つぶやき~圧迫感ある本屋さん~

本屋さんとかに行くと「ヴッ」ってなるときがある
圧迫されるものがあるのかもしれない

頑張りすぎてしまう私へ

Don’t try too hard.

トライしすぎるな

『圧迫感ある本屋さん』

本屋さんと聞いてみんななにを想像するだろうか

癒される?

自分ひとりの空間?

ホッとできる場所?

温かな場所?

たしかにそう思うよ
私も前は本屋さんはそうゆうところだと思っていたよ

でも最近、私にとって本屋さんがそうゆう場所じゃなくなりつつあるんだ

私はいつも仕事のあと
息抜きに本屋さんに行くのがルーティンになっている

いろんな本

癒される可愛い本から
文字の細かい難しい本まで

たくさんのいろんな種類の本がある

私は自己啓発系の本を読むのが好きだったんだ

でもある日から
体に違和感を感じるようになってきた
(病気ではないよ)

なんだか本屋さんに入ったあと
どっと疲れるような気がする

息抜きで入ったはずなのに

苦しい

心がゼイゼイ言っているような気がする

どうしてだろう

それから私は本屋に入る前の私と入ったあとの私を観察することにした

本屋さんに入る

本棚見上げると
背表紙の文字から入るたくさんの情報が
厚い圧の壁になって迫りくるような気がした
そして背表紙の文字がぐあんぐあんと揺らめいた
(これは心で感じた表現です。立ちくらみなどではなく、何かの病気の前兆というわけではなく私本人の心情の表現です)

そして本屋から出た私は気づいた

私、疲れているんじゃない?

私は本屋さんに入れば癒されるんだと思っていた
でも今の私は違う。
今の私は今までの状況とは違うんだ

私は本屋さんに入るたび、
背表紙からわかるたくさんの情報量に胸がいっぱいになって
疲れていることがわかった

私はね
昔引き寄せの法則という名のジャンルのブログを読んでいたんだ
それは自己啓発系のブログで毎日読んではやってみたりしていたんだ
でもそこにはこう書かれていた
『辛くてもやらないといけない』
だから辛くても悩みを解決するために成長するために実践し続けていた
でもそれに疲れている自分もいた
でも気づかなかった
いや、気づいてもなにもできなかった

だって
『辛くてもやらないといけなかった』から

そのブログを読んでいて辛くなっている自分に気がついて
読むのをやめて以来
そのブログに書いてあったことはやらなくなっていた

でも心の中にはずっとあった
『辛くてもやらないといけない』
『相手の言うことは自分の成長に必要なことだから、聞き入れないといけない』
『悪いことも嫌なことも自分の人生の上で必要なことだから
悪いことなんて何もないから、受け入れればいいだけ、受け入れなければいけない』

これがずっと残っていた

だから私はこのブログ以外のもっと自分に合った自己啓発系の本を読むようになった

でもそこでも同じような言葉が出てくる
それで毎度ダメージを受ける

これをずっと続けていたんだ

しかも背表紙に同じようなダメージの言葉がたくさん書いてある

『人生は一度きり』
『明日死ぬかもよ?』
『やりたいことで生きていく』
『本心で生きていますか?』
『今一番やりたい事ってなんですか?』

私は
「嫌なことに立ち向かえず、受け入れられず、嫌なことに背を向け、やりたいことをやっていない、あのブログのようにできなかった。そんな自分だからダメなんだ」
という言葉をずっと胸に抱えて生活していた

それが頭を駆け巡って目の前がぐあんぐあんしていたんだ

そんな
「自分はこうしないとダメなんだ」
「こうしなきゃいけないんだ」

に圧迫された私は心に傷を負い、
胸がいっぱいになっていた

その日から
私はその自己啓発系の本棚の前を通らないことにした
もし本を読むにしても
自分にダメージの来ない本にしてみたり
今まで読んだことがない新しいジャンルの本にしたり

はたまた
そもそも店内に入ると疲れちゃうなら入らないようにしたり

そうやって生きやすくしている

今私が楽になる言葉は
『やりたいことをやらなくてもいい』
『人生の長ーい間のどっかでできればいい』
『何もしなくてもいい』
(「○○やろうぜ!」って人はだいたいやりたい気持ちが湧いてきてるからやっているわけであって)

そういえば
レンタルビデオ屋さんでも同じ現象が起きていた
どのDVDを借りようか、どの本を借りようか考えていた時
「自分の一番見たいDVDを選ばないと、一番借りたい本を選ばないと」
「もし「やっぱりそんなに見たくないなぁ…」って思ったらどうしよう」
「一番に見たいわけじゃないけど見れるなら見たい気もしなくもないこの映画って本当に借りて見たい映画なのかな?」
とか考えて胸がいっぱいになる

そして
目に入る漫画DVD全部借りたくなるから迷ったり選んだりするのも大変

こんな風に文にしてみると
自分ではなんてことはないと思っていた自分の考え方も
ちゃんと自己理論として確立しているものだったんだなぁ
って気づけるね

とはいえ、
普通に生活していく中で
「注射したくない」
「○○は嫌だ」
「○○はしたくない」
って周りの大人に言っても、通じないんだろうな。

ちゃんとこうやって文章にしたらちゃんと確立しているものなのに

私たちはワガママを言っているんじゃないんだよ
本気で嫌なんだよ

でもワガママと本当に無理なことの境界線って難しいし
見分けつかないよね

こうやって文章にすると
みんなが納得して「沙彩ちゃんはよく考えているね」と言ってくれるのに
なんで目の前の
「病院に行きたくない」
「グループホームの職員さんもうやめてほしくない」
「嫌なことしたくない」
「どんなにありえないことでも可能にしたい」
は一緒に取り組んでくれないんだろう

私は今、困っているのに
私は今、この悩みを解決したいのに

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沙彩

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