今の定禅寺通りは、みんなが某国際的マンガの立ち方をマネするところだけじゃなく、東二番丁通りを越えて、NHK仙台の方までを指す。
もう定禅寺通りというのかわからないぐらいにずっと仙台駅寄りの、住所は青葉区錦町の住宅街の一角に、白虎隊の隊士・飯沼貞吉(貞雄)の終焉の地の碑がひっそりとある。
飯沼貞吉(貞雄)は、戊辰戦争のときの白虎隊の飯盛山での集団自刃で唯一生き残った隊士。ひとり生き残ってしまったという負い目を乗り越え、もがき苦しみながらも、戦争後は電信技師となり、日本の電信電話の発展に貢献する。国内各地での勤務を経て、1910年(明治43年)に仙台逓信管理局工務部長に就任し、退職後も仙台に住み続けて、1931年(昭和6年)仙台で生涯を終えた人だ。
私は昔から日本史というか幕末時代に興味があって、病気で乗れなくなって泣く泣く手放した愛車を買うという一世一代のときも、迷わずに浅葱色(水色)を選んだぐらい、ずっと新選組好きだ。(※他にも水色を選んだ理由は2つあるけど…)
それと関係あるかは自分でもわからないけど、あるとき、偶然、私の誕生日の8月23日が「白虎隊の日」ということがわかった。
興味を持って詳しく調べてみると「白虎隊の日」になった理由は、東北の小学校卒の人にとってはおなじみの修学旅行で、みんながテンションMAXで木刀を買った飯盛山で(うちにも今でも兄が買ってきた木刀が1本ある。)白虎隊の集団自刃が起きた日だそうだ…そうか…白虎隊といえばそうだな。ん~。
なので、戊辰戦争は私は幕府側だ。今でも戦争に負けて本当に悔しい。たぶん、私の前世は会津のどこかで戦っていたんだろうなと思ったほうがリアルに感じ、胸が高鳴る。
自分の誕生日が「白虎隊の日」という縁があるなら、ぜひお墓参りに行きたいと思い立ってこれも速攻で調べたら、行きやすいお寺(青葉区北山の輪王寺)にあることがわかり、ちょっと前に「それなら、誕生日に近い平日に行こう!」と決めて、向かった。輪王寺はきれいな庭園が有名だが、それには目もくれず、猛暑の中、一人、霊園を進む。
本人の「会津が見えるところに眠りたい」という遺言のおかげで、初めて行った霊園の頂上にあるお墓を見つけたときは、汗だくでヘロヘロの状態だった。霊園が日陰だったのが助かった…お墓が会津の方を向いているというので、私も、汗が引く間、会津のほうをしばらく眺めた。風が気持ち良かった。少し経って、息を整え「初めまして。静かで、いい場所ですね」とお墓に話かけてみた。「…誰?」って思ったかな。
※参考文献は植松三千里著「ひとり白虎 会津から長州へ」
白虎隊の集団自刃の生き残り・飯沼貞吉の真実をもとに書かれた小説。わかりやすい文章で、幕末好きな人におすすめ。…というか、幕末が好きじゃなくても、今、悩んでいるみんなに読んでもらいたい一冊!
あらすじは→主人公の貞吉は飯盛山の自刃のとき、ただひとり生き残る。戦争後、居場所を失った貞吉を救ってくれたのは、かつての敵方・長州藩の楢崎頼三だった…
この本を読んでいると、何回も挫折しても立ち上がる貞吉の生き様に入り込みすぎて、貞吉がまわりの人たちに認められたり、成功したりすると自分のことのように喜ばしくてしょうがない。
この前、話に夢中になりすぎて、バスの中で読んでいたときだったけど、次ページをめくったら貞吉がもう絶縁していると私が勝手に思っていた家族をある方法で助けた、と書いてあって「おぉ!」と自然に声が出てしまった…
ちなみに小説では貞吉(貞雄)は会津に帰郷して両親と再会しているけど、実際は戦争後、貞吉が1回も会津に戻った史実はない。帰りたかったろうな、両親に立派になった姿を見せたかったろうな。
小説の中で貞吉を助けてくれる人が次々現れ、「これ、ほんと?」と疑うが、こっちは全部事実だという。でも、貞吉の人生が助けてくれる人によって順調にいったわけではなく、あくまでその人々に自分の進む方向を教えてもらっただけで、その後は貞吉が自分ができることを探して、自分で歩いていった結果だ。
江戸時代から幕末、明治維新という時代の変革期、時代の波に揉まれず、自分で自分の道を切り開いて、前を向いて生きた貞吉(貞雄)に感銘を受けた。
白虎隊に生き残った人がいることは知っていたけど、この小説で、ひとり生き残ったあとに貞吉がどう生きていったかがわかった。
私も、少しでも貞吉(貞雄)を見習って、過去のことは過去のこと、と割り切って、何かで悩んでも立ち止まらないで、どんどん進もう。
これからでも遅くないから。
定禅寺通りに、私のこれから進むべき道も教えてもらった気がする。