いつもの夜

 玄関の前を狸が横切る。初めて見たのはお風呂から上がって髪をドライヤーで乾かした後、外に出て、しゃがみ込んで煙草を吸っていた昨年の夏の夜で、一瞬、戸惑った。あまりに無警戒だったからだ。鼻を地面に近付けながら餌を探し回っている、といった様子で、至近距離なのにもかかわらずこちらに対して一向に気付く気配がない。が、流石に、私が立ち上がった途端には「ぶはっ」と鼻息を漏らし、足早に去っていった。その後数か月に渡って、雨の日だろうと毎晩のように出没しては消えるを繰り返していたため、狸のいる風景に慣れた。

 ぼんやり観察していても行動パターンに気付ける。必ず、庭の右手から目の前を通りがかり、池に寄っていく。外灯の光があまり届かず、だから水分を摂っているとは完全に言い切れはしないが、少し間をおいてから、また歩き出し、そのままさらに奥の薄暗がりへと身を潜める。夜行性の狸にとって、朝起きたらコップ一杯分の水を飲まないと気が済まないような、そんな風な、ルーティンを持ってるのだろう。

 畑か、納屋か、近くに住処があって、そこを中心に行動してるんじゃないかと疑った頃には、めっきり姿を現さなくなった。そして私は、一息つき、寝床に入るだけのいつもの夜に戻った。

 もしかしたら今夜あたりは来るかも、と、勝手に期待し、普段よりも長い間外にいても身体が冷え、指先の感覚がなくなるだけ。もう冬である。上着を着込んでカイロを握り締めていてもこの有様なのだし、狸も、活発さが失われ、何処かでじっといるのだと思った。

 朝。茶の間のカーテンを開き、雪が降り積もった敷地を一目見てがっかりする。電車が動いてるか、さらに、遅刻せずに通所出来るかの不安を感じつつ、ヒータを点け、その傍で小刻みに震えながら着替えを済ませる。宅配ボックスに入った新聞を取ろうとして窓を開けると、玄関の前から池にかけて足跡が残っているのがわかった。

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行谷いさご

たまに講座を受けながら十年ぐらいエッセイを書き続けています。くどい言い回しが表れたり、感情を挟む以上に説明文が長かったり、その辺を何度も読み返して反省を繰り返しながら一作品、また一作品……と、丁寧に、少しずつ作り上げていきたいです。

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