小学五、六年生の頃は辞書をよく使った。特に漢字辞典。漢字の成り立ちはもちろん、四字熟語の由来も。当時の私でもわかるイラスト付きの説明がまたよかった。
使用頻度は学校よりも家でのほうがずっと多かった。書店で買ってもらったときに、もしかしたら毎日この分厚い本を入れて、ランドセル背負って歩くんじゃないかとびびってましたが、図書室に一クラス分あるため、危惧した通りにはならなかった。
担任から、次これ覚えてきて、と、いくつか漢字を提示されるんです。宿題で。それで手がかりの音、訓読みを頼りに目次を開いて、どの頁に載っているか探し出し、部首や画数、書き順、その文字を使った言葉を適当にノートにまとめる。翌日の授業であてられたらそれを参考に答えるためにだ。手間暇かかる工程を踏んでいるけれども、後になって振り返ってみると、一個の漢字に対して、覚えるのにすごく贅沢な時間を費やしていたんだと気付く。
最も大きな変化は(これは後々、国語辞典も平行して触るようになったおかげでもあるはず)何か気になる単語が見つかったら、反射的に辞書を引く姿勢が身についたこと。……ですが、今じゃそれがネット検索に置き換わっています。この意味なんだろうと気になったら、即スマホ。エッセイやコラムを書くうえで、正しい言葉遣いが出来ているか確認する意味でも、まず辞書アプリないしサイトを覗く。とにかく手っ取り早く済むし、楽だ。
しかし、これは私の体感だがどこか記憶に残りづらい。もしかしたら気持ちの問題かもしれません。わからなくなったら直ぐ調べられる安心がすごくて、覚えようとする気概を持ちにくく、一時的な解決で終わる。それでも能率的で便利なことに変わりないし、もっと上手く使い分けられたらいいのだけれども。