なぜ読み返すか
私は読書メーターというSNSを利用して読書感想を書いている。
感想を書く目的の一つとして、「過去読んだ本の感想を言語化」することだ。ゆえに、最近は一度読んだ本の再読が多い。(海外文学の場合は訳者を変えて読むこともある)
自分は10年以上前から図書館は利用していたし、本を読むことも多々あったが、感想を覚えていない作品も多く記録しておくべきかなと思い、最近読んだ本に関しては再読の方が多くなった。
訳者違いで言えば「赤毛のアン」は訳者のバリエーションが多く、最も有名とされている邦訳は村岡花子版の抄訳だ。逆に完訳で一番有名である邦訳は松本侑子氏が書いたバージョンとなる。私は村岡氏の訳から入り、最近になって松本氏の訳で内容を再確認した。松本氏の訳は注釈が豊富でわかりやすく読めたと思う。抄訳と完訳の違いについては過去述べたが、最近は完訳を探して読み直すことも多々ある。
かつていくつ読んだか覚えていない
しかし、借りて読んで読書メーターに記録してもまだ読み返していない作品は多い。読んだ記憶だけあり内容を覚えていない本が多すぎると我ながら思う。自分は現役の日本人作家では有川ひろ氏と三浦しをん氏の作品を愛読しているが、未読の作品を読む前に既読の作品の感想をまとめたいという気持ちが強いわけである。
思い出あれこれ
最近、過去読んだときにあるキーワードが妙に印象に残った「冷静と情熱のあいだ Blu」を古本で見つけて購入した。まだ読み直してはいないが、今読んだらどういう感想を抱くだろうか…と思うくらい内容の記憶がない。海外の話というくらいしか覚えていないという。「Rosso」の方も発見次第購入しようかと考えている。
また、とあるライトノベルの未完結シリーズに読み返したい作品があるが、読み返す勇気がない。それは嗜好の変化というよりは続きが読みたくなるから…だと考えている。シリーズものの場合、本筋に決着がつかないまま作者が筆を置くパターンも珍しくないため、時間が経ってみると寂しいというか、懐かしいというか…。(作者は在命なようであるため、心理的な事情だろうか?)
小説の内容を忘れたということは逆に言えばまた楽しめるということだろうと思う。今丁寧に記録しても歳を取れば読んだときの感情自体は忘れてしまう可能性が高いため、また読み返すだろうと思っている。
当分終わらない
過去に読んだ本の再読が全て終わることはだいぶ先だと思われる。読んでも読んでも読みたい本は出てくる。BOOKOFFの本棚で好きな作家のコーナーを見ても未読の作品が見つかる。
しかし新しい作品に手を出す勇気がないことも事実である。借りることなら時々行うが、買う場合は古本であっても気に入らなかった時を考えると憂鬱になるからだ。お金を出して買うならば、私は手元に置いてもいいと既に確認できている作品にしたいと思う。