
彼は、茶虎の店員さんが去った後、こっそりと自分の手の甲をつねってみた。
──痛い。……痛みを伴うため、現実のようだ。
「……なんだかなぁ」
彼は渋々目の前に起きたことを受け入れ、横に合ったメニュー表を開く。
可愛らしい手書きのイラストでメニューが描かれている。
一通りメニューを見終えると、店員さんを呼ぶ。
「……すみません。これをお願いします」
『ご注文承りました。──ですね。』
茶虎の猫の店員さんは、彼の注文を復唱すると、一礼をして席を離れていく。
茶虎の店員さんが席を離れた後、なんとなく周りを見回してみた。
カウンターでは、三毛猫の店員さんがコーヒーを入れている。
『──彼が、この店のマスターです』
「……!!」
彼は突然声を掛けられて、どきりと心臓が跳ね上がる。
『驚かせて申し訳ございません。大変お待たせいたしました。──昔ながらのホットケーキセットです』
「いえ。こちらこそ、不躾に見てしまってすみません……」
『──マスターの手際の良さは見ていて惚れ惚れしますよね。……ごゆっくりお過ごしください』
茶虎の店員さんとの間に気まずい空気が流れる。
……なんだろう。この既視感は。
──彼は一瞬だけ背筋がゾクリと冷えたような感覚がした。
茶虎の店員さんは、商品の説明をすると、一礼をして再び席を離れていった。
♦♦♦
「……いただきます」
彼が注文したのは、喫茶店で目にする分厚いホットケーキセット。ドリンク付きで、猫の形を模したホットケーキと別添えでバターとメープルシロップがついている。
猫の形を崩すのがもったいないが、ホットケーキをナイフで一口サイズに切り分ける。
「おいしい……」
ホットケーキを一口食べると、ふかふかとしていて食べ応えがあり、適度に溶けたバターとメープルシロップの相性は抜群だ。ホットケーキをまた一口と食べ進めていくと同時に、彼の脳裏に鮮明な映像が流れ始める。
──勉強机で頭を抱えながら勉強に苦戦している少年の姿や、「ないしょだよ」と、茶虎の猫にこっそりとホットケーキのかけらをあげて、強奪される映像。次々と映像は止まる事なく、場面が変わり始める。──彼が成長し、家を出るところで映像は終わった。
「とら、なのか?」
ホットケーキセットを食べ終え、会計を済ませる。なんとなく、実家にいた彼の名前を呼んでみる。
『……そうだよ。××。また誰かにいじめられたのか?』
「ははっ……もう、いつの話をしてるんだよ」
『──やっと笑ったな。でも、無茶すんなよ?』
茶虎の店員──とらは、ニカっと笑みを浮かべる。
もう少しアイツと──とらと話していたい。
「──とらっ」
彼の足は、思いと裏腹に止まることなく出口へと進み始める。
『じゃあな、××。──ご来店ありがとうございました!』
──彼がカフェのドアを開け店内から一歩足を踏み出した瞬間後ろを振り返る。
「なんで……夢なのか…?」
カフェがあった場所には、今にも崩れそうな家があるだけだった。
──彼はカフェのあった場所を名残惜しそうにしばらく眺めていたが、何事もなかったかのように歩きはじめた。
「……あっ」
しばらく歩いていた彼は、実家にいた猫──とらの事をふと思い出した。──他の猫を撫でて帰った日や猫カフェに寄った日の事を。──その日はとらにそっけない態度をとられ、塩対応だったのを覚えている。
──そうか。とらは、嫉妬してたんだな。
カフェでの気まずい空気の正体が分かると、彼の口元には自然と笑みがこぼれ始める。
ひとしきり笑った後、彼が家路に着く頃には、会社での失敗の落ち込みも軽くなっていたのは言うまでもない。
おまけ
『──とらさん、とっても上機嫌ね』
『──あぁ。××に逢えたからな』
『……それにしても嫉妬全開だったけどね』
『久しぶりに逢えたのに他の猫に見惚れるアイツが悪い』
カフェの店内には、ウエイトレス姿の三毛猫と茶虎の猫とカウンター席でコーヒーを入れていた三毛猫が
閉店作業をしながら話をしている。
『それは嫉妬しちゃうかも。──あの子が私を見てくれないのは嫌だもの』
『このカフェに来る人間は、猫との縁があるお客さんが多いからね。──案内をするのはその人間に縁がある猫だからね』
カフェのマスターである三毛猫は優しい笑みを浮かべたのだった。
──どこからともなく現れる不思議な喫茶店。次に現れる場所はあなたの街かもしれません。