●山内彰の話
平日だったからか、東北新幹線は思いの外空いていた。東京から延々と吸い続けて、丁度、八本目の煙草にライターで火を付けた後、山内彰は慌てて灰皿で消した。進行方向左側の車窓に阿武隈川と平野が広がり、目的の仙台駅が近付いていたためやむを得ず、といったところだった。久しぶりの仙台だというのに、あまり、気が乗らなかった。元気か? 調子はどう、大丈夫? 最初の一声に悩む。
多少なりとも、今後起きるであろう会話を予めシュミレートしておくのが山内の癖だ。よって、これまで面接で苦労した覚えは皆無だった。失敗を防ぎ、心の消耗を減らすために前日や移動中に考えておくのは、山内にとって、朝起きて、歯を磨くのと同じ普通だった。
漫才は決めたやり取りをただ自然に、流れるようにこなせばそれでいいと思っていた。そんな安直な考えで、山内は漫才師を志した。が、問題は、相方であった高野がアドリブを好むことだ。わざとらしく定められた路線から離れて好き放題に語っては山内を振り回し、困らせた。
高野は漫才の内容よりも、客席の空気を重んじる。しかし漫才は基本的には台本ありきで、毎回同じように見せないための微妙なリアクションの強弱、間の取り方を変えるのが主流であり、それを客はアドリブと受け取りやすいのだが、高野の場合、純粋なアドリブで場を自分達のものにしたがる傾向があった。山内は、完全なアドリブに対する瞬発力と反応が他の芸人と比較すると未熟であり、また、そのような見られ方を上手く払拭できずに立場を捨てた。コンビ「ラジャーゲッター」解散後、山内は塾講師として働きはじめたが、高野が入院したと当時のマネージャーから聞き、高野の地元である仙台の大学病院に向かっていた。
一通りの手続きを終え、看護婦に案内された病室に入ると、高野は備え付けのテレビをぼんやりと眺めていた。このとき既に、高野にかける第一声は決めていた。
「高野に病室は似合わないな」
「いたくているわけじゃねえよ。もう散々だ。吐くわ、口内炎ができるわ、生きる希望なんてありゃしない」高野は舌打ちし、大きな身体を静かに捻ってテレビから反対側の山内に向ける。体格のせいか、まるで山が動いたようにも感じた。
「本当は?」
「美人な看護婦に話しかけられんのは医者と患者の特権だな」
「あるだろ、希望。でも、その、美人な看護婦はお前と話してたら生きる希望がなくなるな」
「どういう意味だよ」高野は唾を吐き捨てる。
ぶっきらぼうな物言いの変わらなさに山内は少し安心していた。
●鈴木はるかの話
新人は仕事中、椅子に座れない。そんな謎めいたルールが、鈴木はるかの勤務先であるデイサービスセンター涼風では暗黙の了解として蔓延しているからか、空いてる席に腰を下ろすと、何故か先輩方から睨まれる。だから普段は立つか、しゃがみ込んで利用者の側でお喋りをするかの二択。やっとのお昼休憩で事務室の椅子に座れても、今度は利用者が現れて「お風呂上がりに服を着替えさせるまでが長い」とクレームを受ける。さらには「医者にもらった湿布が効かないんだけど」「楽しみにしている朝ドラを昨日見逃してしまった」などと、私が対応できる範疇を越えているし、どうも休めない。
新人を椅子に座らせちゃ駄目な理由があるんですか、と、鈴木は勇気を出して、先輩に訊ねたことがあった。が、返事はこうだった。
「自分たちの上の代がそうしていたから」
悪びれる様子はなく、淡々としていた。その当時不満はなかったんですか、このままでもいいんですか、と問い詰めたくなったが鈴木は諦めた。これ以上訊いても、状況は変わらないと悟った。
「そういえばはるかちゃんは仙台の人?」と高野さんは自分の前髪をいじりながら訊ねる。高野さんは私が涼風に配属になって一週間後に通所をはじめた利用者で、陽気な女性だ。他の利用者と打ち解けるのも私より断然早かった。利用者が囲むテーブルの上で乾燥を終えたタオルを畳みながら、鈴木は応える。
「ううん、この前まで北の魔王城で魔王に仕えてたの」
「そうなの?」「嘘でーす」
はあーあ、と高野さんの溜め息が響く。あの新人さん変わった人よね、頭の捻子がぶっ飛んでいるのよと周辺のご婦人は言いたい放題に文句を垂らす。黙って受け取り、じゃあ、と、鈴木は続ける。
「高野さんは仙台の人?」
「魔王城」
