「敬老会で配る色紙に貼りたいから」とする理由で母に呼ばれ、妹と三人でテーブルを囲み、折り紙を手伝う。鶴、亀、それぞれ60枚用意したい、とは予め聞いていたものの、扱う用紙は金や銀などの光沢があって少し厄介。どこか折りづらく、先端が潰れたりするなどのミスが妙に目立ち、中々思うようにいかずに苦労した。
我が家では、こういうことが昔から頻繁に起きている。突如、母が職場である老人ホームからわざわざ模造紙を丸めて家に持ち帰ってきたかと思えば、ちぎり絵での横断幕作りに付き合わされたり、すごろくの道を油性ペンで書かされたりと私も妹も子どもの頃から残業をしてる。過去を振り返ってみると、これまで自宅でのレクリエーションの準備に被った覚えはなく、よくもまあ、ネタが尽きないなとはぼんやり思う。利用者の状態に合わせて身体を動かしてもらおうとすると施設内にある程度資料があったとしてもその中から随分絞られるわけで(ただ全てにおいて制作活動が必要なわけじゃないし、制作を除くと被りは自然と生まれる。例えば、寝たきりの相手には、部屋の窓を開けて風を浴びてもらうだけでも季節を感じるレクとして扱われるからである、念のため)。
折りはじめると次第に会話が減っていく。念のため、一度、本で折り方を確かめながら完成させると、それ以降は、集中、というか無心に近い。順序良くスピーディに進める、適当に区切りをつけて、自分が折った分の折り紙の数、そして全員分の折り紙を合わせて合計をとるまでは、茶の間は無言の空間になる。
この手の作業は慣れた頃には終わる、そこがちょっと寂しい。ジップロックに折り紙の山を詰めると、達成感と同時に疲れがどっとやってきて、畳の上で横になる。