こんにちは、まとです。
今回は変化のお話です。
私は子供のころからゲームが好きでお小遣いを適度に残しながら新作ゲームを探索する毎日でした。
お小遣いを全部つぎこまないあたり、理性はある程度あった子供でしたね。
そんなゲーマーだった私は大人になり自制した結果、今はほとんどしていません。
あんなにゲームは生涯の友達だと言っていたのにです。
皆さんは変わろうとした結果、手放したものはありますか?
なにかを得るということはなにかを失うということなんだろうなとおもっています、私は。
例えば絵を上手くなりたいと思った時点で今の絵の味はなくなると思いますし
新しい事をはじめるということは今までの自分からの脱却になるとおもうんです。
それは確かに得るために失うことなんじゃないかなと。
ま、この世には得てばっかの人生イージーモードの人もいるとはおもいますが。
つまりなにが言いたいかというと、ありのまま、変わらない事も大切で凄い事なんじゃないかなって、最近思います。
昔のゲームへの情熱を思い出しては。
確かに幸せだったんです。今も幸せですが。
ゲーム好きの私のままだったら得てた幸せもあったんだろうなと。
勿論、ケースバイケースですからね?
この記事にかいてあったんだもんって駄目な部分を肯定する材料にはしないでくださいな。
とはいえ変わらぬ美しさは素晴らしいし、変わる美しさもまた素晴らしく
皆さんは人生でどっちの美しさを多く選んできましたか?
どっちも美しいですからね、皆さんの道はとても輝いていることは間違いないとおもいます。
私も輝いていればいいのですが。
そんな事をぽつり、思った記事でした。
今回の姪っ子ちゃん。

ピーマンを食べられるようになった姪っ子ちゃんに
叔父さんは感慨深くなるのでした。