
目次
前回までのあらすじ

ゴリラ「どうも皆様、おはようございます。もしくは、こんにちは。あるいは、こんばんは。城団出署(じょうだんでしょ)にて刑事をしております、警部補の五里蘭次郎(ごりらんじろう)と申します。どうぞ気軽に、『ゴリラ』と呼んで下さい。……というか、人物名が既にそうなっているので、是非そう呼んで下さい。
それで、今回は前回の『事件編』の続きとなっています。まだ読んでいない方は、どうぞ先にそちらをご覧下さい。……え?前回の終わりに『解決編』に続くとなっていた……?それは……まぁその、大人の世界には色々あるということでご容赦下さい……。
……ただ、ここに私がいるということは、どうやら『事件編』のあらすじを語らないと、捜査には戻れないようですねぇ。嫌ですねぇ。面倒臭いですねぇ。こんなの猿山君に任せたらいいじゃあないの……あぁ、猿山ってのは私の部下の猿山将大(さるやままさひろ)という男のことで……いや、今はそれより事件のことですね。
この度大曽動物園(おおそうどうぶつえん)にて、園長の悪七光(あくしちひかり)さんが、園で飼育しているライオンのジュウロクに襲われて死亡するという、大変痛ましい事件が起きました。私事ですが、何分こういう凄惨な内容に耐性がないもので、悪七さんのズボンのポケットに鍵が入っていたとか、現場証拠だけでちゃっちゃと事故死と決めつけそうになりましたが……。
副園長の島仏愛子(とうふつあいこ)さん、彼女がどうも怪しいのです。動物も、子供達も、今は亡き先代の園長である大曽時(おおそうとき)さんのことも大事にされている、素晴らしい方ではあるのですが、何と言いますか、時折危うさが見えるんですよねぇ。先代の副園長である福圓長之助(ふくえんちょうのすけ)さんのことも、不自然な程に拒絶していましたから。そういえばその前に、国明日動物園(ごくあくひどうぶつえん)の日藤烈(ひとうれつ)とかいう胡散臭い代表の人とも話していましたねぇ。
……なんて思っていたら、島仏さんが記者会見で悪七さんの今までの悪行三昧を暴露してしまいました。どうやら悪七さん、園をわざと経営悪化させて、秘密裏に売却しようとされていたようで。いやはや、とんだ園長さん……いや、もう元園長ですね。島仏さんが次の園長になると、カメラの前で堂々と宣言しちゃいましたから。
しかし、そうは問屋が卸しません。島仏さんには悪七さんを殺す、確かな動機があります。事件が起きるより前に島仏さんは帰宅されたそうですが、悪七さんが殺された時刻の大曽動物園は、何故か停電になっていました。その暗闇の中に、真実があるはずです。
そして、おそらく鍵を握る人物が、先代の園長の大曽さんです。彼女と島仏さんと悪七さん、三人の間に何があったのか、調べてみる価値はあるでしょう。
……こんなもんですかね?いやぁ、慣れないことはやるもんじゃあないよ。仮に次があっても、私は絶対にやらないからね。さてさて捜査の続きを……」
第七章:『動力源』
~話し合い~
島仏の記者会見から、3日が過ぎた。テレビカメラを通じて全国に届いた島仏の声明は、日本中に衝撃を与えた。事故の謝罪よりも内情の暴露を優先したという批判もある一方で、今まで耐え忍んできた彼女の勇気を称えるべきという声もあがり、まさに賛否両論である。ただ、ライオンのジュウロクに殺された悪七に対しては、その悪行の数々から、大方『否』の意見で固まりつつあるようだ。

島仏「……」
スタッフ一同「「「……」」」
問題があるとすれば、肝心の大曽動物園である。スタッフルームで話し合い中の彼女達の空気は、一言で言えば最悪であった。まだ昼の3時だが、部屋には暗く冷たい風が流れている。
島仏「意見があるなら、はっきり言ったらどうですか」
女性スタッフA「それは……その……」
女性スタッフB「あの……島仏さん……」
島仏「園長と呼んで下さい」
女性スタッフB「あっ、すみません……。え……園長。やはりその、たったの1週間で再オープンって、無理がありません……?」
スタッフの手には、再オープンを堂々と伝えるチラシが握られていた。『日曜朝9時、大曽動物園再始動』と。今が木曜日の午後なので、準備期間はあと2日とちょっとしか残されていない。
島仏「無理?何故です?」
女性スタッフC「それは……園長が一番知ってるんじゃないですか……⁉悪七さんが売却企んでいたなんて、私達に一言も教えてくれなかったじゃないですか……‼」
女性スタッフA「そうですよ……‼いきなり記者会見であんなこと言われて、親や友達から連絡きまくりで大変だったんですから……‼」
女性スタッフB「心配で働けませんよ私達……‼」

島仏「なら今すぐ辞めていいですよ」
スタッフ一同「「「えっ……」」」
島仏「私としては、あの男のセクハラやパワハラから解放されてイキイキと働いてくれると思っていましたが、残念です」
島仏は大きく溜息をつくと、囁くように呟いた。
島仏「弱い犬ほどよく吠える……」
スタッフ一同が震え上がる。不快さの塊であった悪七よりは園長として相応しい人物であるが、それにしたって温かみが感じられない、まさに『鉄の女』であると。
女性スタッフA「も……持ち場に戻ります」
女性スタッフB「私も……」
女性スタッフC「失礼しました……」
扉が静かに閉まる。スタッフルームには、園長の椅子に座る島仏がただ一人。
島仏「……今はこれでいい」
あの会見で世間からのマイナスイメージを減らすことには成功したものの、大曽動物園の劣勢に変わりはない。今は少しでも早く経営を再開し、話題になっている今の内に業績を回復しなければならない。そのためには、心を鬼にする必要がある。
島仏「……優しさなんていらない」
自分に言い聞かせるように、言葉を唱える。しかしその背中は、どこか震えているようにも見えた。
島仏「優しさなんて……」

その瞬間、『バチンッ』という音と共に突然暗闇が訪れた。
島仏「……」
停電だ。
島仏「はぁ……」
まだ明るいこともあって慌てる様子も見せず、島仏はスタッフルームを後にし、廊下を早足で歩いていく。向かう先は、この停電を起こした犯人の元だ。
*
~動力室にて~

猿山「やっべぇ……」
動力室でうろたえている猿山。彼の目線の先、天井近くには、電源の落ちたブレーカーがあった。
ゴリラ「何したのさ猿山君!?」
慌てた様子でゴリラが入ってきた。
猿山「ち……違うんですよ‼これは不幸な事故で……」
ゴリラ「どういうこと?」
猿山「いや……ですから……ブレーカーあの高さじゃないですか」
ゴリラ「うん」
猿山「ジャンプしても届かないじゃないですか」
ゴリラ「うん」
猿山「でも一応試しにと思って、この1円玉をですね」
ゴリラ「えっ」
猿山「指で飛ばしたら一発で当たっちゃって……」
ゴリラ「えぇ……!?」
1円玉を手に持ちながら、震えが止まらない猿山。
猿山「どどど……どうしましょう!?」
ゴリラ「どうするって……とにかく復旧させるしかないよ‼島仏さんにバレたら大変……」

島仏「どう大変なんですか」
ゴリラ・猿山「「あっ!?」」
動力室の壁際、腕組みをしながらこちらを睨んでいる島仏の姿があった。
島仏「刑事さん、確かに私は園内の捜査を許可しましたが、ブレーカーを落として良いとは一言も言っていませんよ……?」
口調は穏やかだが、声色から怒りが隠しきれていない。それもそのはず、今日は動物園の業務を邪魔しないことを条件として、園内の捜査をやらせてもらっていたのだ。
ゴリラ「も……申し訳ありません‼」
猿山「どどど……どうもすみません‼」
重圧に耐えきれず、平謝りする刑事二人。
猿山「ぜ……全部僕の責任です‼もう1回ブレーカーに1円玉当てて復旧させるので、どうかお許しを……‼」
島仏「そんなこと出来るんですか……?」
猿山「100回でも1000回でも、当たるまでやってみせます‼」
島仏「……いや、そこまでやらなくていいです」
猿山「えっ」

島仏「倉庫にハシゴあるんで」
猿山「ズコーッ」
その場で前のめりに倒れこむ猿山。
島仏「お二人はこちらにいて下さい。……くれぐれも、余計なお触りはなさらぬように」
そう釘を刺して、島仏は動力室から出ていった。
猿山「ふぅ……怖かったぁ。しかしまぁ、園長になってなんだか前より迫力が増し……ゴリさん?」
ゴリラ「……」
目を瞑り、考え事をしている様子のゴリラ。
猿山「どうかしたんですか?」
ゆっくりと目を開き、疑問を口に出す。
ゴリラ「猿山君さぁ、おかしいと思わない?」
猿山「何がです?」

