「正直言って、そんなことはもうどうでもいいの。中学からものを書きはじめて、玉かもしれない人はたくさん見てきた。私よりも物語を作るのがうまくて、言語感覚があって、一度は私よりも評価されてた。そういう人たちには、ちょっとした挫折で諦めたひともいる。甘やかされつづけたせいで、長いこと書いてもなんの進歩もなくて、年齢という輝きを失ったあとはまったく相手にされない人もいる。そういう人たちがものを書いていたときには、私も卑屈になって、才能の乏しさを、価値なんかない石ころでしかないことを恨んだ。でも結果から見れば、私たちはみんな失敗しているの。失敗の形はそれぞれ違うけれど、失敗という点では同じ。だからほんとうに、才能なんてことは気にしすぎないことね。自分が凡人だと気づいたからなんだっていうの?この世界はそもそも不公平なんだって、信じないと__凡人がしょっちゅう勝利を収める世界なんだって」雪が白いとき、かつそのときに限り(陸 秋槎/稲村文吾 訳) これは私の好きな本の一番最後らへんの台詞なのですが、これを読んだのは丁度入院していたときです。 毎度入院するときには半年とか一年単位で入院するものですから、旅行用トランクに本をぎゅうぎゅう詰めにして持っていった中の一冊です。 これはミステリ小説です。 私は名探偵コナンを見て育ちました。 昔はあまり気にしなかったのですが、実は名探偵コナンの犯人は概ね見ている側にも理解できる動機で人を殺したり、殺されたりしています。 浮気をしたとか、金のトラブルとか、恨みつらみが募って、みたいな殺人動機です。 だからといって人を殺すのはどうなんだよって感じですが、大体の人が納得出来る動機です。 こういった"現実主義"の殺人動機は、警察の人も裁判官も動機が分かりやすくて助かると思います。理解のしやすさ、感情移入のしやすさに安心するかもしれません。殺人動機の内容によっては同情を覚えるかもしれません。 じゃあ理解出来ないような動機ってなんだろうってお話なんですが、それがこの小説。「雪が白いとき、かつそのときに限り」なのです。 理解できない動機ってなんだよ。 意味わかんねえな。 この時点ではそうです。 この本を読んでもこのミステリの殺人動機は分からないように書いてあります。 読んだ後も(殺人動機が)意味わかんねぇな、になります。 というかそもそも殺人動機はそれを事務的に処理するために必要なものであって、本来の個人の目的とはかけ離れている場合もあります。 例えば、 自分は目が怖い。 見られるのがいやだ。 だから目を潰してやった。 そしたら相手は死んでしまった。 __と犯人が正直に自白したとしましょう。 見られるのが嫌だから目を潰す。 これが目的であって、犯人の目的は殺人では無いわけです。 目を潰したら結果的に相手が死んでしまったわけで、仮に被害者が目を潰されながらも一命を取り留めたなら犯人は更に攻撃することはなかったかもしれません。目は潰されて機能を失っているわけですから。 でも人を殺してるんだから殺人犯なわけなのですが。 これはまだ理解しやすい殺人動機ですね。 そしてここからが意味のわからん動機、"感傷主義"の動機についてお話します。 訳分からん言葉ですね。 例にしましょう。 中学生の女の子が友達を線路に突き落として、その友達は電車に轢かれて死んでしまいました。 警察が話を聞くと女の子は、わざと友達を線路に突き落としたのだそうです。 警察:なぜ殺したんだ 女の子:にきびが…にきびが…あったので 警察:にきび…? 確かに、殺された被害者の女の子の首にはにきびがあったのです。 さてこの女の子の殺人動機は「にきびがあったから」なのですが、わけわかんねえなになりますよね。 これでは警察のひとも裁判官も困ります。 書類にするにしても、言葉にするにしても「にきびがあったから犯行に及んだ」という動機を認めるのは難しい。 では少し情報を付け足してみましょう。 実はこの女の子、殺してしまった女の子が大好きだったんですね。 尊敬していたし、快く思う余りに、神聖視していたのです。 ルックスも良く、ミステリアスで、綺麗な現実離れしていた女の子に憧れていた女の子は「にきび」を見つけてしまった瞬間、それが動機で、線路に友達を突き落としてしまったのです。 意味わかんねえでしょう。 それでも個人的な幻滅が、個人的な感傷が、殺人の動機になってしまうこともある。 それが"感傷主義"の動機です。 他にも例えば森博嗣先生のミステリには、「動機なんて説明できますか?説明できないから人を殺すんじゃないですか」なんてことをいう犯人もでてくる。 意味わかんないですね。 前にも同じような話をしたのですが、そもそも他人のことなんて分からんのです。 動機もなにも、本当のことは分からない。 辛うじて言葉という道具があるから、会話できたりしますが、その言葉にさえ個人的な感覚の齟齬が出る。 十人いれば世界は十ある。 百人いれば世界は百です。 そこに現実なんてものはない。 あるのは百通りある世界をぶら下げた百人の交差点です。 そこで事故が起こらないように、法やルールがある。 でもそこでの事故は全く違う理をぶら下げた者同士の衝突事故みたいなものだったりもするのです。 そんなお話が雪が白いとき、かつそのときに限り(陸 秋槎/稲村文吾 訳)です。 最後までというか、ラストが一番意味わかんねえよと叫びたくなるミステリ!!! 雪が白いとき、かつそのときに限り(陸 秋槎/稲村文吾 訳) 入院中に読んで、おわー終わった…面白かったな…と余韻にふけりながら読んでいたら、最後の最後に「これが感傷主義の動機だーッ!!理解できるか!!!!!!???????」とぶん殴られる本です。 興味がある人は読んでみてね!! 例にあげたお話も読んでみたいと思ったら京極夏彦、百鬼夜行シリーズも読もう!!!
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