Q言葉とはなんですか

 

 Q言葉とはなんですか
 A言葉とは記号です。
 言葉というのは記号です。 例えば「犬」というものはないですよね。 いるでしょう「犬」と思うんですけれど、「犬」という言葉を撫でてみようとしてもうまくいかない、という意味で「犬というものはない」のです。
 言葉というのは他人とある程度、意志疎通するために発明された記号なのですが、言葉というのは不完全でもあるんですね。 だから基本的に「言葉が通じる」というのは幻想です。

 Q言葉によって他人を理解できるか
 A無理だと思います。
 他人って何考えてるか分かんないですよね。 分かるところといえば、本人から或いは周りから得た言葉から想像して、「料理が趣味で…本を読んでいる人」とか、そういう自分が感じた断片的なものです。 他人のこと全部分かってるぞ…という方もいるかもしれませんが、まず分かりません。そう思い込むことは可能ですけれど。  会話をしても、そんなよく分かんない人が発した言葉なので、どんな想いがこもってるかとか、そんなものはまず分からない。
 そこで出てくるのが言葉を受け取る側の想像力ですね。 相手が話したことを、自分の中で足りない情報を補完して「この人はきっとこう思ったとか」、仕草をみて「この仕草はこういう意味だ」と相手の言葉の意味を想像するわけです。 この想像は、自分自身の曖昧な推理というか思い込みでしかないので、全くの虚像です。 行き違いやすいというか常に行き違うのが会話というものです。

 Qじゃあどうすりゃいいんだ 
 Aどうにもしなくていいです。
 「まず相手の言葉は絶対に自分には分からない。言葉は言葉でしかない」ことを認めて聞くと、会話による行き違いがあることも、「まぁそれはそうだな」とゆるく納得してしまうのが楽な受け取り方です。 私は言葉が大好きですし、言葉を大切に思っていますが、過信しないようにというのが持論です。 言葉は言葉でしかなく、その人自身ではないのですから。

 SNSとかを見ていると、よりそれは身近な問題として受け取れるのではないのでしょうか。 SNSという文字世界の中では、私は言葉を見て(読んで)いるだけで、言葉を打ち込んでいる人間を知っているわけでも理解しているわけでもなく、ましてやその人の思想や人格や人生なんて分かるはずがないのです。

 普段の会話なんかでも例えば、職場で働いて人に指示を出す場合、伝えたい重要事項や単語を使うことで何をしてもらいたいか、何をすればいいかを伝えることはできる。 でも伝わるのはあくまでも言葉です。
 「コピー取っておいて(仕事もひと段落つきそうだし早くやってもらえるだろう)」「わかりました(他の案件で詰まっているから少し後でもいいかな)」
 この()の部分は伝わりません。()の部分を言葉にすればより的確に伝わるんですけれども、会話による言葉は無意識に大分色々切り取ったものになりがちです。

 更に__
「コピー取っておいて(仕事もひと段落つきそうだし早くやってもらえるだろう)(この人何でもテキパキやってくれている仕事が早いなぁ…有難いなぁ)」
「わかりました(他の案件で詰まっているから少し後でもいいかな)(この人いっつも私に頼むなぁ…私の事が嫌いで嫌がらせなのかもしれないぞ)」
  __と、片方は有難いと思っているのに、片方は相手が自分のことが嫌いかもしれないとか考えてるわけです。
 人間だから誰しも感情があるし、その感情というやつが言葉の影に潜んでいたり、言葉に重さを与えたりするわけなんです。
 なので「言葉の意味」について考えようと思えばどこまでも自分で好き勝手考えられるし解釈できます。 そうなると言葉を発した側の意味からかけ離れちゃったりしちゃうんですよね。 
 この人には話が通じない!と思うこともあるんですが、基本的に話は通じないものです。会話で意思疎通が出来ていれば大体のことは会話で済むんですが済まないこともありますよね。 言葉の行き違いで喧嘩したり、縁を切ったり、勘違いから生まれる不和は沢山あります。

 言葉が断片的であること、不完全なことを考えると、じゃあ会話ってなんだよ。言葉ってなんだよ、ちょっと不毛じゃないのって感じもするかもしれません。

 Q言葉は不毛なのか 
 Aそんなことはないとおもいます。
 先程、言葉が通じる、というのは幻想だよってお話をしたんですが、言葉が通じなくても会話していたら楽しかったりしますよね。 
 それでいいんじゃないかなと私は思っています。 
 自分が楽しいと感じるならそれが一番ですし、言葉に囚われる必要もありません。  
 まず言葉は通じないことを胸において、会話を楽しめればそれが一番です。  
 言葉が通じあわなくても、相互理解は不能でも「私と貴方は違う人間である」というだけのことなので、そこに絶望する必要もありません。 「私と貴方は違う」「私はあなたの事が分からない」 だからこそ人は会話をするのだと思いますし、「あなたの事が知りたい。たとえ分からなくても」__そういった動機で語られる言葉はとても素敵なんじゃないかしらと私は思うのです。

 話をしていると、稀にこの人とフィーリングが合う気がして、なんとなくこの人と話してると私のことみたいだな!たのしいな!とか思ったりする。
 そんなラッキーなゆめをみることができる。 それはとても喜ばしいことだと思いますし、言葉に囚われず言葉を使うのは楽しいことだと思います。
 どうせ伝わらないなら絶望などせずに、伝わらないことを楽しんでやる、くらいの気持ちの方が楽かもしれません。 たかが言葉だと思って楽しむのもまた、言葉の楽しさではないでしょうか。
 まずは自分が「話し相手のことを何も分からない」ことを知ること。 そして分からないからこそ会話をし続けること。たとえこの先も分からなくても。
 それは相手への最大の敬意の形であり、愛情であり、信頼であると思うのです。
 そしてそれは不完全な言葉だからこそ出来るコミュニケーションだと思うのです。


 なみだばかり見ていて
 彼の目を見落としてしまう ように

 彼の目ばかり見ていて
 彼の全身を見落としてしまう ように

 彼の全身ばかり見ていて
 彼の祖国を見落としてしまう ように
 彼の祖国ばかり見ていて
 彼の世界を見落としてしまう ように

 彼の世界ばかり見ていて
 彼の一日を見落としてしまう ように
 彼の一日ばかり見ていて
 彼の悲しみを見落としてしまう ように

 彼の悲しみばかり見ていて
 なみだを見落としてしまうのだ
 それを詩に書きとどめようとする間にも
 歴史が老い急ぐのはなぜか?
 
(寺山修司/寺山修司少女詩集)
(日記:これはこのコラムに関係ない私が好きな寺山修司の詩です。寺山修司記念館に私が訪れる前に、私の寺山修司ファンアートが寺山修司記念館に貼ってあるのずるくないですか???私は?????私は???????????????????????今年こそはいきたいです(血涙))
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テラ

言葉が好きです。たまに絵を描いたり小説を書いたりします。

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