一次創作における作品の愛情

創作における「作品への愛情」というと、どちらかといえば二次創作における「元ネタへのリスペクト」に関して語られることが多いと思うが、今回は自分自身の一次創作ないし単品の作品と捉えた時の二次創作物を対象に考察してみる。

インターネット上で創作物を探していると、時々自分の作品を肯定できない方を見かけることがある。他者承認ありきで描いている方もいれば、単純に自分の表現力に満足できない方もいる。

話は少し変わるが、個人サイト時代にお絵描き掲示板というシステムが盛り上がった。開発者や企業による定義の解説がないため定義を引用することは避けるが、大まかに言えば「ブラウザ上のアプリで描かれた絵を投稿する掲示板」ということになる。いくつかの開発者の派生や交代を経て、現在に至り開発は続けられている。

そのお絵描き掲示板は謙遜をする方がやたらと多かったな…という記憶が強かった。他人に絵を贈ることと近いだろうからまあ仕方ないだろうが、今だったらちょっとした問題になりそうだな…とは思う。

私が考える自作品を肯定できない方というのは(本心はどうあれ)この「謙遜」を拗らせた方だと思う。それは時に「他者に承認を求める」行為に至る。現在においてはSNSの数字が取れないからだろうが、他者に自分の趣味を委ねるということは自分の軸が不安定になる行為だな…と感じる。

私は基本的に自作作品に関しては(不本意な形で依頼でもされない限りは)「描きたいから描く」し「実力はどうあれ、自分の作る作品に愛着を持つ」というスタンスで描いている。どうしてそういう所に落ち着くことができたか…と考えるが、以前の記事にも書いた通り、絵を描くことが自分にとって当然だからと考えている。

けれども、他人と比較することで軸が不安定になってしまう方も結構多い。
私は誰かと比較する…というか自分の実力を感じさせる環境を作らないようにしている。サイトの連絡フォームにNGワードを追加し、不安定になるようなメッセージを受け取らないように工夫する。人によっては甘いと思われるかもしれないが、趣味で行っている活動に関して文句を言われることは不本意だと思うからだ。

評価への執着は時に自作品への敬意を捨ててしまうことだと考えている。私は評価を気にしそうになったら、SNSのアプリを閉じて作ることに集中することにしている。自分が作った作品への愛情を揺らがせないためにはそれが一番じゃないかと私は考える。

ところで、二次創作における「元ネタへのリスペクト」が存在しないと指摘される理由の一つに「そもそも元ネタの詳細を知らない(読んでいない・観ていない)」がある。なぜよく知りもしない作品のファンアート(二次創作小説であることもある)を描かなければいけないか、といえば「他者承認が欲しい」に尽きるかと思われる(少なくとも私はそう感じた)だからそういう二次創作物はキャラクターの口調や一人称に違いが出ることも多々ある。

承認に依存した創作活動は一次創作も二次創作も関係なくトラブルが付きまとうと私は思う。インターネットでファンコミュニティ上で起こったトラブルを調べると無数にあるが、大半が行き過ぎた承認欲求が背景にあると考える。
創作活動はアウトプットを伴うだけに、インプットだけをする側より偉いと感じがちだけども、人間性としてはどうか?ということはまた別になると私は思う。自戒としても。

上記は一次創作キャラクター。

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bio

お絵描きと個人サイトいじり大好き。インターネット老人会会員。読書好きでちょこっとアニメを観たりします。

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