皆さんこんにちは。9月4日は「心を注ぐ急須の日」です。今回は急須についてご紹介いたします。
急須とは、昔ながらの道具でありながらも、お茶を淹れて注ぐ際に使用される陶芸品です。そもそも急須の原型は中国で発明され、お茶を飲む習慣がある文化圏、とりわけアジアでは古くから使用されています。日本では江戸時代後期に上方から江戸に伝わり、「きびしょ(急焼、急尾焼)」とも呼ばれました。「急須」という呼び名は、ある中国学者・中国文学者の方によれば、「急須」は中国・呉(蘇州地方)の方言で酒を温める器、「急焼・急尾焼」は福建の方言で湯を沸かす器の事といいます。「急須・急焼」といった横手の湯沸しを、茶を出す道具に転用したのは宝暦6年(1756年)、江戸時代中期の学者の方によるという事です。日本独自の横手急須は、本来、中国で湯沸しとして用いられていた物を、茶を淹れる道具に転用したものとされます。各喫茶文化圏で独自の発達も見られ、それぞれ補助的な道具が付随する事があり、例えば日本では玉露などの低温の湯で淹れる茶葉が発達した為「湯冷まし」を併用する事も多いです。
そんな急須ですが、この陶器を作る上で最も一般的な素材は陶磁器製です。特に中国の江蘇省宜興窯で作られた紫砂(紫泥)の茶壺は、古来より珍重されました。これは無釉の焼締め陶器で、当地で産する粘土は鉄分を多く含んでおり、焼成後は朱茶色や黒紫色を呈する事から朱泥、紫泥と呼ばれました。後に日本の萬古焼、常滑焼やイギリスのウェッジウッド窯でもこれを模倣し、日本では急須の主流を朱泥、紫泥の製品が占めております。日本では伊万里焼、九谷焼、瀬戸焼、薩摩焼などの磁器製も多く、備前焼や丹波焼などの焼締め陶器や、美濃焼、萩焼など陶器製のものなど、非常に多くの種類が生産されています。この他鉄製、ステンレス製、アルミニウム製、石製、更に透明な耐熱ガラス・樹脂製のものもあります。
続きまして、「心を注ぐ急須の日」の原点についてご紹介いたします。「きゅう(9)す(4)」(急須)と読む語呂合わせの日付が原点で、急須のある生活を進める事で人々の心にも愛情という潤いを注ぎ、家族の和みの時間を増やしてもらいたいとの想いが込められています。「お茶の入れ方セミナー」などのイベントを通じて急須でお茶を飲む文化の普及と、人と人との温かいコミュニケーションの拡大を目指しています。京都府京都市伏見区の宇治茶の製造卸直販店「京都ほっこり庵七之進」の方が制定し、記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。