舟を漕ぐ

舟を漕ぐ ふねをこぐ

居眠りをする。そのさまが舟を漕ぐのに似ているから言う。体を前後に揺らして居眠りをする。 対義語;うたた寝、まどろむ

居眠りをする人は何処にでもいる。電車、学校、会社、飲食店、病院の待合室。たいてい公の場で人目を気にせずうとうとしている。なかには体を前後に揺らしている人もいる。涎を垂らしていたり、姿勢が崩れにくずれてとんでもない体勢で寝ている人もいる。苦しくないのかなと思う。あるいは快適な自宅のソファなどで食後に、午後の温かい日の光に包まれてうつらうつらする人もいるだろう。

老若男女みんなうたた寝をする。何処でもする。場所によっては怒られたり、クスクス笑われる。そして人はうたた寝する様をいつしか「舟を漕ぐ」と言うようになった。

かくいう私もその一人だ。小学校から成人して、今現在に至るまでよく「舟を漕いで」いる。兎にも角にも眠たくて眠たくて、仕方ないのである。学校では先生の視界に入りずらい座席の後ろの隅でも、ばっちり視界に入る真ん中でも、先生が目の前にいる一番前の真ん中の席でも舟を漕いでいた。英語の授業で立って教科書を音読するときも、先生が見回っているのにも関わらず立ちながら舟を漕いでいたこともある。明らかに体をがくがく揺らしてごにょごにょとしか音読できていなかったのに、その後注意されなかったのをよく覚えている。先生方に注意することを諦めさせるほど授業中の居眠りがひどかったのだろうか。

別に授業が退屈だったからではなく、本当に眠くて仕方がなかったのだ。意識がどんどん遠くなり、瞼が鉛のように重くなって目を開けられなくなる。そして湖に浮かぶ小舟を漕ぐように前へ後へ体はゆっくり動き出し、次第に小舟から地震体験カーに乗っている人のように、前後の動きが激しくなり目が覚める。後ろから目覚めの挨拶代わりにクスクス笑いが聞こえてくる。恥ずかしくなって起きていようとしても、体と意識は静かな湖面を行く一隻の小舟のごとく前後にゆらゆらとまた動き出す。

要するに大変に面の皮が厚いのを周囲に見せびらかしていたのだ。この厚顔無恥さは成長期を過ぎても、どんなに寝てもカフェインを摂取しても隠し切れなかった。不思議なものである。

しかし昔の人も居眠りするさまを「舟を漕ぐ」なんて、どうして上品に例えたのだろう。人に何かを言うときになんでも柔らかくして言う国民性からだろうか。なるほど確かに「先ほどから居眠りしをてどうしたんですか。」と言うよりも、「先ほどから舟を漕いでいますね、どうしたんですか。」と言われたほうが角が立たなくていい。しかし、このように優しく言われた人が居眠りを指摘され、大いに恥ずかしくなりまた仕事などに取り掛かるかどうかは微妙である。このような優しい一声では眠気は他所へ行ってくれないのだ。目覚まし時計の様に大音量で厳しく言ってやらねばならない。ただし人前で船を漕ぐような人間は皆が皆、厚顔無恥ではないのでこのやり方をするとよくないことが起こる場合もある。仕事や学校で疲れている故のほうが多いので注意が必要だ。居眠り常習犯の厚顔無恥な人間には、言葉遊びを含んだものの言い方では通用しないので前述のようにやっても構わないかもしれない。

舟を漕ぐ様は、傍から見れば呑気に見えるだろう。ただ実際は、大変いい心持で寝ているところを何者かが突然乱入し、体を激しく揺さぶられるという混乱のただ中にその人はあるのだ。寝心地がよく感じるのは最初だけで、あとはだんだんと前後に激しく揺さぶられて苦しくなっていくのである。苦しみから逃れて起きれば、厳しい注意と冷笑を泣きっ面に蜂のごとく受ける。良くないことしか起きない。そういうわけで、もし何処かで舟をこいでいるひとがいたら、このご時世では難易度の高いことだけれど、優しく起こしてほしいものだと思う。

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まんぼ

着物を着てどこかに行ったり、何か書いたり、喫茶店に行くのが趣味です。 ハムスターと暮らしています。 エッセイなどを投稿していきたいです。

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