「依桜ちゃん、緊張してる?」
「……うん」
真っ赤なランドセルのベルトを握り締めて俯く依桜に、海統は穏やかに微笑んだ。伸びてきた手はゆるりと頭を撫でていき、その安心感にほっと息をつく。その様子に海統は少し困ったように笑うと、靴箱から真っ赤なスニーカーを取り出した。
「そんなに不安にならなくても大丈夫だって」
トントンと踵を鳴らしてから、掌を差し出される。いくら海統相手といえ、どんなに宥められても気持ちは晴れなかったが、心配ばかり掛けられない。依桜は気持ちを押し殺し、ぎゅうと手を重ねた。
「そんじゃ、いってきまーす!」
「…いってきます」
玄関の戸を開ければ、暖かな春の風が体を通り抜けていった。
「依桜ちゃんももう3年生か〜」
満開の桜並木を見上げて呟いた海統の言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。
今日は始業式───つまりクラス発表の日でもある。普段は一人で通学しているのだが、依桜は数少ない友達と離れ離れになるのが不安で、毎年この日だけは我儘を言って海統と一緒に登校していた。
繋いだ手を握り直して、気合を入れる。それに、学年が変わったのは依桜だけではないはずだ。
「海くんは、えっと…2年生?」
「そ!高2だよ。…あっという間に大人になっていくんだろうな」
そう呟いた海統の表情は、太陽の光に塗り潰されて見えなかった。突然どうしたのかな。珍しく覇気のない姿に首を傾げる。不思議そうにしていたのに気付いたのか、海統は「何でもない」と笑って濁した。
「そうだ。今年はさ、夏になったら海行こうよ」
ふと話題を切り替えた海統の言葉に、目を丸くする。今まで海統は”お勤め”で忙しいからと、夏の間は実家に帰ってしまってほとんど一緒にいられなかったのだ。
折角の夏休みだというのに遊ぶどころか会うこともできず、寂しさを飲み込むだけの日々を送る。それが依桜にとっての夏という季節だった。今年は違うのだろうか。期待と不安を綯い交ぜに、恐る恐る問い掛ける。
「海くん、今年はいっしょにいられるの?」
「うん、大丈夫そうなんだ。だから、今までの分も思いっきり遊ぼう」
「っ、やったぁ!」
喜色満面の笑みを浮かべ、勢い良く腰に抱き着く。すぐに温かで優しい手が頭を撫でてくれた。
夏休みの間も海統と一緒にいられる。それは、依桜にとってクラス替えの不安も何もかも吹き飛ぶほど嬉しいニュースだった。
「海くん、だいすき!」
「オレもだよ」
四季折々の日常を「1話 中編1」

寄付について
「novalue」は、‟一人ひとりが自分らしく働ける社会”の実現を目指す、
就労継続支援B型事業所manabyCREATORSが運営するWebメディアです。
当メディアの運営は、活動に賛同してくださる寄付者様の協賛によって成り立っており、
広告記事の掲載先をお探しの企業様や寄付者様を随時、募集しております。