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みんなは一度は学生の時こんな疑問を持ったことがあるだろう
『将来この授業はいつ役に立つの?』
『(テスト勉強している時)こんなの将来つかわねぇよ!』
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ほんとに、どこで役に立つんだろう?
私は卒業したあの日からその謎を解明しようと心に誓ったのであった…
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そう私は今『学校の授業や科目はどこで役に立っているんだろう』という自由研究をしながら過ごしている
今でもう~んと思ってる なかなかむずかしい…
でもやっぱり、小中高で勉強しているいないでなんとなく違いがあることはわかっている
だから、私は学校の科目を習うのは必要だと思う
まず、心が豊かになると思う
例えば、
社会人になって必要なことだけ習うとする
英語で生活していける程度の外国語を習い、家庭科で裁縫・料理・求人票の見方・物件の見方を覚え
公民で社会の仕組みを覚える
それで楽しいのか
そう、世の中で生きていく最低限のことを覚えても心は枯れていくと思う
そこで心を豊かにしていくのが、
『こんなの将来つかわねぇよ!』となげいていた
英語 国語 数学 理科 社会
だと思う
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英語を習うことで
英語で会話することができるようになるだけではなく、その国の考え方やとらえ方を知る事ができる
例えば
英語には『お疲れ様』という言葉がない(びっくりでしょ!?)
つまり『お疲れ様』という言葉を使う文化や生活をしていない
他にも『それは気の毒だったね』というときは『I’m sorry.』という
つまり相手が気の毒な思いをしていることを自分のことのように感じているということ
※あくまでこの解釈は私個人の憶測です
さらに、英語の覚え方を応用して他の国の言葉も覚えることができる
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国語を習うことで
その人の気持ちや作者の意図を考える力
そして話の数だけの考え方や生き方を学べる
漢字も習うことができる
テスト勉強やこれから歩んでいくのに必要な読解力もきたえられる
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数学を習うことで
生活に必要な +-×÷ はもちろん
論理的な考え方の練習になる
自分が悩んだりしたときに冷静に考えられる力を身につけてくれる
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理科を習うことで
生命を学んで食べ物や生物に理解が深まり、農業や畜産など生産に納得することができる
そして地球の生命サイクルを学んで環境にやさしい会社や社会を作ることができる
そして目に見える生命や物理から目に見えない化学にかけて習うことで身の回りのものすべてに関心をもちながら生活することができる
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社会を習うことで
公民で社会の仕組みを学べるうえに
日本史や世界史を習うことで、歴史上の人物の失敗や成功、経験からどのように社会を歩んでいったらいいのか、どのように社会を築いていったらいいのか学ぶことができる
よく考えたら、歴史上の人物結構突拍子もないことするでしょ?(笑)
今の私たちからすれば突拍子もないことでも当時からすればあたりまえ
その突拍子もないことから人々は改善に改善を重ねて
今の安定した社会を築いていってる
突拍子もないと思えることもそれだけ今が豊かになった素敵な証拠
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さらにすべての教科で共通することがある
〇学校で一回基本、常識を習うことが必要
自由、多様性がさけばれる今
途中で迷子になってしまうことがある。実は常識や基本が基盤にあるから私たちは自由、多様性をさけぶことができるんだ
〇みんなで習った同じ教科で共感できる
ちーちゃんの影おくり、スイミー、ごんぎつね、もちもちのき、松尾芭蕉、羅生門、夏目漱石の「心」、クラムボン
多少違いはあれど、これはみんなが学生の時にかつて習ったもの
テレビでもよくやってるでしょ?
「あなたは小学生の時にやったこの問題を解けますか?」っていうもの
みんな「あ~やったなぁ~懐かしいな~」「私もやったやった」「えっ!うそ!私やってない」って言ってみんなで盛り上がっているでしょ?
みんなで同じことを習っているからこそ共感することができる
みんなの心が温まって輪ができる
〇学校でたくさんのことを知ることで
「へぇ~○○ってこうなんだ」って思いながら生きるとワクワクする
空を見て
「雲が浮かんでるなぁ、たしか雲って泉や貯水所でたまった水が水蒸気になって昇っていって雲になるんだっけなぁ そのあと雨になってまた地面に降り注いで、水がたまっていってそれがまた雲になるんだよなぁ」
「夏だから、きれいな入道雲ができてるなぁ」
「イワシ雲ができてるから明日は雨かな」
とこんなふうに”知る”ことでひとつのことで二倍にも三倍にも関心が広がって心が豊かに過ごすことができる
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Q.なぜこんなにも心が豊かになることが必要なんだ?
それはね
小学校にヒントがある
さっきテレビで小学生たちが
『朝 昼 夜で人・うさぎ・花の行動を比べてみよう』
というテーマで授業を進めていた
すると人とうさぎはお昼活発に動いていて、花も昼に大きく花びらを広げていた
しかし、雨の日になると、昼に活発に動いていたうさぎが大人しくなり、花も花びらを閉じていた。
どうしてそうなったのか
今度はその理由について考えてみた
すると一人の小学生が「気持ちが関係しているのではないか」と言ってきた
「僕たちも晴れの日のお昼はエネルギーが有り余ってて、よっしゃー!ってなるから、うさぎもエサを食べてよっしゃー!ってなるんだと思う
だけど雨の日は僕も憂鬱になるからうさぎもそうなるんだと思う」と答えた
はぁ~なるほど!すごい!心理学!
私はすごく感心しました
まさか小学生の口から心理学が飛んでくると思わなかったのです
こんなふうに小学生のように
なんでだろう?なんでだろう?と思うことが脳の栄養になる
私は学生の時にもう一つ疑問に思うことがあった
電車に乗って、つりかわにつかまって
「どうして、電車に乗ってるサラリーマンはいつもつらそうな顔してるんだろう」
それはきっと小学生の時よりそうゆう
なんでだろう?と思うことが減っていったからだと思う
前にチコちゃんでやっていた
「大人は子供に比べて、なんでだろう?と疑問に思ったりすることが減るためワクワクしたりすることが減る」
だから元気がなくなるんだと思う
明るく締めよう!
学校の教科は必要 というか私は学校で勉強していて楽しかった
授業もみんなで過ごした時間もとても楽しかった
学校を出ても学校にいたときみたいに楽しく過ごそう、私はそう思う