エッセイ 注意 このエッセイは、暴力や虐待の内容を含んでいます。 画像は灯油をばら蒔いた母親とその日のうちに焼肉屋に行って、乾杯した図です。 自己紹介 わたしの誕生日に母親が灯油を被ったり、家に火をつけようとしたりする母親と暮らしています。 一番怖かった体験は、8階のベランダに車のタイヤを積まれて「そこから自分で飛び降りろ」と言われてタイヤの上に登ったときです。死ぬところだった。生きててよかった。ありがとう、南署の警察の人達。 人前でも馬乗りになって殴られる、箪笥が飛んでくる、母親の恋人にベランダから突き落とされそうになる。 虐待の思い出は、いっぱいあって思い出せないけれどパッと浮かぶのはこんな感じです。 お腹にナイフが刺さって友達の車で血をだらだら流しながら処置した記憶。 それとは別件でICU(集中治療室)で目覚めた記憶(目が覚めたら親戚一同揃っててびっくりしちゃった。葬儀一歩手前ってきっとこんな感じ)。 音を立てると母親の恋人に怒られるから家ではつま先立ちで8年以上生きてた記憶。比喩無しで息を潜めて暮らしてました。 僅かな音も許されないので、暖房は付けられなかったり(機械音がうるさかったらしいです)。 何故かお湯を使うことも許されていなかったです。水が冷たすぎて段々血の巡りが戻ってくると温かくなる感覚が好きでした(冬はめちゃくちゃ寒いので)。 このせいで感覚が鈍くなった気がする。 あと成長期に母親の恋人にめちゃくちゃデブって罵られていたので摂食障害は大体こいつのせいです。 私の手で度胸試しをすると言い出して、手の隙間を包丁とかアイスピックで刺して遊んでたこともあったっけ。普通に刺さる。 テレビゲームで負けると機嫌を損ねるので早いうちに接待を覚えた気がします。 でも一番きついのは言葉ですね。 頭おかしいとか、小学2年生の時で覚えてるんですけれど、「目がおかしい人殺しの目だ」って目つきが悪いことを何度も何度も叱られたのがショックで今でも覚えてます。 言葉の暴力のほうがずっと辛かった気がします。 書き出したら盛りだくさんですね。 これ以上ながいと読む方も大変だと思うので割愛します。 Q虐待されていると思いましたか Aそんなに。 辛いには辛かったけれど、当時は周りの友達の家庭環境も殺伐としていたので、こんなもんかなと思っていました。 10代のころ、入院中に主治医が「毒親」についての本を読んでみない…?みたいな感じで勧められて読んだんですよ。 そこから初めてわたしの他にもこういう人達がいるんだな…っていうのと母親に対しての見方というか自分が被害者なんだって意識になったりしたけれど、でも今は毒親という言葉自体は好きじゃないし、もういつまでも被害者じゃなくて自分の人生可哀想じゃなく生きたい(生きてる)って気持ちなので、そんなに悲愴じゃないです。 でもたまにもやもやしたりします。 母親に対してというか、母親に怒りが湧いてくることに抵抗があります。 母親も母親で可哀想というか気の毒なので。 Qなぜ母親が可哀想だと思うのか A父親がクズなので。 それに母親は、夢見がちで幸せになりたいくせに幸福がなにかを自分で定義していないので(貴方の幸せってなに?って聞くと答えられないんですよ)。母親がこの先幸せになれるのか不安です。ちゃんと今も幸せなことは母親にもポツポツ起こってるんですけれどね。本人は自覚出来てるのかな。 Q父親はどんなひと A覚えてないですけれど、周りから聞く分にはクズです。 まず父親が私が産まれた瞬間に病院にいない。 何をしていたかっていうとパチンコやってたんですね。 父親が、子供(わたし)ができて母親業に専念する母が構ってくれないから兎に角面白くない。 それで外で女作って、母親と子供(わたし)が不要になって、わたし達に「出ていかないとコロスゾ」って脅して家から出したんです。他にもクズエピソードは沢山あるんですが言葉が勿体ないので割愛します。 Q父親がクズで母親が可哀想なのに、母親に怒りを覚えるのは何故か Aわからない。 分からなくてもやもやしてます。 父親はクズなんだけど、父親には怒りがわかないんですよ。 名前も顔も知らなくて…怒りようがないというか、多分もやもやしてるのは、父親に対しても怒るべきなのに、育てた母親にだけ怒ったりするからですね。 父親については、もとはといえば、という話で母親に対しても怒っていいんだろうけれど。 怒ることができるっていうことは、子供の甘えなのかもしれない。子が親に対してふつうに甘える、っていうもののなかに怒りとか恨みがはいっているのかもしれない。 怒りとかそんなものを"誰か"にぶつけないように怒りを飲み込んで我慢していると、いつの間にか甘えられる相手を選んで怒るようになるのかもしれない。そういう意味では、わたしは凄く母親に甘えているのかもしれない。 母親1人で子供生かす(育てる)だけでも大変なのに、子供を幸せにしたいから、「わたしの父親にも姉にも友人にもなる」って決意で踏ん張ってたのは本当にえらいんですよ。皮肉なしでまじめに。 結果は上手くいかないこともあったかもしれないけれど。彼女なりに理想に向かって頑張ったんだっていう想像をしてます。 でもこの話すると主治医と看護師から(母親に)洗脳されてるよっていわれるんですけれど。 子供を虐待するのは勿論悪い。 いい所なんて全くないですし、怒ってるし呆れてるんですけれど、「でもそんなに人生上手くいかねえよな」って気持ちもあります。 母親も私も、上手くいかないことは沢山あるし間違えることも沢山あるよなって思ったり。 子供としての私は母親を許さなくてもいいんだろうけれど、元々子と母は相容れなくていいのかもしれないと諦めながら、母親をときたま愛することもできなくはないなと最近は思います。 出来たら難しくても母親がもう少し幸せを感じられてもいいんじゃないかって思う。ただ騒ぎは起こさないで(それが一番ですね)。 でもこう思えるのは主治医が私を母親から引き離すために入院させたり、看護師さんが優しかったりで周りにいい人がいて超ラッキーな環境だっただけなのかもしれないですね。 親を許す子供の図、グロテスクに見えるかもしれないけれど(実際グロテスクなのかもしれない) 、わたしは親に甘えたいし愛したいし許したいんですわ…。 怒るけれど許したいけれど許せることでは無いみたいなのが、ぐちゃぐちゃして正しい正答は出せないままグロテスクなまますっきりしなくても人生は続くんですわ…。 でもわたし的にはそんなに不幸せじゃないから、いっかなって(世界最強の開き直り)。 Qじゃあ他人の虐待も許すのか A(許さ)ないです。 そもそも母親のことも許してはないですね。 この話はわたしのお話なので、お前も俺も違うのにわたしの理で生きるな… Qあなたの幸福はなに A幸せを感じたい時に、いまを幸せだとおもいこむと幸せが偶に顔を出したり出さなかったりします。それが幸せかもしれません。わからない。 でもだめなときはだめなんで嫌なことは寝て忘れるのが一番ですね。 Qあなた(これを読んでいるだれかさん)の幸福はなんですか A: [完]
エッセイ
寄付について
「novalue」は、‟一人ひとりが自分らしく働ける社会”の実現を目指す、
就労継続支援B型事業所manabyCREATORSが運営するWebメディアです。
当メディアの運営は、活動に賛同してくださる寄付者様の協賛によって成り立っており、
広告記事の掲載先をお探しの企業様や寄付者様を随時、募集しております。