それは私がまだ、病気になる10年前の11月の始めの頃だでした。
突然、実家の弟が電話で
「親父がお風呂上がりに半身が麻痺して動けなくなり、救急車で運ばれ、病院で検査を受けているところだ。」
と言いました。
幸い症状は軽く、2,3日したら自宅に帰っても良いということでしたが、私は翌朝、実家のある東北に向かうことにしました。
「私、仙台に行って来る。留守の間、美耶を頼んだわ。心配は無いと思うけど。」
「・・・。」
夫は私に「お大事に。」とか「気を付けて行ってらっしゃい。」とか何も言わなかったけど心配では無いのかしら?
私はそんな旦那の態度に期待はしていなかったが、こうも何も言ってこないことに幻滅しました。
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週末、私は新幹線で東北に向かいました。
東北の街はすっかり葉が落ちていて、秋は終わってすっかり冬に近づいている様に見えました。
実家に着くと意外に元気な父が待っていました。
父が倒れていたのではなかったかしら?
倒れたと言っていた父よりも、認知症の進んだ母の方が問題だでした。
「眠れない。」
と言っては徘徊を繰り返して、3か所の病院から眠剤をそれぞれ貰っていました。
幸いというか、やっぱりというか母は薬を飲み忘れていました。
残っていた薬を捨て、私は父に
「お母さんはもう自分で判断出来ない状態になっている。薬の管理と医師とのコミュニケーションは付き添いが必要だよ。」
そう伝え、私は母の薬を1回分ごとに小分けにしました。
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翌日、私は泣きじゃくる母親をなだめ、不安が残りましたが、東京に帰ることにしまた。
何故かその時、私はは『しっかり者の長女』を演じて来た自分が背負わなくてはならな
いと思っていました。
私は自分が思ったより、心が傷ついていて、これからの運命の重さに、気が付いたら涙が溢れていました。
私はマスクで泣き顔を隠して帰りの新幹線に乗った。
人目を気にした私は2階建てのMaxやまびこに乗っていました。
景色の見えない1階席は人気がなく人もまばらだったからです。
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東京駅に着くと、街はハロウィン一色でした。
「全然、気が付かなかった。」
大きなカボチャのお化けが飾られた店先で
「トリックアトリート。」
お菓子を忘れ、ハロウィンのお化けにイタズラされたみたいだと思いました。