NHKなどでよく障害者についての番組がやっていると思う
でもその中で私は思った
障害者に気を使っている健常者が疲れていないか
今回はこの話について掘り下げたいと思う
よく障害者をテーマにしたテレビ番組でこんな話が出てくると思う
「車いすのためにもっとスロープを増やしてほしい。少しの段差にもつまずいてしまうのでコードなどをどかしてほしい」
「自分は発達障害を持っているので、こうゆうところを気を付けてほしい。こうゆう風に働き方を変えてほしい」
「私はLGBTどれにも当てはまらなくて、自分でもどうなのかわからなくて、だから男なのか女なのかって聞かないでほしい」
私もこの方たちの言っていることに賛成だ
その通りだと思う
否定もしないし、できる限り協力したいと思う
しかし、私はグループホームの職員さんを見ていて思った
「なんだか、支援者側が疲れていない?」
定期的にミーティングをするのだが、
たまに気を遣うところが多すぎて職員さんが疲れている様子がある
実はそれは私も同じ
というか入居者同士も同じ
要は気を遣う側が疲れているのだ
障害者側の番組は組まれるのに支援者側の番組は組まれない…
私も過ごしていてその方に対して
「もっとこうだったらいいのに…」
「もっと気にしないように生きればいいのに…」
「もっと神経図太く生きればいいのに…」
と思う時がある
頭ではわかってるんだけど、それが病気なのはわかっているんだけど、思う時がある
頭ではわかっているのに、それができないのは悪いことじゃない
このように支援者さん側も相手に気を使ってて
「ここ疲れるわぁ~」
ってことがあると思う

あとはその障害のことを知らないからということもあると思う
例えば
私はLGBTの方に会ったことがない
男性と女性にしか会ったことがない
なのでとても申し訳ない話なのだが
私もテレビで「この人どっちなんだろう…」って思う時がある
会ってその方と話して体感したことがないのでどっちかに分けないと接しずらい自分もいる
それは経験の少なさから出るものだと思う
世界には何億通りもの障害があると思う
それを知らない人にとってそれをすべて理解するのは難しい
私は小さいころから兄の関係で個別級に出入りしていて、そして私自身もグレーゾーンではありながら発達障害持っているのでその分野は得意なのだが
まったく関わったことがない人にとっては未知の世界であるように
不快な思いをさせる気はないけどわからない。ということがあると思う
それを超越(ちょうえつ)した先にwinwinな関係ができるのだと思う
ちなみに私は
障害者ではなく”ハンディキャップ”と呼ぶほうが好きだ
障害者は決して”障害”ではないからだ
私は障害を”障害”と思ったことがない”才能”だと思っている
だから発達障害を持ったこの体を誇りに思っている
この体に産んでくれたお母さんに感謝したい