ゴリラ「島仏さん、ブレーカーを落とした犯人が最初から私達ってわかってたような口ぶりじゃなかった?」
猿山「え?あぁー……言われてみれば。でもここ数日、停電は起きてないって聞きましたよ。それで絞れただけじゃないんですか?」
ゴリラ「あぁ、確かにそうだね。でも停電が止まったのは、事件が起きた次の日からだ。ここ数ヶ月停電が頻発していたっていうのに、まるで図ったかのようにね」
猿山「えっ、偶然じゃないんですか……⁉」
ゴリラ「そもそもさ、ハシゴを動力室に置いておかないのも変じゃあないか」
猿山「い……いやそれは、出しっぱなしが嫌いで、使い終わったら倉庫にしまってるんじゃないですか?」
ゴリラ「停電が滅多に起きないんだったら、それもわかるよ。でも、毎晩のようにハシゴを出し入れする手間を考えたら、どう考えても損だよ」
猿山「じゃあ……ゴリさんは何故だと思うんです?」
ゴリラ「そりゃあ、ハシゴを置いておく必要がないからさ」
猿山「毎回律義に、自然に復旧するまで待っていると?」
ゴリラ「それも違う」
猿山「もったいぶらずに教えてくださいよ!」
ゴリラ「島仏さん、ハシゴ以外に知っているんじゃあないかな。ブレーカーの電源に触る方法」
猿山「そ……それってまさか……」
震えながら手元を見る猿山。
ゴリラ「言っとくけど1円玉じゃあないよ」
猿山「……ですよね」
ゴリラ「でもパワーはそんなに変わらないかも」
猿山「へっ?」
ゴリラ「ブレーカーの電源って、電気のスイッチみたいに軽く触っただけでは動かないはずなんだよ。ところがあの『ON/OFF』のスイッチ、随分と柔らかそうだ」
ゴリラの言う通り、スイッチのつまみは金属やプラスチックなどの固い素材でなく、ゴムのような物で出来ていた。
猿山「あっ、ホントだ!?でも……なんでです?」
ゴリラ「その方が動かしやすいからさ。ブレーカーを動かす『スイッチ』にとってね」
猿山「スイッチ……?」
意味深な言い方をするゴリラ。続いて動力室の通気口を指さした。
ゴリラ「アレ見てごらん」
猿山「え?別に普通の通気口……ってあっ⁉カバーが⁉」

その通気口には、本来なら付いているはずのカバーが付いていなかった。
ゴリラ「カバーが無いとどうなる?」
猿山「そりゃあ物騒……いや、風とかゴミとか入ってきますよね。……あっ、ほら、ここにも!」
そう言って猿山が床に落ちていたゴミを拾う。
ゴリラ「いや別に拾わなくても……ん?ちょっと見せてくれるそれ?」
そう言われ、猿山はそれをゴリラの手の平の上に落とす。極小のそれは、一見ゴマのようだ。
猿山「お菓子か何かの食べかすじゃないですか?」
ゴリラ「食べかす……なるほど」
ゴリラはポケットからハンカチを取り出すと、それを包み込んだ。
ゴリラ「島仏さんには秘密ね」
猿山「あぁはい……ってそれより待って下さいよゴリさん‼」
ゴリラ「何が?」
猿山「さっきの停電の話ですよ‼スイッチがどうたら言ってましたけど、まさか島仏さんが自分で停電にしたっていうんですか⁉」
ゴリラ「あぁ、私はそう思う」
猿山「いやでも……前に福圓さんと一緒に監視カメラチェックしましたけど……そんな映像は……」
ゴリラ「あぁ、映っていなかったよ。いや、映っていなくて当たり前なんだ。だって映らないようにするためのトリックだからね」
動力室の監視カメラを指さすゴリラ。先程の通気口の真下にあり、こちらにレンズが向いている。
島仏「お待たせしました」
島仏がハシゴを持って戻ってきた。

猿山「げっ」
島仏「げっ?」
ゴリラ「あっ……いえいえ何でもありません。復旧の方お願いします」
島仏「えぇ」
島仏はハシゴを壁にかけると、早々と登り、ブレーカーのスイッチを入れた。すぐさま、電気が復旧した。
島仏「何か気になりますか?」
猿山「あっ……いやいやいや‼別に何でも‼」
ゴリラ「……」
相変わらずの部下に溜息をつくゴリラであったが、軽く息を整えると、島仏に話しかけた。
ゴリラ「あの……島仏さん、今お忙しいですか?」
島仏「えぇ、誰かさん達のせいで余計に」
ゴリラ「うっ……いやあの、5分でいいんですけど、お話出来ませんかね……?歩きながらとかでも大丈夫なので……」
島仏「……」
ゴリラ「……ダメですかね」
島仏「今から外の作業をするところなので」
ゴリラ「あっ……」

島仏「……現場に着くまでの間ならいいですけど」
ゴリラ「あっ……ありがとうございます!」
猿山「えっ!?ちょっとゴリさん僕は……」
言葉を遮るように、猿山の携帯に着信が入る。
猿山「なんだこんな時に……。はいはいこちら猿山……えっ!?日藤が!?みみ……見つかった!?わわわ……わかったすぐ行く!」
電話を切ると、言葉通りすぐさま駆け出す猿山。
猿山「行ってきます‼」
そう言い残して、動力室から去っていった。
ゴリラ「やれやれ……大丈夫かな」
島仏「私達も行きましょうか刑事さん」
ゴリラ「あぁ、はい」
猿山に続いて、動力室を出る二人。ゴリラは島仏が会話に応じてくれたことに安堵したが、前のように『ゴリラさん』と呼んでくれないことに、少し残念な思いも持っていた。
第八章:『思い出』
~探るゴリラ~

園内を歩くゴリラと島仏。ゴリラとしては、島仏から聞いておきたいことが山ほどあった。しかし折角の一対一で話せる機会を、不意にしたくない気持ちもあった。
ゴリラ「きょ……今日はいい天気ですねぇ……」
島仏「えぇ」
ゴリラ「こ……こんなに良い天気なら、動物も暖房とか必要なさそうですねぇ……」
島仏「お言葉を返すようですが、全ての動物が快適に過ごせるよう、各種冷暖房をセットしています。必要のない日など存在しません」
ゴリラ「あっ……べ……勉強不足ですみません……」
島仏「……」
結果、慎重になり過ぎて、貴重な時間を無駄にしてしまっていた。ゴリラとしても、まずい展開である。
島仏「刑事さん」
ゴリラ「な、なんでしょう?」
島仏「聞きたいことがあるなら早く言ったらどうです。私に啖呵を切った時みたいに」
ゴリラ「うっ……」
鋭い一言に冷や汗をかくゴリラだが、渡りに船だ。乗らせてもらう他にない。
ゴリラ「……では、ズバリ教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
島仏「……私が犯人かってことをですか?」
鋭い眼光がゴリラを睨む。だが、ゴリラもひるまない。

ゴリラ「いいえ、私が知りたいのは、大曽時さんのことです」
島仏「えっ……」
思わず足を止める島仏。
島仏「……何故、大曽さんの話になるんですか?」
ゴリラ「重要な話と思っているからです」
島仏「……」
ゴリラ「では、質問を変えます」
島仏「えっ」
ゴリラ「あなたと大曽さんの出会いについて、教えて下さい」
島仏「!」
ゴリラ「高校を卒業してすぐにこの動物園に入り、15年経つとお伺いしました。しかしあなた自身の、この動物園と大曽さんへの思いは、もっと長いのではありませんか?」
島仏「……どうしてそうお思いに?」
ゴリラ「あなたと何度か話して、全てではありませんが、多少は理解したつもりなので。……まぁ、半分は勘ですけどね」
島仏「……」
ゴリラ「あなたと大曽さんのこと、聞かせて下さい」
頭を下げるゴリラ。島仏は眼鏡をかけ直すと、近くにあったベンチに座った。
ゴリラ「島仏さん?」

島仏「長話になるんで、座った方が身のためですよ」
ゴリラ「……あっ、はい!」
そそくさと同じベンチに座るゴリラ。肩の荷が、少し下りたような気がした。
*
~語る島仏~

ゆっくりと、島仏は自分の過去を話し始めた。
島仏「……私、親がいなかったんです」
ゴリラ「えっ……」
島仏「いや、正確に言えば、もちろんいたらしいんですけど、会ったことはなくて」
ゴリラ「では、生活は……」
島仏「施設で育ちました。身寄りのない子供が集まる、そういう場所で」
ゴリラ「そうだったんですか……」
島仏「でも、結局そういうところも、合う合わないがあるんですよ。私は合わない側でした。だから、よく施設を抜け出して……」
ゴリラ「あっ、もしかしてここに……?」
地面を指差すジェスチャーをするゴリラ。

