一時期、江戸川乱歩の作品にハマっていたことがある。おなじみの名探偵明智小五郎が活躍するシリーズ物から、隠れた名作、短編までいろいろ読んでいた。その中に、「押絵と旅する男」という作品がある。不思議さと奇怪さが入り混じる、魅力的な氏の短編の一つだ。
主人公は列車に乗っている。反対の窓際の席には板状の物を風呂敷で包み、大事そうに抱えている怪しげな老人がいた。ふと老人と目が合い「中身をご覧になりますか」と勧められる。そして美しい着物姿の女の押絵を見せられ、それにまつわる不思議な話を聞かされる。なんでも、この押絵に人が魅入られて、押絵の世界に行ったまま帰って来ないとか…。
話はとても面白かった。しかしたびたび出てくる「押絵」とは見たことも聞いたこともない。失われつつある数多の伝統工芸品の一つだろうか。私は気になって調べてみると、なにやらちりめん細工のようなものが出てきた。「押し」とついているのだから、何か押し花のように紙に押して作る絵のような、あまりお目にかかれない伝統工芸品かと想像していた。よく検索結果を見れば、親戚の家や市民センターで見たことのあるような…いや、年末年始のニュースで見かける羽子板に似ているような気がする。
どうやら着物を作った時のあまりの布をメインに「型紙と厚紙を使い、様々な素材の布片で綿を包んで羽子板等に貼り合わせて」いく、ちりめん細工の技法の一つだという。「押す」とは「貼る」のことらしい。明治、大正では女性たちの間で美的感覚や手先の器用さを養うものとして当たり前に作られ、出来栄えを競うほど盛んだったようだ。一時は廃れたものの、現在は普及活動が功を奏して、趣味の一つとして成り立つほど復活を遂げ、最近ではインテリアや趣味の一つとして作られたりしているようだ。
昔からこういったものが盛んに作られていたんだなと、関心しながら保存されている作品を見る。干支や季節の風物詩を表現したもの、なかには日本画をそのまま布と綿で細工したようなものもある。作品から伝わる明治・大正の女性達の器用さと、優れた美的感覚にただただ圧倒されるのだった。
参照 https://chirimenzaiku.org/
それから数か月後、manabyで「ちりめん細工ワークショップ」に参加することになった。eラーニングばかりで飽きてきたので、気分転換に参加した。小さなパーツをボンドで貼るだけできれいな花のキーホルダーができる。けっこう簡単だなと思った。が、主催のクルーさん曰く
「パーツが売ってあるのではなく、自分で布を買って作らないといけない。ボンドではくっつかない。専用の高値の糊を使わないといけないものもあるので大変。1センチ四方の布を折って作ることもある。」
という話を聞きながら、およそ2センチ正方形の布を小さく折りたたんだパーツを見て私は絶句した。こんな小さなものを折りたたんで、何十個何百個と作るのはまねできない。このクルーさんはなんて器用な人なんだと思った。恐るべし、ちりめん細工の世界。ふと、たまに呉服屋さんで見るちりめん細工のかんざしが高い理由も納得した。高い物にはそれなりの手間がかかるのだ。
こんなに細かく美しい、作り手が全力をかけて作る物に魅入られてどうにかなる。そんな話を江戸川乱歩氏が思いついてもおかしくはないだろう。出来上がったちりめんの花をながめ、一人ぼんやりと考えたのだった。