manabyてつがくカフェで先日、「幸せ」をテーマに色々と話し合いが行われたという。私は参加できなかったが、それでも自分なりに「幸せ」について考えてみたいと思う。まず、「幸せ」とは何かざっと調べてみよう。
幸せ 【仕合(わ)せ・幸せ】 運がよいこと。幸運。幸福。
幸福 恵まれた状態にあって、満足に楽しく感ずること。しあわせ。
なるほど幸せとはこういうことか。ではどんな時に人は「幸せ」と感じるのか。筆者である私を例にして、
どんな時に幸せなのか考えてみる。
個人的に幸せを感じる時間
・喫茶店のコーヒーを飲むとき
・バスタイム 入浴剤と音楽
・音楽を聴きながら散歩
・趣味 読書、映画、ドラマ、落語、手芸
・執筆活動 表現する喜びや話を組み立てていくのが楽しい
ではもっと細かく、「瞬間」にするとどうなるだろうか。
個人的に幸せを感じる瞬間
・ふと見上げた時の空の青さ、夜空の美しさ
・名も知らぬ美しい道端の花を見つけた時
・喫茶店のコーヒーの最初の一口
・住宅街ではあまり見かけない鳥を見るとき(鷺、鵜、白鳥、カワセミ、渡りの鳥)
・野良猫を見かけたとき
・入浴する最初の1分間、外の寒さから解放されて暖かさに全身包まれていると感じるとき
・すらすらと執筆できた時
・読了後、鑑賞後に隠れた名作に出会えたと感じた時
・推しの落語家さんが好きな話をしてくださった直後の余韻
「時間」と「瞬間」と「記録」
「時間」と「瞬間」で事例をあげていくと、どういうわけか「瞬間」の方が圧倒的に多くなる。きっと「時間」は曖昧でぼんやりとしているし、時々邪魔が入ってしまう。だが「瞬間」だとはっきりしていて刹那的、鮮明に記憶に残るものだからではないかと思う。そして例をあげるほどだんだん幸せな気持ちになっていく。いい人生を、それなりに送ってると感じる。
これだけ幸せな「瞬間」についてあげることができるのは、日記やメモに稚拙な文章ながらも記録に残しているからだ。喫茶店で飲んだコーヒーの銘柄、その日に見たきれいな事、お酒を飲んだか、何を食べたか。主に執筆活動のために書き残しているのだが、こういった形で役に立つとは思いもよらなかった。
こうして深々と考えれば幸福というのは、体験することもそうだけれど、いつでも思い出せるようにしていくことも大切だという結論に近づいていく。
というのも人生は長く、順調な時もあるがそうでないこともある。不幸な時にただいたずらに悲しんでいたりすると、たいした事のない問題も大事に捉えてしまって不幸は悪化する。もちろん精神にも悪い。加えて老いることで体にガタがくるようになるともっと不幸を感じやすくなる。しかし、そういったことのただ中でも幸福を感じる「瞬間」を発見できる習慣を身に着けていれば、不幸の中でも「瞬間」幸福になることができて、ずっと暗い気分のままでなく、わりと穏やかに過ごせるのではないだろうかと思う。
「幸せ」についてはどう感じるか、その後どうするかは読者次第ではある。けれど「どんな時に自分は幸せを感じるか」を覚えておくことは人生に役立つ事だと最後にすすめたいと思う。