島仏「はい。この動物園によく来ました。でも、お金なんて持っていなかったので、塀をよじ登って忍び込んで……今にして思えば、不法侵入もいいところですね」
ゴリラ「そうまでして、動物を見たかったんですか?」
島仏「いえ、最初はそこまで興味はありませんでした。多分、家族連れが羨ましかったんだと思います。とにかく、その群れに入りたいって」
ゴリラ「なるほど……。でも、怒られませんでした?」
島仏「えぇ、施設の人からは随分と。でも、トキさんは違いました」
ゴリラ「ほぉ……」
島仏「初めて忍び込んだ時、最初に話しかけてくれて、絶対に怒られると思ったけど、優しくしてくれました。それで……そう、一緒にこのベンチに座ったんです」
ゴリラ「あっ……ここが思い出の場所なんですね」

島仏「はい。それで、施設の人が来るまで、動物の話をたくさんしてくれました。『私と同じ名前のトキって鳥さんがいるんだよ』とか、『アイコって動物はいないけど、アイアイってお猿さんならいるよ』とか……」
思い出を振り返りながら、島仏はまるでその時代に戻ったような、優しい顔つきをしていた。
ゴリラ「素敵な時間を過ごしたんですね」
島仏「えぇ。だから、施設に戻った後も、何回も抜け出して、この動物園に来ました」
ゴリラ「園長に……いや、トキさんに会いたかったからですね」
島仏「はい……!」
今までの冷たい表情とはまるで違う、温かい笑みがそこにはあった。
島仏「トキさんから、『ケガだけはしないでね』とは言われたんですけど、動物園に忍び込むことを一度も怒られたことはなかったんです。嫌な顔一つせず、私に付き合ってくれました。毎回毎回、世界中のいろんな動物のことを……」
ゴリラ「フフッ」
島仏「……どうかしました?」
ゴリラ「あぁ、すみません。いえ、島仏さんがあまりにも楽しそうにお話されるんで、私もつい。島仏さんの動物好きは、トキさんからの影響なんですねぇ」
島仏「はい。でも一番の理由は、トキさんに褒められたかったからです。私が勉強した動物の知識を話すと、いつも笑顔で『よく知っているねぇ愛ちゃん』って言ってくれて、だからもっと動物のことを知りたくなって……その繰り返しだったんです」
ゴリラ「どんなお話をされたんです?」
島仏「例えば……野鳥のことですかね。クイズを出し合ったり……そうですね……あっ、あの鳥の名前、知っていますか?」
島仏が指差した先には、一羽の小鳥がいた。

ゴリラ「えっ……?えぇーと……道でよく見かけますよね?警戒心もそんなになくて……えぇー……名前?わからないですねぇ……ゴリラのことなら結構詳しいんですけど……」
島仏「ハクセキレイですよ。白いセキレイってことです。昔は日本の北部にしかいなかったんですけど、繁殖地が広がって、東日本ではメジャーな野鳥になりましたね。カラスやオウムほどではないですけど、知能が高い鳥だと思いますよ」
ゴリラ「へぇー……勉強になります」
島仏「まぁ、この園でも飼育しているので」
ゴリラ「あらら……ってアレ?野鳥の飼育ってOKなんでしたっけ?」
島仏「動物園などの、認可された施設であれば可能ですよ。もちろん、一般の方がペットにするのはダメです。ただ、怪我した野鳥を『飼養許可』を取って、一時的に保護することは可能ですけど」
ゴリラ「そうなんですねぇ。でも、素人質問で恐縮ですけど、野性と飼育している鳥って見分けが付くんですか?万が一混ざったりしたら、大変なのでは?」
島仏「平気ですよ。全く同じ姿をした鳥なんて、クローンでもなければありえません。一羽一羽、見た目に必ず違いがありますから」
ゴリラ「おぉ……プロの言葉は違うなぁ」
ゴリラからの賞賛に、島仏はまんざらでもないような笑みを浮かべる。最初の険悪な空気から、着実に変わり始めていた。
ゴリラ「……あっ、お話に戻りましょうか。ところで、いつから動物園で働こうと思ったんですか?」
島仏「それは、施設からおこづかいを貰えるようになって、堂々とここに来られるようになってからですね。動物への興味がどんどん大きくなっていって、何よりトキさんと一緒に働きたいと思いました」
ゴリラ「トキさんはどういう反応を?」
島仏「それが……最初は猛反対されて」
ゴリラ「えっ⁉」
島仏「いや、私が悪いんですよ。『高校卒業なんて待ってられない。給料ゼロでも働きたい』なんて言っちゃったから……」
ゴリラ「あぁ……」

島仏「反対されてワンワン泣きましたけど、その後トキさんに言われました。『卒業まで頑張ることも、お給料を貰うことも、動物園で働くにはとても大事なこと。私と愛ちゃんは友達だけど、ここで働くなら、まず園長とスタッフの関係でいなくちゃいけない。それでもやりたいなら、私はあなたを止めない』って……」
ゴリラには、島仏自身がその言葉を口にして、改めて受け止めているように見えた。
ゴリラ「ちゃんと、考えてくれていたんですね」
島仏「えぇ。その言葉があるから、今私はここにいるんだと思います」
ゴリラ「働いてみて、大変じゃありませんでした?」
島仏「大変じゃない日なんてありませんでしたよ。でも、トキさんも、周りのスタッフの方々も、何より動物達も、私に優しく接してくれました。ジュウロクとも、その頃からの付き合いですね」
ゴリラ「へぇ……あっ、そうだ。ちょっと気になっていたんですけど、なんでライオンの名前が『ジュウロク』なんですか?」
その質問に嬉しそうに島仏が答える。
島仏「わからないですか?」
ゴリラ「はい。16に関する何かなんですよね?」
島仏「もっとシンプルでいいですよ」
ゴリラ「シンプル?」
島仏「かけ算の九九言えます?」
ゴリラ「……え?まぁ、30年ぐらい口にしてませんけど、一応全部言えるかと」
島仏「では四の段」
ゴリラ「えぇー……4×1が4、4×2が8、4×3=12、4×4=16……あっ⁉」
島仏「わかりました?」

ゴリラ「獅子=ジュウロクなんですね!」
島仏「その通りです。トキさんがパッと閃いて、命名したそうですよ」
ゴリラ「なるほど……。いやぁ、比べるもんかわかりませんが、この間のキリンに日経平均がどうたらよりは、よっぽど合点がいきますねぇ!」
島仏「私もそう思います。本当に素晴らしい園長でした。……どっかのボンクラと違って」
ゴリラ「えっ……」
先程までの優しい声色とまるで違う、冷淡な物言いに思わず驚くゴリラ。
ゴリラ「あの……島仏さん」
島仏「どうされました?」
ゴリラ「お話ありがとうございます。ただ、わからないことがあります。何故そこまで立派な方が、次の園長に福圓さんやあなたではなく、悪七さんを指名したのですか?義理の息子とはいえ、元々別分野で働いていた方をどうして……」
しかし、その質問は島仏にとってまずかった。
島仏「……」
ゴリラ「と、島仏さん……?」
島仏「お帰り下さい」
ゴリラ「えっ」
島仏「私、忙しいんです。これ以上のお相手は、お断りさせて頂きます」
ベンチから立ち上がる島仏。ゴリラも慌てて続く。
ゴリラ「あ、あの……出来ましたらさっきの質問の答えだけでも……」

島仏「くどい」
ゴリラ「えっ……?」
島仏「くどいと言ったんですよ刑事さん。その質問に答える義務が、私にあるんですか?」
眼鏡をかけ直し、鋭い眼光でゴリラを睨む島仏。
ゴリラ「島仏さん……そんなに答えたくない質問なんですか……?」
島仏「……!」
あえて追い打ちをかけるゴリラ。
ゴリラ「トキさんの……何か知られたくないことがあるんですか……?知られたらまずいことが……」
島仏「……違う」
拳を握り、身体を震わせる島仏。
だが次の瞬間、吠えた。

島仏「トキさんの人生に汚点なんてない‼あるはずがない‼人生の全てを動物園に捧げた素晴らしい人だ‼それ以外の何者でもない‼」
その大声に反応して、先程のハクセキレイも、木々に留まっていたたくさんの小鳥達も、一様に飛び立っていく。
島仏「はぁ……はぁ……」
ゴリラ「……」
汗をかき、息を切らしている島仏。ゴリラは反対に、静かにその姿を見つめていた。

