雪国の実家のこたつは魔窟。
入ったら最後、一生出たくなくなる。
こたつだけでも充分パラダイスなのだが、そこにさらにお母さんがいるのである。
テレビをボーっと眺めているだけで、自動でお袋の味が出てくるし、茶碗洗うぐらいは手伝っても、お風呂も沸いてるし至れり尽くせりだ。
いわゆる、実家天国。
外は−7°。
ブルブル震えながら帰ってきてあったかいこたつに入ったら最後、脳内麻薬出まくりで、背中と敷き布団は接着剤でくっつけたかのように離れがたくなる。
正月が終わったら自宅に帰らなければならないんだが、帰る時間になってもこたつからでるのが惜しい。
自分の自宅にはこたつがない。
極貧なので、風呂もたまにしか湯船には浸からずシャワーで済ませている。
ダイエットのつもりでスクワットをすれば、揺れすぎで階下の人に迷惑がかかってしまうのでやめなきゃいけなくなるぐらいのボロい安アパートに住んでいるため、もちろんすきま風もひどい。
雪国ではないが結構寒いところで、自分で家事して暮らすことの億劫さを思い出すと気分は萎えてしまう。
乗るはずのバスをこたつの中でやり過ごしたところで一本の電話。
いつもいろいろわたしに相談してくれる友人からだった。
電話を切った瞬間思い出す。
そういやわたしも人に頼られたりもしてるし、他にも約束があったり、たのまれていたこともある。図書館から借りてる本もあったし、ゴミも出さなきゃいけなかったっけ。
生活の現実を思い出してハッとなり、次のバスの時間を調べてこたつとはさよならする。
自分には今の暮らしがあり、そこにはわたしの居場所があった。
たまにそこから離れてしまうと少し楽だけど、現実逃避はいつまでも続かない。
そこに居続けたら、そこが現実となる。
人は生きた通りの人になる。
10年ぐらい引きこもって人生を無駄にした過去。
気がついたら周りの人は、結婚したり、転職したり、海外旅行いったり、やりたいことを叶えていた。
わたしはいったい何をしていたのだろう…。
食っちゃ寝して太って歳だけとった自分を鏡で見たとき、さながら玉手箱を開けた浦島太郎のようだった。
その絶望感から立ち直り、「今からでも少しずつやりたいことができるようにならなきゃ!」
と思ったんだった、と我にかえる。
今の暮らしはたくさんの人の協力のおかげで成り立っている。だらけてばかりはいられない。帰路につく長距離バスの中でそんなことを考えた。
「でもこたつ、最高だったな…こたつ買おっかな…」という考えが一瞬頭をよぎる。
いやいや、誘惑に弱くてダラけやすい自分の家には、絶対こたつは置かないぞ…!と固く心に誓った。