相談してる時よく思う
『それってつらいよね、いやだよね、でもね、―――』
でもね
私たちはいつもこの言葉に苦しめられている
『でもね』
その言葉を言う頃にはその大人はもうその悩みを乗り越えてしまっている
そして乗り越えた自分の目線で話してしまう
人は、乗り越えてしまうと乗り越える前の気持ちがわからなくなってしまう
大人の人は乗り越えた後で
『あの時は辛かったけど、今はもう忘れちゃったテヘッ』
って感じで学生の時辛かったことはもう忘れている
でも子供は今苦しんでる
今が辛い
だから学生は自分の気持ちを大人は『わかってくれない』と感じる
学生は
『自分とは何者なのか』『自分はどうあるべきか』
頭で論理的に考えることが多い
でも大人は
『どれだけ、うまく人生を生きていくか』『どれだけ世渡り上手になるか』
が目標に変わるから
頭で考えることをやめる
だから大人は
『ケセラセラ』『頭で考えるのもいいけど、とにかく今が楽しいことよ♪』
と頭で色々考えるより体を動かすことに変わることが多い
私は卒業式あたりから就職するあたりでだいたいわかっていた
真面目は学校では褒められる
先生からのウケもいいし、成績も上がる
でも真面目は世の中に出ると自分の首を絞めるということを
学校を出ると目標が変わる
『真面目に生きれるか』から『どううまく生きるか』に変わる
ただひとつ、学生が大人と同じ考え方になれる架け橋を作ってほしい
乗り越える前の人の気持ちを救って、一緒に方法を考えて一緒に乗り越えて
乗り越えた側の人間にしてほしい
相談を受けた時、アドバイスより先に『寄り添うこと』がかんじん。
でもね、それが難しいんだよね。
人間は寄り添うことが苦手なんだよ
というか、寄り添うときに一緒に悲しい気持ちに浸らなきゃいけない
それがいやなんだよね
「この子のこの悩みに私今悩んでいないのに」
人は自分が悩んでること以外の他人の悩みに浸るのをいやがる
だってそれ以上体力を消耗したくないんだもの
だから、相手がずっとだらだらと悩みを話していると
だんだん聞いている側は疲れてくるイライラしてくる
だから話を早めに終わらせたくて
『まぁ、そうゆうときは○○したらいいよ!じゃ!終わり!』
ってやりたくなる
その人の考えに
認める 褒める 肯定する 賛成する 否定しない
(み) (ほ) (こ) (さん)
これは友達が言ってくれた話を聞くときの『みほこさんの法則』
私はこれにどれだけ救われたかしれない
アドバイスの前に寄り添う
肯定する
その子の考えを応援する
これをすれば今よりたくさんの人が救われると思う
私は自分と同じような思いをしている、今を懸命に生きているその子たちの幸せを誰よりも願っている