ゴリラ「……お忙しいところ失礼いたしました。色々とありがとうございます」
島仏「……!」
ゴリラ「今日はもう帰ります。それと、確証があるまでは、もうここには来ません。再オープンの日まで、頑張って下さい」
島仏「あっ……はい」
お互い頭を下げる。ゴリラは背を向け、歩いていく。
ゴリラ「どうか動物達をお大事に」
島仏「……はい」
聞きたいことの半分も聞けなかった。しかしゴリラは、それでも良しとした。島仏の内に秘める想いを、また少し見ることが出来たからだ。
そして同時に思った。彼女の心は、壊れかけていると。
*
~決裂~
ゴリラが動物園を後にし、島仏は速やかに外での作業を終えた。逆に言えば、そうでもしないと落ち着いていられなかった。仕事の忙しさの中でしか、自分自身を保てないような気がしていた。
島仏「行かなきゃ……」
そろそろ夕方の5時になる頃だ。前までは終業時間であったが、人手も時間も足りない今、スタッフ達には無理をしてもらわなければならない。しかし、昼間に気まずい会話をした後だ。
島仏「気が重い……けど」
だが、弱音を吐いてはいられない。ここが踏ん張りどころなのだ。ここを乗り越えれば、大曽動物園は絶対に蘇る。若く経験の足りないスタッフ達だが、その喜びは人生において絶対に財産になる。それこそが自分が園長として彼女達にしてやれる最大の幸福であると、島仏は信じていた。
だが、内に秘めているだけの想いなど、相手に伝わるはずがない。

島仏「……えっ」
やけに静かと感じたスタッフルームには、誰一人いなかった。その代わりに島仏の、園長の机のど真ん中には、目立つように封筒が置いてあった。
辞表だ。
島仏「……」
島仏は手を震わせながら、その封を開いた。手紙には、女性スタッフ達からの言葉が書いてあった。
スタッフ一同「誠に勝手ながら、3人で話し合った結果、この職を離れることに決めました。一番の理由は、あなたのことが信じられないからです。悪七さんのことも大嫌いでしたけど、仕事はもっと楽でした。大層な夢をお持ちかもしれませんが、私達は平穏に暮らしていたいです。どうかこれ以上、あなたの自己満足に巻き込まないで下さい。動物園がやりたいのなら、あなた一人で勝手にどうぞ。さようなら、鉄の女さん」
文章には、負の感情がこもっていた。
島仏「……」
声も出さず、島仏はそれを読み終えた。
だがその瞬間、異変が生じた。

島仏「フッ……フフッ……アハ……アハハハハハハ‼」
動物園中に響き渡りそうな、高らかな笑い声。しかしそれを発している島仏の表情は、とても笑顔とはいえない。もっと恐ろしいものだ。
島仏「アハハハハハハ‼」
笑いながら、手紙をビリビリに破いていく。普段の仕草からは考えられない程の、乱雑な破り方で。
島仏「はぁ……はぁ……はぁ……‼」
島仏の息が切れる。もはや手紙は、無数の塵となっていた。手元に残ったそれらを振り払い、島仏は天井を見つめる。
島仏「やればいいんでしょ……私が……‼」
誰に伝えるわけでもない、独り言だ。
島仏「誰の助けもいらない……私一人の力で……‼」
しかしその言葉は、島仏自身に跳ね返ってくる。壁にぶつけたボールのように、強ければ強い程、勢いを増して跳ね返ってくる。
島仏「私一人の力でやり遂げるんだ……‼」
それでも身体で受け止め、耐える。いや、もうそんな感覚すらないのかもしれない。
島仏「アハハハハハハ……‼」
彼女を支えているのは、正気ではない。
狂気だ。
第九章:『福圓長之助』
~ブレックファースト~
事件から4日が過ぎ、金曜日の朝となった。大曽動物園再オープンまで、あと2日である。その動物園を、塀の外から眺めている人物がいた。
福圓「……」
先代の副園長、福圓長之助である。杖をつきながら、何も言わず動きもせず、じっと眺めていた。ただ、その姿は数日前より、生気がないように見えた。

ゴリラ「やはりこちらにいましたか」
福圓「!」
福圓の後ろから、ゴリラが話しかける。両手には1本ずつバナナを握っていた。
福圓「あ……アンタ……」
ゴリラ「よろしければ1本どうぞ」
福圓「あっ……あぁ、ありがとよ」
少し困惑しながらも、福圓はバナナを受け取る。
福圓「しかしなんでアンタ……」
ゴリラ「立ち話もなんですから、座りましょうか」
福圓「……それもそうじゃな」
二人して、近くにあったベンチに座る。
福圓「……」
ゴリラ「あっ、どうぞ気にせず食べて下さい。知り合いの農家さんから貰った、天然国産バナナですから」
福圓「へぇー……日本でもバナナって作れるんか」
ゴリラ「気温の管理とか、物凄く大変ですけどね。その分、味は保証しますよ」
福圓「ふむ……んじゃ、いただきます」
包装と皮をむき、バナナを口にする福圓。その瞬間、驚いたような顔を見せる。
福圓「美味いなコレ……」
ゴリラ「気に入って頂けて何よりです。私も食欲がない時、不思議とバナナだけは食べられるんですよ」
福圓「えっ……」
ゴリラ「そのご様子だと、ここ数日ちゃんと食事を摂っていらっしゃらないでしょう」
福圓「……さすが刑事さん、いや、ゴリラさんじゃ」
ゴリラ「ありがとうございます」
二人とも、笑みを浮かべる。
福圓「ところで、何故ここに?」
ゴリラ「もちろん、福圓さんにお話を聞きに、ですよ。連絡先の交換もしていなかったのでどうしようかと思いましたが、ここに来ればきっといるだろうと」

福圓「フフッ……未練がましい姿じゃろ。直接動物園に乗り込む勇気もなく、ただただじーっとここに突っ立っているんじゃ。ちっちゃい頃ならまだしも、今の愛ちゃんがここを登っていく訳でもないじゃろうに……」
福圓のすぐ後ろには岩崖があり、その上には木材で出来た塀があった。おそらく、昨日の島仏の話に出てきた物と同じであろう。合わせて5~6mはあるだろうか。大人でも苦労しそうな高さである。
ゴリラ「まぁ、傍から見れば不審者ですかね」
福圓「オイオイ……」
ゴリラ「でも、心配なんですよね。島仏さんのこと」
福圓「……!」
福圓は黙って首を縦に振った。
福圓「あぁ、心配じゃ。たとえ無関係と言われようが、あの娘はワシにとって、かけがえのない存在じゃ。ワシだけじゃない、あの頃大曽動物園で働いていた者にとって、愛ちゃんは家族と変わらん……!」
ゴリラ「福圓さん……」
福圓「ゴリラさん、頼みがある……!」
ゴリラの手を握り、福圓が頭を下げる。

福圓「愛ちゃんのことを救ってくれ……‼」
ゴリラ「あっ……」
福圓「このままでは愛ちゃんは確実にぶっ壊れる……‼そうなったら心も身体も……もう元には戻らん……‼そうなる前に……あの娘を救ってやってくれ……‼もうアンタしかいないんじゃ……‼」
心からの叫びであった。しかし、ゴリラにとってその願いは、複雑なものであった。
ゴリラ「……良いのですか福圓さん。私は島仏さんを、逮捕しようとしているんですよ」
福圓「それでも構わん……‼」
ゴリラ「⁉」
福圓「愛ちゃんを救えるのなら……‼」
その瞳は真っすぐで、一切の曇りがなかった。
ゴリラ「福圓さん……一つ勘違いをしていますよ」
福圓「えっ」
ゴリラ「救える人間なら、あなただっているじゃあないですか」
福圓「あっ……」
ゴリラ「私からも協力をお願いします。島仏さんのこと、一緒に救いましょう」
福圓「ゴリラさん……‼」
福圓は何度も何度も、頭を下げた。
ゴリラ「まずは、朝食の続きと参りましょうか」
*
~トキを遡る~
バナナを食べ終わり、ゴリラは福圓から話を聞くことにした。昨日島仏から聞けなかった、大曽時がなぜ園長に悪七を指名したかについてだ。
ゴリラ「当時副園長のあなたなら、何かご存じではないでしょうか?」
福圓「うむ……」
ゴリラの想像通り、福圓にとっても気まずそうな話題ではあったようだが、福圓は口を開いてくれた。
福圓「アイツが……悪七がトキさんの義理の息子って話は聞いておるな」
ゴリラ「はい……」