「いや仙台でしょ。悪いわー、性格。はるか困っちゃう」
「性格悪いのはるかちゃんよ」
「そうかな。言い返す方が悪いって昔から決まってんの」
「そう?」「嘘でーす。噓噓」
また高野さんの溜め息がテーブルに広がる。
「はるかちゃんって息子に似てる。方向性が違うけど口の悪さがね。なんだか生まれ変わりみたい」
「生まれ変わりって」と途中まで言いかけて、鈴木は察し、口を閉じた。
「可能性はあるわ。朝だけ来る看護師さんが言ってたけどはるかちゃんって二十歳なんでしょ、息子は二十年前に亡くなったから。白血病で」
●山内彰の話
「白血病?」理解が追いつかず、山内は聞き返さずにはいられなかった。
「ああ」と高野は頷く。「血液検査で異常が出て、病気が判明した日には入院だった。元マネから聞かなかったのか?」
「いや」山内は首を振る。「全く。病気ってだけ」
「そうか。ところでお前、ここがどこかわかってるか?」
「病院の、病室だけど」
「そりゃそうだけど、無菌室だってさ。準な。説明受けたりしなかったか? そのマスクは?」高野は山内の口元を指差す。
「あ」先程のやり取りを思い出した。来る途中、看護婦からマスク着用や手洗い、消毒を執拗に求められたり、最近風邪を引かなかったかなどと病室に入るまで確認されていた。本人の前では伏せるが、患者に触れるな、とも。「病院って、頻繁に行かないからそういうものなのかって」
「まあ、俺もよく知らないんだけどな。無菌室だってよ無菌。キノコも生えねぇところに閉じ込められて生かされてる、ここじゃ煙草も吸えねえ」
「そもそもどこの病室も菌類は生えたらまずいんじゃないか」
「まずくはないだろ」高野は顔をしかめ、無精髭を撫でる。「松茸生えたら俺は看護婦に七輪買って来いって金を渡すぞ」
「松茸はアカマツの側で生えるものだ」
高野は噴き出した。「出たな真面目君」
「茶化すな」
「そんな真面目君に一個、お願い」高野は唾を飲み込んで、続けた。「実はな、ラジャーゲッターが解散する前日に、仙台の局でドッキリ企画が立てられてて、準備が進んでたんだ」
「それが」山内は訝しむ。「どうしたんだよ」
「最後まで聞け。そんで、俺らを落とす予定だった落とし穴が残ってる。誰かが落ちるのを未だに待ってんだ」
ますます意味がわからなかった。「解散は五年も前だし、それに番組か、通報を受けた行政が穴を埋めたりしないのか?」
「ない」と高野はきっぱりと言った。「俺んちが所有してる山なんだ。お袋が管理してて、記念にって何故か残してる。言っとくけど、俺も最近まで企画も、企画倒れも知らなかったからな」
「なんの記念だよ、解散記念か?」
「知らねえよ」
「とにかく、だ。高野はそれをどうしたいんだ」と訊くと、高野は深呼吸し、乾いた唇を舐めてから真っ直ぐに山内を見つめた。
「俺は長くないんだ」
「やめろ」山内は冷静さを欠いていた。
普段ではありえない落ち着き払った高野の声は、逆に、山内を酷く狼狽させた。自然と目を合わせられなくなり、枕元の、シーツの三角形に視線が傾く。
「だから」高野の声に力がこもる。「折角残ってんだから落とし穴を使え、お前が。それが頼みだ。熊でもネッシーでも落として芸人魂みせろよ」
「滅茶苦茶だ、芸人辞めたんだぞ。それに熊はともかく、仮にネッシーがいたとしても水中だ」ここまで言って、山内は、はっとした。高野は、最初からそれが目的で、わざわざ元マネージャーを通して病院に呼んだのではないか、と。「……なあ。お前さっき、白血病のことを元マネから聞かなかったのか? って言ったよな。家族や、昔の芸人仲間から聞いてここに来ることだってあり得るだろ。それに、元マネから連絡が来たから、なんてこっちは一言も話してないよな。お前、回りくどい真似して、呼んだな?」
「細かいことはいいんだよ、黙って聞け真面目君」高野は無視して、続ける。「メディアは喜んで取り上げるぜ、確実にな。ニュースか新聞か。視聴者がお前だってわかればラジャーゲッターを思い出すきっかけになる。腐っても芸人だろ、カメラに向かって『ドッキリ大成功』ぐらい言って湧かせろ。天国のテレビの前で見張ってるからな」
「わかった、もういい」山内は呆れていた。「ところで天国にテレビはあるのか?」
高野は鼻で笑った。「今じゃどこにだって電波が届く時代だろ」
