツの『おじさん』の
集団だけになっていたのだ。
怖くなって私は、『電車』に乗れなくなった。
その後、私は1人では、外出できなくなって、
1日中、部屋の隅にいるようになった。
たまに外出する時は、母にしがみついていた。
この時も、病院へはいかなかった。
この後、仙台市から県北へ引っ越しをした。
【精神科を受診】
『25歳くらい』の時だった。
仕事は、派遣を含めて、1~3年、のらりくらり、と務めていた。
そんな時、仕事先の人に『精神科に行ってみたら?』
と勧められたのだ。
父と一緒に、受診した。
この時は【心身症】と診断されて、『漢方薬』が処方された。
次は『27歳くらい』の時、
自宅でショックな事があり、わぁわぁ泣いて、
母に「精神科に連れて行って」「近くていいから」と言った。
以前、父と受診した『病院』を希望したのだけど、
母は、何を思ったか『仙台市の精神科』の病院へ
私を連れていった。
診察は、なぜか、複数の医師との対面で行われて、
1人の医師からは
「なんで来た!」と言われた事のみ覚えている。
そのまま、私は閉鎖病棟へ入院した。
当時の私の頭の中には、常に『音楽』が流れていて、
気を抜くと『独語』になりそうだった。
【再び仙台へ】
紆余曲折あったが、仙台市に戻れた事は、
とても嬉しく思っている。
その後、社会復帰のために、まずは病院のディケアへ通った。
2年経ったあたりで『Manaby』を紹介されて、
今にいたる。
まだ私に、働く気力があるのか分からないが、
記事を描き続けている。