福圓「しかし義理というのはな、娘婿とかそういう話じゃないんじゃ。アイツは、トキさんが別れた旦那の、後妻の息子なんじゃよ」
ゴリラ「なるほど……」
ゴリラは島仏が何故この話題を避けたのか、何となくわかってしまった。
ゴリラ「失礼ですが、大曽さんが旦那さんと別れた理由は……」
福圓「あの人は……トキさんは、園長としては立派な人じゃった。しかし動物園を大事にするあまり、家庭のことを疎かにしていた。旦那さんとしては、たまったものじゃなかったんじゃろう。でもトキさんは結局、動物園の方を取った。両方大事に出来る程、器用じゃなかったんじゃよ……」
ゴリラ「そうですか……」
福圓「旦那さんはすぐに専業主婦の方と再婚して、すぐにお子さん……もとい悪七光が産まれた。一方のトキさんは、ずっと独り身のまんまじゃった」
ゴリラ「では、悪七さんはどうして大曽さんの元に来たんですか……?」
福圓「今から2年前……アイツの両親が交通事故で亡くなったんじゃ」
ゴリラ「⁉」
福圓「同情するか?」
ゴリラ「えっ」
福圓「確かにワシも、それは可哀想だと思ったよ。でもな、アイツはその頃起業に失敗して、多額の借金に追われていた。そんな時に、多額の保険金が入ってきたんじゃよ」
ゴリラ「でも返済に使ったのならまだいいじゃ……いや、まさか逆に増やそうとして……」

福圓「大当たり。全額投資に使いおった」
ゴリラ「それで結果は……」
福圓「大外れ。さらに借金を増やしおった」
ゴリラ「……」
絶句するゴリラ。悪七の所業は、この時点で擁護しきれないものであった。だがこの後の展開を察するに、これでもまだ序の口なのである。
ゴリラ「つまり、自分ではどうしようもなくなった悪七さんが、大曽さんを頼ったんですね……」
福圓「うむ……トキさんは借金を全額肩代わりした。既に病魔に侵されておったのに、自分の保険を解約してまでな……。ワシらスタッフは反対したんじゃが、『光君がこうなったのは私の責任なんだ』と、そう言って聞かんかった……」
ゴリラ「責任……ですか」
福圓「あぁ……自分の過去の選択が招いた不幸であるとな……」
ゴリラ「では……経験のなかった悪七さんを動物園に招き入れたのも、後任の園長に指名したのも……」
福圓「全てはトキさんが……アイツのためにしてやったことじゃ……」
ゴリラ「……」
場に重たい空気が流れた。
ゴリラ「あ……悪七さんはどういう反応を……?」

福圓「トキさんの前では孝行息子を演じておったがな……ワシらの前ではほくそ笑んでおった。きっと、棚からぼた餅ぐらいの気持ちだったんじゃろう……」
ゴリラ「あぁ……」
福圓「それで真面目に仕事してくれたらまだ良かったんじゃが、アイツは一度たりともそんなことはなかった。それどころか、トキさんの後ろ盾があるからと威張り散らしておった。親の七光りとは、ああいう奴のことを言うんじゃろうなぁ……」
ゴリラ「大曽さんは存じていなかったんですか……?」
福圓「その頃にはもう病気で……そういう判断も付かなくなっておった……。なのに……そんな状態のトキさんをアイツは……」
福圓が悲痛な表情を浮かべる。おそらく、その時そのままの表情だ。

福圓「老人ホームにぶちこんで……そのまま何もせず見捨ておった……‼見舞いにも……ついには葬式にも来なかった……‼散々利用しておいて……‼」
ゴリラ「……」
かける言葉が見つからない。一つわかるのは、この憤りを福圓だけでなく当時のスタッフ、島仏も感じていただろうということか。
ゴリラ「……すみません。辛い話をさせてしまって」
福圓「あっ……いや、気を遣わせてすまんなゴリラさん。まぁ、ワシが知っているのはこの辺までじゃな。トキさんが亡くなってすぐに、リストラされたからな」
ゴリラ「えっ……経営難で遅番さんや警備員さんが解雇されたとは聞きましたが、福圓さんもですか……⁉」
福圓「あぁ、ベテランは皆……いや、愛ちゃん以外は全員解雇されたんじゃ」
ゴリラ「む……無茶苦茶過ぎないですか……?」

福圓「そりゃ抗議はしたさ。でも大曽さんが亡くなって、ワシらもすっかり気力を無くしてしまって……それで……新しく副園長になった愛ちゃんから『皆さんの分まで、私がなんとかします』と言われたんじゃよ」
ゴリラ「島仏さんからですか……?」
福圓「あぁ、それで皆、潔く退くことにした。……でも今思うと、無理してでも残るべきじゃったかなぁ」
ゴリラ「……」
ゴリラは、島仏の言葉に違和感を覚えた。抗議に回るのではなく、むしろ退職を促すようなその発言に。まるでそのまま働かれたら、都合が悪いかのような……。
ゴリラ「まさか……」
福圓「どうしたゴリラさん?」
ゴリラ「あっ……いえ、ちょっと考え事を」
福圓「刑事さんってのは、人と話してる間も頭を使うから大変じゃのぉ」
ゴリラ「いやぁ、そんな大したことじゃあないですよ。まぁおそらく猿山君ならスルーし……」
するとタイミングを見計らったように、猿山から着信が入った。
ゴリラ「あっ、失礼。その猿山君からです」
福圓「おぉ、この間の若いもんか。……早く出たらどうじゃ?」
ゴリラ「どうもすみません。多分しょうもない連絡だとは思うんですけど……」
福圓に一礼して、着信に出るゴリラ。

ゴリラ「なんかあった?」
猿山「なんかなんてレベルじゃないですよゴリさん‼」
ゴリラ「……そんな大声で話さなくても……何さ?」
猿山「日藤ですよ日藤‼」
ゴリラ「うん、君が追ってた日藤?」
猿山「アイツねぇ、調べてみたら詐欺師だったんですよ‼それでつい先程‼なんと捕まえたんですよ‼」
ゴリラ「おぉーやったねぇ」
猿山「でしょう⁉」
ゴリラ「君が捕まえたの?」
猿山「え」
ゴリラ「え?」
猿山「いや……失礼な‼ちゃんと……つ……つつ……捕まえましたよ‼」
ゴリラ「えーっと……誰が?」
猿山「……僕の同期が」
ゴリラ「あらら……」
電話越しにずっこけるゴリラ。
ゴリラ「同期っていうと、もしかして巡査部長のこと?」
猿山「そうです‼蟹江来春(かにえらいはる)です‼確かに階級はアイツの方が上ですけどね‼僕達互いに高めあうライバルであり親友ですから‼だから今回の逮捕も実質僕の手柄……」
ゴリラ「切るよー」
猿山「あっ⁉ちょっ⁉そっちはどうなんです⁉」
ゴリラ「まだ途中だよー」
猿山「じゃあ僕も合流しますよ‼場所はどこなん……」
電話を切るゴリラ。
福圓「……ん?いいのかい?」
ゴリラ「まぁその……今はお話の邪魔になるだけかと」
*
~二人の絆~
ゴリラ「あぁ、そうだ。日藤って男について知りませんかね?悪七さんの知り合いみたいなんですけど」
福圓「日藤?いいや、ワシは知らんよ」
ゴリラ「そうですか。いやまぁ、悪七さん、大曽動物園を売ろうとしていましたよね」
福圓「あぁ、ワシも会見で初めて知ったが……」
ゴリラ「買おうとしていたのが日藤なんですよ。『国明日動物園』の代表を名乗っていました」
福圓「なんじゃその動物園?初耳じゃぞ」
ゴリラ「えぇ、架空の動物園です。日藤は詐欺師だったんですよ」
福圓「なんじゃと⁉」

ゴリラ「それでここからは私の見立てですが、悪七さんはそれをわかって売ろうとしていた。グルだったと思うんですよ。それも園長に就任する前から、二人は売却の約束をしていたんでしょう」
福圓「じゃ……じゃあアイツが園長になったのは……」
ゴリラ「お金のため、でしょうね」
福圓「くそったれめ……‼」
福圓が拳を強く握る。だが、あることに気が付き、力が抜ける。
福圓「待て……愛ちゃんは……いつからそのことを知っていた……⁉」
ゴリラ「数日前の会見の資料、とても数時間で作ったものとは思えません。おそらく、ずっと前から準備していたはずです」
福圓「そうか……つまり……愛ちゃんは……」
福圓が言いよどむ言葉を、ゴリラが代わりに口にする。
ゴリラ「はい。それを知ったから悪七さんを殺したんです。ジュウロクを襲わせて」
福圓「……」
薄々わかっていたことだが、改めてその現実を受け入れなければならないことを、福圓は痛感した。
福圓「……愛ちゃんは手ごわいぞ、ゴリラさん」
ゴリラ「えぇ、重々承知しています。ですが、証拠を揃えて、必ず逮捕してみせます」
福圓「そうか……」
福圓がベンチから立ち上がる。杖を地面に突き立て、先程よりも真っすぐな姿勢で。
ゴリラ「福圓さん……?」
福圓「ゴリラさん、ワシから一つ伝えておく」
ゴリラ「なんでしょう」

