三月の半ば。庭の枯れ草をサンダルで搔き分けながらフキノトウを探す。まだ早いか、そう思った矢先にまだ花が開いていない小ぶりのものが生えていたが、一本がやっと。料理するには少なすぎるのでやむを得ず、収穫を諦める。
山菜特有の野性的な苦みが好きだ。
子どもの頃は食卓に並んでも、まずい、と、一蹴してろくに食べなかったのに、年齢を重ねるにつれて、素材の奥深さを理解出来てるのか、それとも単に、舌が鈍感になってしまっただけなのか、どちらにせよ味覚の変化によって徐々に許せるようになり、ここ数年に至っては、自ら見つけにいく始末。漠然と、美味しいから、と思うのみならず、季節に応じた旬の食材を摂り入れることによって身体の調子が整う気もして、よく晴れた日の午後にあちこち探し回るのだ。
下拵えとしてアクを抜くときはなるべく風味を落とさずに味わうために、茹で時間に細心の注意を払う。タラの芽もそうだが、天ぷらにする場合はこの工程が要らないので、揚げる方が随分楽だ。
毎年、GW明けに親戚からタケノコをいただく。大体いつも、米袋に大量に入れられておりありがたい、と思う気持ちと同時に、皮を剥いた後はどうすればいいんだっけ、という、戸惑いもやってきて、一旦、玄関に放置。スマートフォンからインターネットブラウザを起動し、検索をかけ、そこでようやく鍋に水を注いで火にかけるだけでなく米糠と唐辛子を加えるのだ、と、気付く。
母が代わりに行ったりもする年に一度やるかどうかも怪しい作業。ぼんやりと思い出し、流れを掴んだところで終わるので、そこが寂しい。