幼少期に覚える言葉は、大抵、音が先に来て、後から漢字が追いつく。さらに一定の時期を迎えるとあれは訛りだったんだな、と、不意に気付くことがある。
昔、祖母が「よごじょのおばちゃんの家に行ってくる」と言い出したときに、ああ、あの、ブドウを庭で育ててる女の人のところでお茶をするのだと、「よごじょのおばちゃん」が、誰を指しているのか即座に顔が浮かぶので固有名詞と同様の働きを持っていた。小学三、四年生ぐらいか。「横」と「丁」のどちらの字も習ってからだろう、横丁の発音が濁っていたのだと後々察した。
複数人で伝言ゲームをするとまず最後が違うため、どうして訛りが発生するのかは情報の伝わり具合によるものだと考えられる。都で新しい単語が生まれて、地方に広まる過程で少しずつ変化していき、意味は同じでも、場所によって異なる読みで落ち着くというように。インターネットの普及に伴い、どこかのきっかけで音が変わり、そのまま他者に届くことはめっきりなくなった気がするが、例えばすさまじ、が、すさまじいになるように意味が同じでも時代によって変化する存在は無視できない。
手話だと、伝えたいメッセージは同じでも動作が変わる。ここ近年では携帯電話がそうで、過去には手を握った後、(アンテナを指す為に)人差し指を立てていたが、現在は人差し指を空中でスライドする仕草を見せることによって示している。パチンコ、なんかも以前と違う動きにアップデートされてたはずだ。
話がやや脱線しかけてきたので元に戻すが、私にとって訛りは第二言語に近しく、その土地に長年住んでいるからこそ自然と身についている言葉がいくつか、ある。標準的な喋りをしてるつもりでも、案外周りから見れば、地元感が発揮されているのかもしれない。