福圓「ジュウロクは人間を襲わん‼」
ゴリラ「えっ……⁉」
ゴリラにとって前提が覆りかねない爆弾発言だ。
福圓「愛ちゃんからの一押しがなければな」
ゴリラ「あっ……そういうことですか」
幸い、杞憂に終わった。
ゴリラ「いやでも……逆に言えば島仏さんからの一押しがあれば、襲ってしまうということですか?」
福圓「そうだな……ちょいと昔話をしてもいいか」
ゴリラ「お願いします」

福圓「あれは15年前……そう、ジュウロクがまだ小っちゃくて、愛ちゃんも動物園に入りたての頃。二人は当時から仲が良くて、ワシが間に入って世話の仕方を教えていたんじゃ。それで休園日に、たまには思い切り走らせてあげたいと、檻の外へ出してあげたことがあってのぉ。もちろん、トキさんから許可を取ってな」
ゴリラ「檻の外というと?」
福圓が塀の上を指差す。
福圓「ちょうどこの上の、草むらの辺りじゃ。転んでも全然痛くないぐらい草ボーボーの、自然そのままの場所じゃよ」
ゴリラ「へぇーいい空間ですね」
福圓「あぁ、ジュウロクもその辺の犬ころみたく、楽しそうに走り回っておった。……じゃがな」
福圓の声のトーンが、少し重くなった。

福圓「それでジュウロクの野性の本能というか、とにかく血が騒いでしまったんじゃろう。塀を駆け上ろうとし始めたんじゃ」
ゴリラ「あぁ……」
福圓「ワシと愛ちゃんの二人がかりで止めようとしたが、ジュウロクはひどく興奮しておってな、凄い力で塀の外に出ようとしておった。その時、愛ちゃんが叫んだんじゃ、『ジュウロク‼危ない‼』とな」
ゴリラ「名前を……あっ、まさか⁉」

福圓「あぁ……。その瞬間、ジュウロクはワシに襲い掛かった。愛ちゃんの悲痛な声から、ワシが危害を加えようとしていると、『助けて欲しい』と言っているんだと、そう判断したんじゃろう」
ゴリラ「だ……大丈夫だったんですか……?」
福圓「まぁそりゃ痛かったが……逆に言えば痛いで済んだよ。この頬の傷もその時のものじゃが、今のジュウロクにやられていたらきっと……痛いじゃなくて遺体になってたろうな‼アッハッハッハ‼」
ゴリラ「あ……アハハ」
笑顔を見せる福圓に対し、ゴリラは苦笑いを浮かべる。
福圓「まぁおかげで、ジュウロクは脱走も怪我もせずに済んだんじゃ。ただ、愛ちゃんは、ひどくショックを受けておった……」
ゴリラ「悪気はないにしても、そうでしょうねぇ……」
福圓「じゃがな、愛ちゃんはそこで挫けんかった。ジュウロクがもう人を襲ったりしないよう、徹底的に調教をしたんじゃ」
ゴリラ「人を襲わないように……」
福圓「厳しく叱ることもあった。ただ、それもいわゆる愛のムチじゃ。ジュウロクもそれを理解しておったじゃろう。結果、それからは自分から人に手を出すことはなくなったよ」
ゴリラ「なるほど……」
福圓「この15年で二人の絆は、さらに深まったはずじゃ。だから、そのジュウロクが自分から人間を襲うなど、ワシには信じられん」
ゴリラ「では、やはり島仏さんが……あっ、でも待って下さい。例えば檻の中に泥棒が入ってきても襲わないんですか?あと逆に自分が襲われたりしたら……」
福圓「フフ……」
ゴリラ「え?」

福圓「じゃあ逆に聞くがゴリラさん、アンタはライオンを目の前にして、そいつを襲おうと思うか?」
ゴリラ「それは……あぁー……無理ですね」
福圓「あぁ、ましてや悪七なんかに、そんな真似が出来るとは思わん。餌やりすらまともにやったことのない、あの臆病者にな」
ゴリラ「そうなるとやはり……」
福圓「うむ……」
福圓が振り返り、再び動物園を見つめる。一瞬寂しそうな顔を見せるが、もう立ち止まる気はないようだ。
福圓「……それじゃ、あとは任せたぞゴリラさん‼」
その力強い言葉に押され、立ち上がるゴリラ。
ゴリラ「えぇ、任されました……‼」
ゆっくりではあるが、真っすぐ歩いていく福圓。去っていくその背中に、ゴリラは一礼をした。

ゴリラ「……ん?」
何かがゴリラの頭に当たった。手に取って見ると紙飛行機だ。前方の福圓の声が聞こえてくる。
福圓「トキさんがいた老人ホームじゃ‼何かわかるかもしれんぞ‼」
ゴリラ「えっ……あっ!」
紙飛行機を開いてみると、『特別養護老人ホームBOKEZU』という名前と共に、そこの住所と電話番号が書いてあった。加えてその下には、別の住所と電話番号の記載があった。
福圓「あとワシの連絡先も書いといた‼つっても職場のじゃがな‼」
振り向かず、手を振る福圓が見える。
ゴリラ「ありがとうございます……‼」
ゴリラはその背中に、もう一度深く一礼した。
第十章:『大曽時』
~相棒との誓い~
福圓と別れた後、早速ゴリラは大曽が入居していた老人ホームに連絡を取った。まだ島仏本人に当たるのは証拠不十分というのもあるが、ゴリラ自身もっと大曽時という人物について知りたかった。
ゴリラ「ここか……」
特別養護老人ホームBOKEZUにたどり着いた。幸い、大曽動物園から歩いて15分程の、さほど遠くない場所にあった。

ゴリラ「……」
しかしその施設は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。建物の外壁にはほったらかしであろうツタが絡まっており、地面には所々雑草が目立つ。看板もどうやら何年も変えていない、年季の入りようだ。
ゴリラ「まぁ……リーズナブルには違いないか」
いざ施設に入ろうとした瞬間、ゴリラの携帯電話に着信が入る。猿山だ。
ゴリラ「やれやれ……」
無視することも考えたが、とりあえず出ることにした。
猿山「ゴリさん⁉今どこですかゴリさん⁉」
ゴリラ「いきなりうるさいなぁ……老人ホームの前だよ。福圓さんから紹介してもらったんだ」
猿山「え?老後のことを考えるのは立派ですけど、ゴリさんにはちょっと早くありません?」
ゴリラ「……いや捜査だから。大曽さんが亡くなる前に入居していた所だよ。何か事件の手がかりがないか、今から調べに行くんだ」
猿山「あーなるほど!そういうことなら相棒である僕の出番ですね‼今すぐ行きますよ‼」
ゴリラ「いや……君はいいから」
猿山「なんでです⁉日藤はもう捕まえましたよ⁉」
ゴリラ「でもほら……取り調べとかまだあるでしょ?」
猿山「そんなの蟹江に任せておけば大丈夫ですよ‼」

ゴリラ「甘いよ猿山君、バナナよりずっと甘い」
猿山「えっ」
ゴリラ「私の相棒を自認するなら、一度取り組んだ仕事はしっかり責任を持ってやるんだ」
猿山「あっ……」
ゴリラ「それにあとで合流して、お互いの情報を交換する方が有意義じゃあないか」
猿山「わ……わかりましたゴリさん‼男猿山、この命を懸けて必ず任務をやり遂げ、いずれは警視総監になってみせます‼」
ゴリラ「……いや、別にそこまでは言っていないし、あと前から言おうと思っていたけど、ノンキャリアの君は警視総監には……ってアレ?」
電話は既に切れていた。
ゴリラ「やれやれ……」
相変わらずの落ち着かない部下に苦笑いを浮かべるゴリラだが、なんにせよこれで捜査に集中できそうだ。
*
~残された言葉~

男性職員「大曽時さん……書類によると遺留品は島仏愛子さんが回収されたと書いてあるッスね」
ゴリラ「悪七さんではなかったんですね」
男性職員「書類を見る限りは……そうみたいッスね」
施設内に入ったゴリラは、職員の一人を捕まえて話を聞いていた。20代前半であろう男性職員は、書類をめくりながらゴリラの質問に答えている。
ゴリラ「ちなみに遺留品はどういった物が?」
男性職員「えーっと……あー書類には書いてないッスね」
ゴリラ「何か覚えていらっしゃらないですか?」
男性職員「さぁ……?まぁ服とかそんなんじゃないッスかね?」
ゴリラ「そ……そんなん……?」
しかし、どうも反応が薄い。
ゴリラ「で……では、入居中の大曽さんについて、何か印象に残っていることはありませんか?」
男性職員「印象ッスか……?」
ゴリラ「えぇ、何か変わった様子とか……」
男性職員「うーん……」
ゴリラ「……では、普段の様子は?職員や他の入居者の方と会話されてたりしませんでしたかね?」
男性職員「うーん……」
ゴリラ「な……なんでもいいんですけど……」
男性職員「いやぁ……普通だったんじゃないッスか」
ゴリラ「ふ……普通というと?」
男性職員「そりゃあ……普通に朝起きて、普通にご飯食べて、普通に誰かとお喋りして、普通に夜寝る、そんな感じじゃないッスか?」
ゴリラ「えっと……もう少し具体的な情報はないですかね……?」
その質問に、男性職員が露骨に嫌そうな顔を浮かべる。そして、小声で呟いた。
男性職員「一々覚えてられっかよ……」
ゴリラ「あっ……いえ、やっぱり大丈夫です。お忙しいところ、ありがとうございました」
これ以上何を聞いても無駄と感じ、ゴリラは話を切り上げた。
ゴリラ「看板に偽りなしだなぁ……」
そんな皮肉を口にしながらも、他の職員にも話を聞いていく。しかしどの職員も、皆同じように反応が薄かった。いや、薄いを通り越して、もはや無関心である。
ゴリラ「困ったなぁ……」
中庭のベンチに腰を落とすゴリラ。思えば昨日からベンチに座ってばかりだが、大した収穫のない今が一番身体にこたえる。

掃除のおばちゃん「ちょいといいかい?」
緑のエプロンを身にまとい、モップとバケツを持った年配の女性が話しかけてきた。
ゴリラ「あっ、これは失礼。ベンチの掃除ですか?」
掃除のおばちゃん「いや、アタシも休みたいだけ」
ゴリラ「あれま……あぁ、隣どうぞ」
掃除のおばちゃん「ありがと刑事さん」
ゴリラ「えっ」
いきなり正体を当てられ、面食らうゴリラ。
ゴリラ「な……何故私が刑事と?」
掃除のおばちゃん「だってアンタ普段見かけない人だもん。それにさっき職員の奴らが、『刑事がうっとうしい』だの噂話してたからね。なるほど、アンタ見るからに面倒な性格してそうだわ」
ゴリラ「あ……アハハ……」
苦笑するゴリラであったが、同時に喜びもあった。ようやく、有力情報が聞けそうな人物の登場である。女性が隣に座るや否や、ゴリラは早速声をかけた。
ゴリラ「えーっと……突然ですけどあなたにいくつか質問してもよろしいでしょうか?」
掃除のおばちゃん「あら?事情聴取?人生初だわ私!年甲斐もなく緊張しちゃうねぇ!」
ゴリラ「あっ……いえ、そんなガチガチに固いやつじゃあないので」
掃除のおばちゃん「そう?ならアンタもさぁ、そんな堅苦しい口調やめてよ。アタシのことも『掃除のおばちゃん』でいいからさ」
ゴリラ「わかりま……いや、わかったよおばちゃん」
おばちゃんのペースに惑わされるゴリラ。しかしここで引いては、得られる情報も得られない。
ゴリラ「……で、おばちゃん。大曽時って人のこと知らない?去年入居して、もう亡くなってしまった人なんだけどさ」

掃除のおばちゃん「大曽……あぁ!トキさんのことかい!知ってるも何も、あの人とはお友達だよ」
ゴリラ「えっ⁉本当⁉」
掃除のおばちゃん「刑事にわざわざ嘘つかないよ。アンタも見ただろ、ここの職員の質の低さ。元々税金対策でやってるような偽善事業だからねぇ……みんなやる気のやの字もなくて……まぁアタシも人のこと言えないんだけど。……で、入居者は信用出来ない職員なんかよりも、年齢の近いアタシと仲良くなることが多いんだわ」
ゴリラ「な……なるほど」
掃除のおばちゃん「トキさんかぁ、懐かしいねぇ。動物園の元園長さんって聞いたけど、全然偉ぶらないし、いい人だったよ」
ゴリラ「普段どんな話してたの?」
掃除のおばちゃん「そりゃあ、動物の話さ。アタシは別に詳しくも何ともないんだけど、楽しそうに話してくれるから好きだったよ」
ゴリラ「動物の話……」
島仏の思い出話と同じだ。園長を辞しても、大曽にとって動物は大きいものであったようだ。
ゴリラ「あっ、お見舞いに来てる人については何か言ってなかった?福圓さんと島仏さんって人なんだけど」
掃除のおばちゃん「あぁ、あのじいさんと眼鏡かけた娘かい。しょっちゅう来てたねぇ。確か、別の老人ホームに行こうとか言ってたけど、結局無理だったねぇ」
ゴリラ「やっぱその……入居中の大曽さんって、そういう判断付かなそうな状態だった?」
掃除のおばちゃん「うん?ボケてたかってこと?」
ゴリラ「……まぁストレートに言えば」
掃除のおばちゃん「へっ、ジジババなんて多かれ少なかれみんなボケてるよ」
ゴリラ「いやいや全員が全員ではないでしょ……」

掃除のおばちゃん「アタシからすりゃ、老化しない人間の方が不自然だけどね。まぁでも、色んなじいさんばあさん見てきたけど、トキさんは別にボケてる印象はなかったねぇ」
ゴリラ「えっ⁉」
それが本当であれば、福圓の証言と矛盾してしまう。
ゴリラ「びょ……病気ではあったんだよね?」
掃除のおばちゃん「うん。身体はずいぶんと弱ってたよ。でも、頭と心は別さ」
ゴリラ「!」
その瞬間、ゴリラの中である仮説が生まれた。
ゴリラ「す……するとおばちゃん、もしかして大曽さんが『ボケたふり』をしてたってことはない……⁉」
掃除のおばちゃん「なるほどねぇ……確かにそれならアタシも覚えがある」
ゴリラ「どんなの⁉」
掃除のおばちゃん「あぁ、あれは入居してるみんなと麻雀してた時……」
ゴリラ「ん……?」

掃除のおばちゃん「アタシがメンタンピンドライチであがろうとした時……」
ゴリラ「……いやいや、それおばちゃんの話だよね。どうせボケたふりして点数ごまかしたとか、そんなんでしょ」
掃除のおばちゃん「ううん、掃除サボってたのをボケたふりしてごまかしたの」
ゴリラ「えぇ……」
ゴリラはこの施設が何故綺麗でないのか、何となく理解した。
ゴリラ「……いや、それより大曽さんだよ。どうしてボケたふりなんかする必要があるんだ……?」
掃除のおばちゃん「アタシはよく知らないけど、動物園のことで色々聞かれるの面倒だったんじゃないの?」
ゴリラ「そうなのかなぁ……」
掃除のおばちゃん「アタシも最期くらい、仕事のことなんか忘れてひっそり逝きたいよ」
『おばちゃんはもう少し仕事と向き合って』と言いたくなるゴリラであったが、ぐっとその言葉を飲み込んだ。
ゴリラ「それで……他には何かない?大曽さんで印象に残っていることとか?」
掃除のおばちゃん「そうだねぇ……あとは……そうだそうだ!」
ゴリラ「なになに?」
おばちゃんがエプロンのポケットから、1冊のスケジュール帳を取り出した。

ゴリラ「それは?」
掃除のおばちゃん「トキさんから誕生日に貰ったんだ」
ゴリラ「おぉ、こりゃ凄い!見せてもらってもいい?」
掃除のおばちゃん「あぁ、いいよ」
スケジュール帳には大曽動物園のロゴと、動物のイラストが描かれていた。おそらくお土産売り場で販売しているものだろう。
ゴリラ「中も見ていい?」
掃除のおばちゃん「別にいいけど、ほとんどアタシの下らないスケジュールだよ」
スケジュール帳をパラパラとめくるゴリラ。確かにおばちゃんの言う通りのようだが、とあるメモ欄のところで手が止まった。
ゴリラ「……コレだけおばちゃんの字じゃないね」
掃除のおばちゃん「そうそう、トキさんの字さ。『中古でごめんね、破り捨てていいからね』なんて言われたけど、アタシとしてはそれでも嬉しかったから、残しておいたんだ」
ゴリラ「……」
掃除のおばちゃん「ただ、どういう意味なんだい?なんかの格言かい?」
そこには、大きく力強い文字でこう書いてあった。

『Dent key of case』
『See mountain』
『Dent key of two kale』
ゴリラ「わからない……」
掃除のおばちゃん「あらら、刑事さんにも知らないことがあるんだねぇ」
ゴリラ「……でもこれだけは言えるよ」
掃除のおばちゃん「えっ?」
ゴリラ「これが事件解決の鍵だ」
*
~英会話教室~
時刻は夜の8時。上団出署の休憩室に、猿山が入ってくる。
猿山「つ……疲れたぁー……」
フラフラとした足取りながら、何とか椅子に座る猿山。全身の力を抜き、大きく息を吐く。よっぽど疲れる仕事だったようだ。
猿山「……ん?ゴリさん⁉」

ゴリラ「Dent key of case……ケースのへこみ鍵……See mountain……山を見る……Dent key of two kale……ケール2個のへこみ鍵……」
既に先客として、ゴリラが椅子に座っていた。机の上のスケジュール帳を見ながら何か小言を繰り返しているようだが、猿山には何が何やらさっぱりわからない。
猿山「ど、どうしたんすか?」
ゴリラ「Dent key of case……ケースのへこみ鍵……See mountain……山を見る……」
猿山「ハッ……⁉まさかゴリさん⁉老人ホームの空気に影響されて早くもボケちゃったんですか……⁉」
ゴリラ「Dent key of two kale……ケール2個のへこみ鍵……」
猿山「うわぁぁぁぁ‼戻ってきて下さぁぁぁぁい‼」
涙目でゴリラの身体を揺らす猿山。
ゴリラ「……うるさいよ猿山君」
静かに猿山の手をどかすゴリラ。
猿山「あっ‼無事だったんですねゴリさん‼」
ゴリラ「……いや無事も何も、老人ホーム行ったくらいで身体に影響出る訳ないでしょうが。風評被害もいいところだよ猿山君」
猿山「す……すみません。で、一体何してたんですか?」
ゴリラ「あぁ……コレね、掃除のおばちゃんに貸してもらったんだよ」
猿山「スケジュール帳を?」
ゴリラ「大曽さんからプレゼントされたそうでね、他は全部おばちゃんの字なんだけど、ここだけ大曽さんの書いた文章なんだよ」
猿山「あぁなるほど、さっきからブツブツ言ってたのはコレですか。……で、どういう意味なんですか?」
ゴリラ「……私もそれを知りたいところ」
猿山「ズコーッ」
ずっこけて椅子にもたれかかる猿山。

ゴリラ「『Dent key of case』直訳すると『ケースのへこみ鍵』……なんか意味深な文章にはなるんだけどねぇ」
猿山「『See moutain』は『山を見る』ですか……確かにそれっぽいですけど、この辺に山なんてありましたっけ?」
ゴリラ「うむ……しかし最後の『Dent key of two kale』が『ケール2個のへこみ鍵』……これが一番訳がわからないんだ」
猿山「ケールって、青汁とかに入ってるあの野菜のことですか?」
ゴリラ「多分ね……だからなにって話なんだけど」
猿山「えぇ……?でもコレ事件と関係あるんですか?言っちゃ悪いですけど、ボケ老人の文章でしょう?」
ゴリラ「いいや、大曽さんはボケてなかった可能性があるんだよ」
猿山「えっ?それってどこ情報です?」
ゴリラ「どこって……掃除のおばちゃん情報さ」
猿山「……あてになるんすかそれ」
疑いの眼差しを向ける猿山。
ゴリラ「うっ……あっ、君の方はどうだったの?」
猿山「わかりやすく話逸らしますね……。まぁ、僕の方はそりゃもうバッチリでしたよ。……取り調べメチャクチャ時間かかりましたけど」
ゴリラ「じゃあ日藤はゲロったの?」
猿山「え?そりゃ長引いたんでトイレには何回か行きましたけど、さすがに嘔吐までは……」
ゴリラ「……いや日藤は自白したかって聞いたの」
猿山「あっ、そっちの意味ですか!しました‼大いにしましたとも‼」
自信満々に答える猿山。
ゴリラ「おぉ、やるねぇ猿山君。内容はどんな感じだったの?」

猿山「えーっと……日藤烈がこの世に生を受けたのは、さかのぼること約四十年前、当初は難産が予想されていたところ思ったより安産で……」
ゴリラ「……かいつまんで、かいつまんで……。悪七と出会った辺りをかいつまんで……」
猿山「あっ、はい。日藤と悪七は、元々大学の先輩後輩という間柄だったそうです。まぁ日藤の方は何年か留年してたみたいで、結果的に両者同じタイミングで卒業したみたいです」
ゴリラ「ふむふむ……続けて」
猿山「で、卒業後の就職先が決まっていなかった二人は、共にアルバイトを転々としながら、数年後に自分達で起業することを決めたらしいです」
ゴリラ「理由はなんだったの?」
猿山「日藤曰く、『就活が面倒だったから』とのことです」
ゴリラ「そ、そう……。でも、結局起業は失敗に終わって、多額の借金に追われたんだよね」
猿山「あっ、知ってたんですか」
ゴリラ「福圓さんから聞いたんだ。その後、悪七の両親が亡くなって……入ってきた保険金を全額投資に使って、さらに大借金をしたんだよね……」
猿山「罰当たりもいいところですよねぇ……」
ゴリラ「ちなみに投資を決めたのってどっちなの?」
猿山「悪七ですよ……」
ゴリラ「やっぱりか……」
猿山「日藤は反対したそうですよ。『とりあえず借金チャラにして、アルバイターライフにカムバックしようぜ』って具合に」
ゴリラ「うむ……それで、悪七は義理の母親を頼り、大曽さんもそれに応えた……」
猿山「はい。それから悪七が大曽動物園に就職した頃、日藤は悪七から『ビッグビジネスプラン』を聞かされたんだとか」
ゴリラ「大曽動物園の売却計画だね」
猿山「イエスです。まず悪七が正式に園長となった後、わざと業績を悪化させる。次に日藤が架空の動物園の園長を名乗り、頃合いを見て大曽動物園の権利を丸ごとそちらに売却する。そして最終的に動物達を海外の密輸組織などに売りさばき、多額のマネーを得るという魂胆です」
ゴリラ「あぁ、そうか、動物達も売るつもりだったのか。とんでもないこと考えるねぇ……。やっぱり、元々そういう組織と繋がりがあったんだ」
猿山「いや、それはノーですね」
ゴリラ「えっ」

猿山「日藤としては、とりあえず海外へ高飛びして、後から現地でそういう組織とフレンドになろうとしてたみたいですよ」
ゴリラ「ま……回りくどすぎない……?それに売るとしても、そうするまでの動物達の管理はどうするつもりだったのさ?」
猿山「さぁ?」
ゴリラ「えぇ……」
話の転落ぶりに、ゴリラは頭痛を覚えた。
ゴリラ「……まぁでもアレか。あの妙なエセ英語は、それだけ海外志望が高かったってことか」
猿山「イグザクトリー、その通りですよゴリさん。なんでも計画が決まってから、英語の猛勉強をエブリデイ、毎日したらしいんですよ。ただそのせいか取り調べでもエンドレスにエセ英語リピートするから、僕もうタイアード……疲れましたよ」
ゴリラ「猿山君」
猿山「はい?」
ゴリラ「滅茶苦茶エセ英語うつってるよ」
猿山「ワッツ⁉あっ……ホントだ⁉」
ゴリラ「自覚なかったのね……」
猿山「ストップ……いや待って下さい!こう見えても僕、英会話習ってたんですよ‼エセ英語扱いはやめて下さい‼」
ゴリラ「えー?日藤と同じレベルにしか聞こえないけどなぁ……?」
猿山「いやいやいや‼だったらよくリッスン……いや聞いて下さいよ‼」
そう言うと、猿山は机の上のスケジュール帳を手に取る。先程の英文を読むようだ。
ゴリラ「あっ、ちょっと、手荒に扱わないでよ。掃除のおばちゃんからの借り物だし、後で筆跡鑑定もしなきゃいけないんだから」

猿山「わかってますよ‼えーと……デントキーオブケース……シーマウンテン……デントキーオブツーケール……」
ゴリラ「エセ英語じゃん」
猿山「いやこれは助走‼チューニングですから‼えーと……デントキーオブケース……シーマウンテン……デントキーオブツーケール……」
ゴリラ「同じじゃん」

猿山「あぁもう!うるさいなぁ‼デントキーオブケース‼シーマウンテン‼デントキーオブツーケール‼」
ゴリラ「……⁉」
その瞬間、ゴリラの脳裏にとある言葉が浮かんだ。
ゴリラ「猿山君、今の!」
猿山「え?なんです?」
ゴリラ「今の勢いでもう1回言って‼」
猿山「あ……はい。えーと……デントキーオブケース‼シーマウンテン‼デントキーオブツーケース‼」
ゴリラ「……うん、聞こえる‼」
猿山「え……英語が上手くですか?」
ゴリラ「違うよ、その文章の本来の意味さ」
猿山「本来の意味……?」

ゴリラ「あぁ、これで全てが繋がった。島仏さんがどうやって停電を起こしたのかも、通気口のカバーがなんで外れていたのかも、悪七のポケットに何故鍵が入っていたのかも」
猿山「ほ……本当ですか⁉で……それはワッツ……いやなんなんですか……⁉」
不敵に笑うゴリラ。
ゴリラ「行けばわかるよ」
猿山「へ?」
ゴリラ「明日、大曽動物園でね」
